359 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/03/21(水) 17:02:24.52 ID:Vndyx+ow
年寄役だった中野杢之助は、参勤交代の道中である者に讒言され、
勝茂公の覚えが悪くなり、お目通りを許されなくなった。
勝茂公の病気がひどく重くなったので鍋島常辰が、
「私と志波喜左衛門、そして杢之助は、
勝茂様が御全快なさらぬときは追腹を切ると約束しております。
されば杢之助を御存命中にお目通りかなうようにおはからいくださいますように」
と申し上げたので、すぐに召し出された。
御臨終のとき、鍋島、志波の両氏は、
それぞれ悲しみを表現し、泣いていたが、急に立ち、来客、同藩の者に、
「どなたさまも、古くから御懇意にしていただき、
誠にお礼の申しようもありません。
名残おしめば幾日語り明かしても尽きないでしょう。
『私どもはこれにて失礼いたします』」
と言って通りすぎていった。
いあわせた人はみな涙を落とすばかりであった。
剛勇をもって聞こえた美作守殿さえ声も出せず、
「ああ剛の者よ、剛の者よ」
と言われただけだった。
中野杢之助は最後まで自分を讒言した者のことを憤っていた。
鍋島常辰は家に帰り疲れを休めるため行水し、
しばらく寝て目が覚めてから、
「枝吉利左衛門がくれた毛布を敷いてくれ」
と言い、その上で腹を切った。
介錯は三谷千左衛門だという。
ある人に聞いた話だが、杢之助のいつも持っていた扇子に歌が書かれていた。
惜しまるる とき散りてこそ 世の中の
花も花なれ 人も人なれ
年寄役だった中野杢之助は、参勤交代の道中である者に讒言され、
勝茂公の覚えが悪くなり、お目通りを許されなくなった。
勝茂公の病気がひどく重くなったので鍋島常辰が、
「私と志波喜左衛門、そして杢之助は、
勝茂様が御全快なさらぬときは追腹を切ると約束しております。
されば杢之助を御存命中にお目通りかなうようにおはからいくださいますように」
と申し上げたので、すぐに召し出された。
御臨終のとき、鍋島、志波の両氏は、
それぞれ悲しみを表現し、泣いていたが、急に立ち、来客、同藩の者に、
「どなたさまも、古くから御懇意にしていただき、
誠にお礼の申しようもありません。
名残おしめば幾日語り明かしても尽きないでしょう。
『私どもはこれにて失礼いたします』」
と言って通りすぎていった。
いあわせた人はみな涙を落とすばかりであった。
剛勇をもって聞こえた美作守殿さえ声も出せず、
「ああ剛の者よ、剛の者よ」
と言われただけだった。
中野杢之助は最後まで自分を讒言した者のことを憤っていた。
鍋島常辰は家に帰り疲れを休めるため行水し、
しばらく寝て目が覚めてから、
「枝吉利左衛門がくれた毛布を敷いてくれ」
と言い、その上で腹を切った。
介錯は三谷千左衛門だという。
ある人に聞いた話だが、杢之助のいつも持っていた扇子に歌が書かれていた。
惜しまるる とき散りてこそ 世の中の
花も花なれ 人も人なれ
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コメント
人間七七四年 | URL | -
細川ガラシャの
「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」
とそっくりなんだけどなにか関係が?
( 2012年03月21日 22:21 )
人間七七四年 | URL | -
イマイチ内容が頭に入ってこない…。
中島さんは憤ったまま、とっとと腹かっさばいたの?
( 2012年03月21日 22:36 )
人間七七四年 | URL | -
ちょいと題名と内容が合わないような気がする。
内容的には鍋島常辰の同僚への気遣いと、武士らしい最後を遂げた
と言う良い話しのような…
中野杢之助は
目通を許される→讒言者をなじる→すっ飛んで辞世の句
と話が切れ切れの上、他2人に比べると爽やかさに欠けるような気がする。
葉隠読んだら色々分かるのかな?
( 2012年03月22日 00:01 )
人間七七四年 | URL | -
スポーツ選手が引退のタイミングを図ってるみたいな歌だ。
( 2012年03月22日 03:18 )
人間七七四年 | URL | -
米3
今回の逸話は葉隠にしっかりと沿って意訳してあります
( 2012年03月22日 09:24 )
人間七七四年 | URL | -
内容的にはあってる。
でもこの題名で行くなら、この前をつけてくれた方が親切だと思う。
中野杢之助が初めて出仕したころ、彼には不正なことがあると御目付の者から報告があった。
そこで勝茂公は杢之助を呼び出され、人払いをして、「このようなことを致しておると聞いたが、十分に気をつけて奉公するように」と他人を憚るように注意された。
杢之助は、このとき追腹の覚悟を決めたということである。
(三笠文房 葉隠より~)
( 2012年03月22日 12:40 )
人間七七四年 | URL | -
米6
それは別件ですね。
参勤交代の道中での讒言は晩年の出来事です。
( 2012年03月22日 14:04 )
人間七七四年 | URL | -
内容は合っている様ですが、結局何だったのか?
今一良く分からない内容の逸話ですね。
( 2012年03月22日 14:37 )
人間七七四年 | URL | -
この逸話の構成の仕方、順序はバラバラで小説的ではないですね。
しかしもとから葉隠は後世の人に見せるために書かれていませんからね。山本常朝その人が、あくまでも自分自身への戒めとしていたものですから、見る人によってはサッパリわからない部分が出てくるのも不思議ではないでしょう。著者から他者に向けた書籍でも人それぞれわからない部分は出てくるものですがね(笑)。
今回の話からなにか感じる人もいれば、サッパリわからないという人もいて当然だと思います
( 2012年03月22日 15:44 )
人間七七四年 | URL | -
>9殿
>山本常朝その人が、あくまでも自分自身への戒めとして書いた
そうだったんですか。
葉隠については余り知らなかったんで、勉強になりました。
でも逆に言うと…山本常朝の時々の心情や、
考え方の流れなんかを推測するのも面白いですね。
( 2012年03月22日 17:19 )
人間七七四年 | URL | -
米7さん
米6だけど、自分は杢之助の追い腹について語るのならって意味で書いたんだけど、おかしかったかな?
あと、米9さん、この話だけをみるとバラバラにみえるけど、そもそもこれは勝茂の臨終に多くの人が悲しむシーンじゃなかった?
話の間にまとめスレにあった勝茂夫人の話もでてきてただろ。
色んな話が混合してるが全体的には内容は通ってる。
あとさ、自分への教訓を書いたって何が根拠になってるの?
ソースがあれば教えてほしい。
( 2012年03月22日 18:40 )
人間七七四年 | URL | -
米11
>>自分への教訓
つまり他人に見せるつもりはなかったってことね。
( 2012年03月22日 18:56 )
人間七七四年 | URL | -
米11
葉隠の序文に、
『葉隠全十一巻はそのうち焼き捨ててくだされ。世間に対する批判、武士の行為の善悪、考えたこと、風習のことを、ただ自分のために覚えていたことを、話ながら書き残したものです。他者が読めば遺恨にもなるし、読み違いされ悪事にならぬとも限らないので、必ず焼き捨ててください、と常朝殿は何度も申された。』宝永七年 田代陣基
と、あります
( 2012年03月22日 20:11 )
人間七七四年 | URL | -
あと、ここは2ちゃんに書いた本文に管理人さんがタイトルを付けるスタイルです。なのでタイトルと内容の整合性についての話は意味ないでしょう。本文とタイトルはそれぞれ別人ですから
( 2012年03月22日 20:18 )
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