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榊原家、関ヶ原後のこと

2012年03月22日 21:41

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/22(木) 05:08:55.40 ID:fiHwp7T3
既出ネタ混ざってますが

関ヶ原の戦いで徳川秀忠が遅参したのは周知の通りだが、家康は怒って秀忠と会うことを拒んだ。
榊原康政も本多正信や大久保忠隣らと秀忠に従っていたが、家康と秀忠の対立を恐れた康政は家康に会いに行き、
「真田昌幸の上田城攻めを行なっていたのは、江戸から秀忠の美濃方面への進軍を命ずる使者・大久保忠増の
到着が遅れたからです!」
「木曽路もまた天候不順で進軍がままならなかったのです!なにとぞ、秀忠公とお会いくだされ!」」
と直訴し、秀忠との面会を乞うた。
本多正純からも同様の陳情がなされ、とうとう家康は使者大久保の遅れを確認しこれを認め、秀忠を労った。

関ヶ原の戦いから一段落した後、軍監として豊臣恩顧の諸侯を統制し、関ヶ原でも抜群の功を上げた
本多忠勝・井伊直政と康政が酒を酌み交わすことがあったが、
本多井伊も康政の家康秀忠の仲介こそ一番の功だと康政を労ったそうな。

さて、家康は康政の功を賞し、水戸への加増転封しようとしたが戦功がないと康政はこれを拒否した。
また危うく廃嫡されかねなかった秀忠も康政に感謝し、家康父子は榊原家を粗略に扱わないと約束した。

ここからは江戸時代の康政死後の話になるが、この時の康政の功はやがて生かされることになる。
まず、康政の次男榊原康勝が夏の陣で奮闘のすえ病没したが、この時家老たちは康勝に子はいないと申告した。
(本当はいた。)
末期養子が認められていない当時、通常なら改易だったが、平岩家同様、家康は改易を渋り、康勝の兄で
大須賀家を継いだ忠政の子(榊原忠次)に榊原家を継がせた。←これで大須賀家断絶
しかし、後に康勝に子がいたのがバレてしまった。しかしそれでも家老だけの処分で済ませ榊原家を
咎めることはなかった。
それどころか、姫路十五万石に加増され、井伊直孝の後釜で幕政にも参与した。忠次自身は
姫路の新田開発を推進し、和歌を詠む風流人だった。
そして、本来榊原家を継ぐべき康勝の家系(榊原勝政)が不憫だということで旗本に取り立てられた。
ただ勝政は加増の予定もあったのに高野山に若くして隠遁してしまった。
ちなみに勝政は立身前は祖父康政と交流のあった加藤清正の子忠広の元で預けられていた。

更に後、榊原忠次(忠政系)の家系が尽きてしまった。
すると今度は康勝系の勝政の孫が榊原本家を相続した。ちなみにちゃっかり旗本榊原家も存続している。

もちろん、康政の関ヶ原の功だけでこのような厚遇が得られたわけではないだろうが、譜代でもあっさり
取り潰されてる当時、
家康秀忠の「粗略にしない」という言葉だけで家を保てたともいえる榊原氏は、幕末越後高田藩として
一部藩士が彰義隊となった他は官軍に味方した。




361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/22(木) 06:21:18.04 ID:7UCnkkj2
>>360
官軍になる前に、第二次長州征伐芸備口で井伊家と共に先鋒をつとめて粉砕されたことも書いてやれよ…

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/22(木) 11:02:08.37 ID:kW1qKrm5
しかし、本多忠勝の家も榊原康政の家も優遇された類なのに、ひどい体たらくだな

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/22(木) 14:22:55.76 ID:PQe7tSLa
武勇→優遇→おぼっちゃま化→叩き上げの新興勢力にやられる(最初に戻る)

歴史はこれの繰り返しみたいなとこがある。
もちろん例外もあるかもしれないが

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/22(木) 14:51:22.67 ID:7vpl4NFc
>>363
支那だと北魏、遼、金、元、清の歴代王朝がそんな感じだ

365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/22(木) 15:12:01.47 ID:2MkI94oD
全部トップの責任にするのはさすがにどうかと

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/22(木) 15:19:31.86 ID:PQe7tSLa
>>364
なるほど

自分で法則言っておいてあれだが、
井伊家は井伊直弼までは矢面立っていたから凄いよな
対する島津家も鎌倉以降多少の浮き沈みはあっても大きく没落することはなかったな
名実ともに長年名門でいられる秘訣は何処にあったんだろう?

367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/22(木) 16:00:41.58 ID:fiHwp7T3
本多家も榊原家も跡継ぎでガタガタ揉めそうな感じだったからね。
榊原家は>>360な感じで忠政系と康勝系が入れ混じってたり幼君だの早世だのが多い。
吉宗の代だって尾張徳川と一緒に倹約令無視して姫路から高田に左遷されたし。

本多家もいちど宗家が断絶した時に大きく減封されてるし、転封も絶えない。

それに比べたら井伊さんずっと彦根だからね。島津もずっと薩摩だったのは言うまでもないことだし。

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/22(木) 19:27:01.80 ID:5xjJgmaB
榊原家は康政の甥の照久も
久能山に祀られた家康の墓守となる神官として従二位を与えられ優遇されたよな。
家康の寵臣で照久の膝を枕に没したとの逸話も有るくらいだし。
井伊家も直孝が大老になったりで優遇され、本多家も忠勝の孫に千姫を再婚させるなど
家康から近い所で破格の対応をされている。

374 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/03/23(金) 21:06:05.81 ID:1oQ40Y51
>>362
結局四天王で最後まで頼りになったのは、酒井忠次の家だったな。

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/23(金) 21:33:06.96 ID:lWLryjXP
そういう後日談が綿々と続くのが歴史語りの面白いとこだね

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    本多、榊原は早世が多くて君主権の行使がなかなか出来ていない印象。

    てかこの逸話、榊原政岑の逸話も入れてほしかったなぁ。
    吉宗に逆らって放蕩を尽くしたのに、水戸転封を拒んだ結果として下された家康の
    「榊原には借りがある」という神誓証文のお陰で改易を免れて転封で済んだってやつ。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    忠勝系本多家は9・6騒動から暗転したよね。
    本家以外では郡山12万石の分家もさほど考慮されずに取潰されている。
    やっぱ騒動の内容が酷く、幕閣に悪印象を与えていたんじゃないかな。

    井伊家は朝廷の監視役という大役があったから緊張感が持続したのかな?
    忠次系酒井家も東北の最前線にいたせいか最後まで四天王筆頭に恥じぬ
    活躍をしているよね。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    本多、井伊に比べれば地味な印象なんだけど徳川にとっては米五郎左だったんかなぁ。
    木綿忠次・米康政・掛かれ兵部に退き本多(徳川四天王バージョン)勝手に作ってみた。怒らないで下さい。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    何で家臣は子はいませんって嘘を付いたんだ?
    家を潰されるというのに

  5. 人間七七四年 | URL | -

    幼君だと任務がこない(武功があげられない)から成人した親戚を当主にすえかたったってさ

  6. 高田の人間は毎年謙信公祭を行って上杉家を懐かしむ事はあっても、一人も榊原家を懐かしむ事はないわけだが。
    高田の人間自身が「榊原?誰それ?食べれるの?」状態。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    家老が康勝の子を隠したのは資料によれば「功名をあげたいがため」となってるけど、実際は長男忠政が榊原家を継げなかったこととかも関わりが有りそう。

    そして忠政系と康勝系が立ち代り入れ替わり榊原本家を預かってる。
    最後はやっぱり康勝系が生き残ったけど、断絶した大須賀さんカワイソス

  8. 人間七七四年 | URL | m.2.LkcQ

    つーか、姉川は小平太のおかげで勝ったようなモンだろう。
    アレが徳川のメジャーデビュー戦だったコトを考えれば、徳川が天下を取れたとの榊原のおかげと言っても過言じゃないんじゃないか?

  9. 人間七七四年 | URL | -

    >家康の寵臣で照久の膝を枕に没したとの逸話も有るくらいだし

    むしろココに衝撃を覚えた

  10. 人間七七四年 | URL | HfMzn2gY

    ※6 姫路の人間は、毎年、榊原政岑がはじめたゆかた祭りを行って、「風流大名」の榊原政岑を悪く言うことはないのだが。
    でも、一人も榊原家を懐かしむ事はない。黒田官兵衛もしかりで、やっぱり郷土を代表する大名は池田輝政。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    静岡の人間は権現様崇拝で今川義元を懐かしむ事は無い

  12. 人間七七四年 | URL | -

    なあに、加藤清正23年細川氏240年の治世で
    加藤家どころか清正のことしか語られない熊本も酷いもんだ。
    細川家って加藤家時代よりよっぽど領民に優しい治世をして
    いたのに。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    熊本は細川さんもだけど、相良さんや阿蘇さんももっとクローズアップして良いと思うんだ…
    義陽さんとか甲斐さんとか味のある武将いるやんと常々…

  14. 名無しさん@ニュース2ちゃん | URL | sSHoJftA

    >※13
    相良さんや阿蘇さんは郡単位だから...

  15. 人間七七四年 | URL | /uHYxkhw

    >>10

    まあ、今の姫路城を築いたのは池田家だからねぇ………

    年数で云えば酒井雅楽頭家が一番長いのだが、姫路では池田の次は千姫(+本多家)で、その次に黒田かな?
    まあ、黒田も三代前は備前の流れ者だからなぁ。
    少なくとも代々続いた累代の領主と云う意識は無いわな。

    まあ、赤穂なんかも浅野家一色で森も池田も全然意識に上らないから、仕方ないかもな。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    >※4 >※5 >※7
    榊原側の史料だと「功名をあげたいがため」とあるのかもしれないけど、
    より否定的な史料だと、榊原の家臣たちが徳川の直臣に復帰したいがため、
    榊原家の断絶を意図したものだとあります。

    井伊家・榊原家は、皆さま先刻ご承知のように家康が育てた家で、
    その家臣団は家康から附属させられた元家康家臣が中核となっています。
    で、康政の死をきっかけに、榊原家を断絶させて、
    徳川直臣に復帰しようとして、康政の実子を隠したのだけど、
    うまくいかなかった(大須賀家を断絶させてまで、榊原を残した)というのが、
    この「事件」なのだそうです。

  17. イルボン速報@名無しさん | URL | -

    島津は、親族がずっと薩摩支配しているからだと思うが、
    貴久までの浮き沈みは多少じゃないぞ。

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