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灰賦峠(はいぶきとうげ)

2012年04月11日 21:32

顕如   
567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/11(水) 06:32:38.10 ID:c9VH0Kjr
天正10年5月末、石山本願寺を明け渡し紀州に逃れていた顕如に対して、信長が和睦の約束を
破って三千人の討伐軍を差し向けたとの知らせが深日(ふけ)の里の金乗寺に もたらされた。
金乗寺の門徒総代である了性が付近住民と協力して顕如が逃れるための時間稼ぎをすることになった。
了性は元々は右入道という武将であったが、武士の生き方に疑問を感じて一向宗門徒となった男で、
温厚な人柄と武芸・教養にすぐれていることで知られる人物である。
 同年6月2日、了性は1800名ほどの門徒とともに強い風の吹く峠で待ち伏せし、風上から
大量の灰をばらまいて敵兵の目潰しをした上で、皆で崖の上から石を投げつけて戦った。この作戦は
功を奏して織田軍はいったん退却した。ところが、翌3日に陣容を立て直した織田軍が再び攻めてきた。
今度は布切れで目をおおって万全の対策をしていたため、灰の目潰し作戦は通用せず、たちまち
門徒たちは敗色濃厚になった。ところが、いきなり織田軍は全軍撤退していなくなった。昨日の6月2日に
本能寺が明智光秀の軍勢に襲撃され、織田信長が自害したとの知らせが織田軍に入ったからだ。
 そんなことは知る由もない門徒たちは「阿弥陀様のご加護だ」「了性様のおかげだ」と喜び合った。
 後に、灰をまいて織田軍を撃退した場所を灰賦峠(はいぶきとうげ)と呼ぶようになったそうである。




568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/11(水) 07:04:49.78 ID:LKbIk1nm
はいはい、わかりました。


なんちて

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/11(水) 07:56:56.72 ID:JLUIdyL6
四国攻めの準備もしていたからそのついでに紀州攻めたとか?
深日の宗徒たちも迷惑な話しだな

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/11(水) 14:11:51.35 ID:zUJmFxTp
地元だがそんな話聞いたこともない……ソースは?

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/11(水) 15:40:46.06 ID:c9VH0Kjr
>>571
大阪伝承地誌集成という本に岬町の伝承として載っていた

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/11(水) 18:39:44.78 ID:Pdzssr0W
この話に似ている
http://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%C0%D0%BB%B3%B9%E7%C0%EF

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/11(水) 18:59:11.49 ID:i3AsRaLp
史実だと、本能寺前の本願寺と信長の関係は良好で、
雑賀衆は四国攻めに船を提供していたりする。
顕如は石山本願寺退去後、すぐに和歌山駅前にある本願寺鷺森別院に移っているし。

本能寺前に信長と争っていた紀州の勢力は高野山。

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/11(水) 19:04:27.08 ID:y8nsyZbw
為政者vs宗教って、民衆の反発招きたくない為政者側からしたらあまり好ましくないもんな
宗教vs宗教となると、ものすごく悲惨なのは現代でも変わってないな

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/11(水) 19:05:48.52 ID:vfrypgz6
四国攻めの織田軍を見て勘違いした民衆の間で本願寺攻めの噂がたったりはあったかもな

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/11(水) 19:17:04.26 ID:i3AsRaLp
>>573の話だと、東本願寺と西本願寺の争いのために存在しない合戦を
捏造したわけだけど、>>567の話だと東西本願寺とはまるで無関係だから、
>>573の話から合戦話だけをもってきて、縁起話を作り上げた感じなのかな。

>>576
いや、民衆レベルの噂でもそれはないでそ。その軍勢に雑賀衆が参加しているわ、
紀州では顕如の警護に信長が兵よこしたりしているわ、高野山攻めやっているわだし。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >布切れで目をおおって万全の対策
    いやこれ、周りが見え無いんじゃないのか?
    灰を捲いた時だけだろうけど、だとしても
    その間は見えないだろうしねぇw

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >※1
    すごいよ!マサルさんを思い出して、不覚にも吹いちまったぜ…。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    「はいぶとうげ」とも読むらしい
    四国攻めで信孝の軍が和歌山県に攻め入ろうとしたときの話だとか
    信雄さんよりはいい人らしいから、四国攻めのついでに領土略奪とかは無さそうだ
    ただ熱心なキリスト教徒(家臣に改宗勧めるほど)だったから
    それ絡みで何か一悶着あったのかなって感じがする

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    笠に装着する、黒くて薄い布みたいなタイプだったんじゃないか?
    ほら、女の人がよく付けてたやつ。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    >米4
    もしかして喪服とかの事言っているのでしょうか?
    あれは当時の日本には無いと思われ。
    (違う物の事なら意味がちょっと分からん)

    >布で目を覆って
    と有るので、言葉通りかと?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※4が言っているのはこういう感じのものじゃないかな
    祭り用だから色は違うけど

    ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Jidai_Matsuri_2009_348.jpg

    こんな感じの布もついてない時代ならごめん

  7. 人間七七四年 | URL | -

    フンドシの布切れでさえ貴重品とされてた時代っすからね~
    3kの兵達は自分達の小袖を切り裂いて目をかばったのだろうか
    もしかして「クロスアウッ」などと言いながら、自分のフンドシを頭に被って・・・w

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