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浅間神社の吹流し・由来

2012年02月06日 21:51

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/06(月) 05:15:29.77 ID:Otl5hA4/
連投スマソ。立物の話が出たので。

永正(信縄~信虎期)のころ、甲斐郡内の地侍達は離合集散を繰り返していた。
それが余りに激しくなったので、互いに誰が敵か味方かも分からなくなり、
道を行くのにも贈答を交わすのにも難儀するようになってしまった。

そこで浅間社に季節の供物を納めた時に置く立物に、細い吹き流しをつけるようになった。
この色と立物の置かれた場所を見ることで、国内外の外交関係が一目瞭然になった。

いまでも浅間神社ではこの習慣があり、寺社・商家・部落・馬借等の関係が見て取れるという。

(日国記)




769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/06(月) 05:18:51.45 ID:N+VT5Uzh
>>768
>互いに誰が敵か味方かも分からなくなり、
>道を行くのにも贈答を交わすのにも難儀するようになってしまった。
って、どんだけ世紀末救世主伝説な世界なんだよ
甲斐の国、恐ろしすぎる

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/06(月) 08:29:55.90 ID:mALZKV4h
>>769
北条、今川、武田のどの勢力の影響下かに加えて、地元勢力の小山田、加藤のどれに属するか、全く属しないか、
武田でも、信縄・信恵派か信虎派があって…グチャグチャ。

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/06(月) 21:51:35.62 ID:UX+KPOYa
>>770
流石さん、小林さん、富士さん、河口さんらの大領主も忘れないで!!1111

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/06(月) 22:35:35.36 ID:mALZKV4h
>>779
おっと、渡邊もいたな。

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/06(月) 23:52:39.29 ID:UX+KPOYa
>>783
渡邉さんってどのあたりの豪族?

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/07(火) 02:03:42.35 ID:4t4jcK2H
>>785
都留郡とか西湖のあたりとか。南朝方に組したのでも歴史に残る。

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/07(火) 16:21:43.63 ID:AAj5Iw8F
>>770
むしろ武田より跡部、穴山、栗原らの国人のほうが
力が強いくらいの時代だな。
西関東には、上杉配下の小大名も一杯だしカオス。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    そんな複雑でゴチャゴチャ、まして正直に申告なんかまずしないもんを、吹き流しごときで表現しきるとは……
    どんな風景なのか想像もつかんな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    熊野の起請文なんかと同じで、神様を仲立ちにすることである程度のコンセンサスがとれる面はあるんじゃないでしょうか。本音と建前の使い分けは当然あるでしょうけど、それも含めて。

  3. 人間七七四年 | URL | nCyV/qr.

    富士浅間神社は、年五回だかの寄進が半分義務づけられているような神社。
    近隣なら敵味方問わずに参拝するから、現情勢の把握に適切だったんだろう。

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