900 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/02/13(月) 15:58:26.79 ID:8f2U2jKn
1566年ごろ、織田信長に仕える木下藤吉郎秀吉が斉藤家との戦いの拠点として敵地である美濃国墨俣に
砦を築くように命じられた。異母弟の秀長を従え、木曽川の水運を取り仕切る蜂須賀党(川並衆)の首領であった
蜂須賀正勝の元に赴いて協力を求めた秀吉は旧知の間柄であった正勝を得意の弁舌で説得したが、
色よい返事は得られなかった。
場に重苦しい空気が流れる中、それまで無言だった秀長は
「この戦いは兄の出世ばかりではなく、戦乱の世を治める足掛かりになります。大した名声も持たぬ我らは
この度の戦に全てを賭ける覚悟です。
ぜひ協力願いたい。」
と発言。その誠実な人柄を感じさせる切々とした語り口は、秀吉の能弁振りよりも強く正勝の心を動かし、
正勝の協力を得た兄弟は
砦を完成させて、信長の美濃平定に貢献したという。 「武功夜話」より、
秀長の説得が蜂須賀党を動かした逸話である
901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 16:04:25.24 ID:+uSZYDLv
秀長無双ですなw
902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 16:10:24.14 ID:Gp6ex8vX
前野さん関係の文献だから秀吉を下げようとして秀長上げてるんかね?
903 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/02/13(月) 16:16:37.01 ID:nnXPDbvE
秀長と良いてんきゅー信繁と良い
こう言う控えめ実直な有能№2って日本人の心にきやすいよな
904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 16:29:33.99 ID:8SjeKcY2
「武功夜話」の史料評価ってどんなもん?
ある程度は認められてる?
905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 16:36:09.05 ID:huiNTWR0
死ぬ順番が逆なら世が乱れることもなくうまく収まったのかな
906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 16:38:10.48 ID:a2SdNpSM
逆に二人共先に死んだからこそ評価が高いのかもしれない
生きていれば兄の死という重大事件によって失態をさらして評価だだ下がりだったかも
907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 16:38:29.93 ID:ENSG7cdH
>>904
ぶっちゃけると資料価値はほぼ0。
よくて江戸後期の創作。
そしておそらくは戦後に創作されたもの。>武功夜話
908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 16:41:45.03 ID:xmvm4Ky7
秀吉の弁舌でグラグラ来て迷って、でも決め切れないって時にポンと置いた言葉だろうから
やっぱり両方共いないと機能しない良いコンビだったって事じゃないかな
そんな解釈しちゃうと武功夜話が近世近代の作り話っぽくなっちゃう訳ですが
909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 17:08:35.17 ID:eO402xW+
その話が出来たころにどう見られてたか、ってのを類推するくらいかな
910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 17:11:47.71 ID:Cg0eUmlC
秀長さんは理想的なNo.2だったよな。斬新だけど大雑把な兄貴をうまくフォローしてたと思う
秀長が長く生きていれば、と思わずにはいられない
911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 17:18:17.82 ID:KaZFxktm
生きてても秀吉が同じようにラスボス化が進行してたら、止められなかった気もなあ
912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 17:29:05.25 ID:ENSG7cdH
ちょっと面白い話で言うと、秀長は徳川家康と非常に関係が良くて、三河一向一揆以来断絶していた
家康と本願寺との和解を斡旋したりしてる。
家康も秀長が病に倒れてから何度も見舞いに行ってる。
秀吉政権で東西の2トップとして徳川家康と小早川隆景があったのだけど、どちらも秀長と
非常に関係が深く、秀長がまさに、大名政策における扇の要となっていたフシがある。
1566年ごろ、織田信長に仕える木下藤吉郎秀吉が斉藤家との戦いの拠点として敵地である美濃国墨俣に
砦を築くように命じられた。異母弟の秀長を従え、木曽川の水運を取り仕切る蜂須賀党(川並衆)の首領であった
蜂須賀正勝の元に赴いて協力を求めた秀吉は旧知の間柄であった正勝を得意の弁舌で説得したが、
色よい返事は得られなかった。
場に重苦しい空気が流れる中、それまで無言だった秀長は
「この戦いは兄の出世ばかりではなく、戦乱の世を治める足掛かりになります。大した名声も持たぬ我らは
この度の戦に全てを賭ける覚悟です。
ぜひ協力願いたい。」
と発言。その誠実な人柄を感じさせる切々とした語り口は、秀吉の能弁振りよりも強く正勝の心を動かし、
正勝の協力を得た兄弟は
砦を完成させて、信長の美濃平定に貢献したという。 「武功夜話」より、
秀長の説得が蜂須賀党を動かした逸話である
901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 16:04:25.24 ID:+uSZYDLv
秀長無双ですなw
902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 16:10:24.14 ID:Gp6ex8vX
前野さん関係の文献だから秀吉を下げようとして秀長上げてるんかね?
903 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/02/13(月) 16:16:37.01 ID:nnXPDbvE
秀長と良いてんきゅー信繁と良い
こう言う控えめ実直な有能№2って日本人の心にきやすいよな
904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 16:29:33.99 ID:8SjeKcY2
「武功夜話」の史料評価ってどんなもん?
ある程度は認められてる?
905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 16:36:09.05 ID:huiNTWR0
死ぬ順番が逆なら世が乱れることもなくうまく収まったのかな
906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 16:38:10.48 ID:a2SdNpSM
逆に二人共先に死んだからこそ評価が高いのかもしれない
生きていれば兄の死という重大事件によって失態をさらして評価だだ下がりだったかも
907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 16:38:29.93 ID:ENSG7cdH
>>904
ぶっちゃけると資料価値はほぼ0。
よくて江戸後期の創作。
そしておそらくは戦後に創作されたもの。>武功夜話
908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 16:41:45.03 ID:xmvm4Ky7
秀吉の弁舌でグラグラ来て迷って、でも決め切れないって時にポンと置いた言葉だろうから
やっぱり両方共いないと機能しない良いコンビだったって事じゃないかな
そんな解釈しちゃうと武功夜話が近世近代の作り話っぽくなっちゃう訳ですが
909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 17:08:35.17 ID:eO402xW+
その話が出来たころにどう見られてたか、ってのを類推するくらいかな
910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 17:11:47.71 ID:Cg0eUmlC
秀長さんは理想的なNo.2だったよな。斬新だけど大雑把な兄貴をうまくフォローしてたと思う
秀長が長く生きていれば、と思わずにはいられない
911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 17:18:17.82 ID:KaZFxktm
生きてても秀吉が同じようにラスボス化が進行してたら、止められなかった気もなあ
912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 17:29:05.25 ID:ENSG7cdH
ちょっと面白い話で言うと、秀長は徳川家康と非常に関係が良くて、三河一向一揆以来断絶していた
家康と本願寺との和解を斡旋したりしてる。
家康も秀長が病に倒れてから何度も見舞いに行ってる。
秀吉政権で東西の2トップとして徳川家康と小早川隆景があったのだけど、どちらも秀長と
非常に関係が深く、秀長がまさに、大名政策における扇の要となっていたフシがある。
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コメント
人間七七四年 | URL | -
安心と信頼の秀長クオリティー
( 2012年02月13日 22:10 )
人間七七四年 | URL | -
補佐役の弟って信繁、秀長とあと誰がいるだろ?
香宗我部親泰、留守政景、三好義賢とかがそうかな?
( 2012年02月13日 22:20 )
人間七七四年 | URL | -
『武功夜話』出典と知り、拍手ポチを躊躇ったオレは修業が足らぬ
( 2012年02月13日 22:28 )
人間七七四年 | URL | -
>>2
宇喜多さんとこの弟や、北条氏規とかはどうだろ?
後は島津歳久も義久の補佐役といえないかなぁ。
( 2012年02月13日 23:10 )
人間七七四年 | URL | -
大和大納言は地味に石高も国内首位
( 2012年02月13日 23:19 )
人間七七四年 | URL | -
※2
義理の兄弟になるからグレーゾーンな気もするが、鍋島直茂とか駄目か?
それにしても>>906には同意する
秀長さんも信繁(善)さんも、よく「長生きしていたら…」と言われるけど、この二人が生きてても兄貴の暴走は止められなかったと思う
最悪兄弟喧嘩起こして悲惨な結末が待ってた気がするんだよなぁ
( 2012年02月13日 23:43 )
人間七七四年 | URL | A75NpKCQ
織田信勝「俺たちだって」
伊達小次郎「名補佐役になる素質は」
相合元綱「あったと思うんだ」
( 2012年02月13日 23:46 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
※7 信長には信包がいる
( 2012年02月14日 00:42 )
人間七七四年 | URL | -
有楽斎「私を忘れてますよ?」
( 2012年02月14日 00:49 )
人間七七四年 | URL | -
古田織部「それがしは関ヶ原で金吾殿の説得に成功しました」
( 2012年02月14日 01:54 )
人間七七四年 | URL | -
隆元兄ちゃんは、生きてれば補佐役の弟はよりどりみどりだったのにね……
( 2012年02月14日 02:01 )
人間七七四年 | URL | -
※10
へうげもののあれは久々に吹いた
( 2012年02月14日 02:50 )
人間七七四年 | URL | -
家康と秀長の関係ってのもすごく興味がある
誰かいい話に書いて下さい
( 2012年02月14日 05:42 )
人間七七四年 | URL | -
秀吉のラスボス化は親族に立て続けに先立たれた事も原因だと思うの。
( 2012年02月14日 06:22 )
人間七七四年 | URL | -
>>7
徳川忠長「私も名補佐役になれる素質はあると思います」
松平忠輝「同じく」
( 2012年02月14日 07:29 )
人間七七四年 | URL | -
直家「※4殿、鎖帷子を着て兄である私の前に参上するような奴に補佐役は無理だと思います」
( 2012年02月14日 08:43 )
人間七七四年 | URL | -
真田次男「私も信繁という名前に恥じぬよう、兄上を立派に補佐します」
( 2012年02月14日 08:47 )
人間七七四年 | URL | -
>>16
「兄上、某は常に兄上の為に身をたてにするつもりで着こんでおるのですぞ」
信勝「…それがしもそのつもりでおればよかった…」
( 2012年02月14日 09:20 )
人間七七四年 | URL | -
武田信廉「某も名補佐役に…」
( 2012年02月14日 17:25 )
人間七七四年 | URL | -
信雄「織田家には俺もいるぞ!きっと兄上を補佐できますぞ!」
( 2012年02月14日 17:37 )
人間七七四年 | URL | -
松永久秀「長慶様はなぜ名補佐役の冬康様を誅したのかのう」
( 2012年02月14日 19:58 )
人間七七四年 | URL | -
※8
信広「………当主の目が無くなってからは、
弟を必死で盛り立て頑張ってたのに…」
( 2012年02月14日 20:48 )
人間七七四年 | URL | -
※19
信玄「逍遥軒なんて号から
やる気の無さを感じるのだが」
( 2012年02月14日 21:01 )
人間七七四年 | URL | -
※18
直家「そなたの忠義疑って済まなかった。その心意気、余が自ら茶を点てて労って進ぜよう」
( 2012年02月14日 21:19 )
人間七七四年 | URL | -
>>24
忠家「兄上の御好意、嬉しゅう存じます。
…が、それがしは、もさっとした備前の雑器などより緑青のへうげたひずみ茶碗が好みです」
( 2012年02月14日 22:15 )
人間七七四年 | URL | -
※25
秀家「叔父さん、宇喜多はもう僕の時代なのだよ。
どうかウザい家臣どもを黙らせてくれなのだよ。
織部の茶器など幾らでも買ってやるから、どうか助けてくれなのだよ」
( 2012年02月15日 03:06 )
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