FC2ブログ

蒲生氏郷の『辞世』

2012年02月10日 21:54

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/09(木) 23:10:41.76 ID:zPiE/uGq
天正19年(1591)2月、千利休が豊臣秀吉の怒りに触れ切腹した。死地に赴く利休を細川忠興と古田織部のみが
見送り、秀吉の勘気を恐れず師を見送った二人は、数寄者として大いに名を上げた。

同じく利休の弟子であった蒲生氏郷は、二人に後れを取ったことを、深く後悔した。
そこで氏郷は、利休の養子・千少庵をかくまい、徳川家康・前田利家等、有力者に千家赦免を願い出た。
(早く、早くお許しをいただかねば・・・)

懸命の嘆願が実り、ついに文禄3年(1594)千家再興の許しが出され、秀吉が没収していた利休の家財・茶道具が
少庵に返還された時、氏郷は病の床に着いていた。

文禄3年2月、氏郷重体の報を聞いた少庵は、ただちに伏見蒲生屋敷に駆けつけた。
死相の濃く現れた氏郷を、あえて少庵は激励した。

「ま、まだご回復半ばと見えまするな。貴方様は、まだ若い上に文武両道たる事、日の本に一、二の将におわし、
皆々大切に思っております。失礼ながら、ご養生がおろそかと見えますぞ?ご油断無きよう。」

氏郷はこれに答えず、一首の和歌を少庵に示した。

“限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風”
(花は、いつかは散るものを、この氏郷という『華』を散らさんと、春の山風が吹き付けて来よるわ。
運命とは、気の短いものよ。)

「・・・殊勝なお心掛け。」
氏郷の『辞世』を見た少庵は、思わず落涙し、「さ、されど」その上で涙を押さえ、返歌をしたためた。

“降ると見ば 積らぬ先に 払えかし 雪には折れぬ 青柳の枝”
(貴方様は、散り行く花などでは無く、積る雪にも折れずにしなり、ついには払う青柳にございます!
しっかりなされませ!)

返歌で氏郷を叱咤して、少庵は蒲生屋敷を後にした。(長夜茶話他より)


少庵の激励も空しく2月7日、蒲生氏郷は世を去った。享年40。
少庵の孫・江岑宗左の言行録『江岑夏書』において、蒲生氏郷の名は『利休七哲』の筆頭として書かれている。





860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/10(金) 00:28:26.09 ID:h92ZWXCD
>>856
氏郷の辞世の句はこの時代の武将のものとしては屈指のものだと思うけど、
これに対する返歌があったんだなあ。

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/11(土) 04:42:23.16 ID:IhwJQFzD
>少庵の孫・江岑宗左の言行録『江岑夏書』において、蒲生氏郷の名は『利休七哲』の筆頭として書かれている。
逆にゲヒ殿は七哲の中で底辺扱いされたり
下手すると金森長近(こちらは長子の道安を匿った)あたりと入れ替えられてたりで
千家の後嗣からはあんまり好かれて無いっぽいね
利休の気概を一番濃く受け継いだのは織部だと思うんだけどねえ


870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/11(土) 07:32:15.79 ID:wEhKoqhj
>>869
そういう位置だからこそあれだけはっちゃけられたのかも知れんよ。


871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/11(土) 07:40:21.05 ID:dIJ7p0EA
蒲生氏郷は肉体は衰えても志は健在だったんだろうな
オレの今の心境は少弐政資に同感する・・・

872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/11(土) 07:47:44.65 ID:wEhKoqhj
>>861
そういや「死にともな」のオリジナルって結局誰のどれなんだろうか。
スポンサーサイト


コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    素人だけど氏郷公のこの句を知った時は「これが風流人かぁ」って感動したなぁ。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    辞世と知らなくてもじーんと来るような歌だ
    死にかけた人からこの歌を詠まれたら号泣してしまう

  3. 人間七七四年 | URL | -

    流石氏郷公、辞世の句も素晴らしいが、千家赦免の嘆願までなされていたとは…何となくこの頃の秀吉は最初におかしくなり始めた時期という印象があるので、素直に凄いと思う

    それにしても享年40歳か…特別若いとは言い難いが、忠興や家康と比べると早死にだと感じてしまう

  4. 人間七七四年 | URL | -

    足利義輝「その歳で若死にとは」
    浅井長政「羨ましい限りじゃ。」
    別所長治「まったくだ。」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    あなた達全員病死じゃなくて戦死みたいなもんでしょうが

  6. 人間七七四年 | URL | m.2.LkcQ

    三歳が朝鮮出兵する時ガラシャに宛てた句の中で、秀吉からの誘惑を『男山より風が吹けども』と表現したのと混合しちゃって、
    長年、この氏郷の句の『山風』が秀吉を差していて、
    『氏郷は「自分は秀吉に毒を盛られた」と思い込んでたんだ』
    と勝手に勘違いしてました。サーセン
    ってか、当時の大名達が気まぐれな秀吉を急に風向きが変わって突風が吹いてくる『山風』とアダ名してた、
    という勝手なストーリーが脳内で完成してたわ

  7. 駄目人間名無しさん | URL | 0Q3WCu86

    白状すると、某エロゲで聞いたのが最初でした。
    元々こういうニュアンスだったのか。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    歌の解釈に正解はないと思うよ。
    氏郷本人が注釈したものがあるなら別だけど。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    返歌もいいなあ

  10. 人間七七四年 | URL | -

    順昭「40は十分長生きじゃの」
    順慶「ですよねー」

  11. 人間七七四年 | URL | -

    返歌もまたいいね

  12. 人間七七四年 | URL | nCyV/qr.

    >>4
    武田伊豆千代丸、武田信勝殿らがじーっと見つめておいでですぞ!

  13. 人間七七四年 | URL | -

    隆元「性根の腐りきった親父と空気読めない弟たちのせいで私も早死です」
    信之「同じく、性根の腐ってる実父と空気の読めない愚弟のせいで私も早死しました」

  14. 人間七七四年 | URL | -

    織部が七哲で格下or除外扱いは、多分、最後の反乱が不味かったんじゃないかな。
    徳川幕府下で反逆者をあまり大っぴらに褒めるわけにはいかんし。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    女性が詠みそうな歌って印象だな

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/6200-6a485cf4
この記事へのトラックバック