佐竹義重て、大物だけど常陸を統一したのが1591年て遅い
638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/13(金) 23:53:29.28 ID:JQzYxAtY
豊臣の力がバックになければ常陸の統一も家臣団の近代化もできなかったというのが正直なところじゃなかろうか
北条に頭を抑えられてたからと考えるべきか反北条の旗頭になったおかげで関東の雄になれたと考えるべきか
639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 00:01:41.72 ID:ZNF78dV6
ぶっちゃけ、鬼義重より親父の方が優秀な気がする。北条と上杉の隙をついて立ち回っていたから
鬼義重は確かに武勇に秀でてるけど、北条と全力衝突したおかげで国が疲弊して伊達との二正面戦争になった
640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 00:19:48.94 ID:TZuTI0p8
常陸50万石以上だからなぁ・・・
641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 00:24:36.67 ID:6XoSirec
鉱山もあったしね
しかしこんな防衛しにくそうな国を北条相手によく持ちこたえたもんだ
642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 00:31:27.49 ID:VCjeg8QS
洞中は守るに強く攻めるに弱い。
まあいわゆる常陸統一後も、領内に山ほど不満分子抱えてたっぽいしな、佐竹は。
643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 00:43:47.86 ID:TZuTI0p8
逆に広くて統一されてなかった分、緩衝地域みたいな感じじゃないのかな~
ものすごく大雑把なイメージだけど、小田原と太田だぜぇwwww
644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 00:45:30.60 ID:6XoSirec
文禄の役での太閤殿下へのご奉公を理由に国人をギリギリ締め上げて権力強化していったあたりの手際は
ちょっと悪い話にふさわしい逸話がたくさんありそうだ
645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 01:01:55.22 ID:foDRrFwu
南部の国人衆を誘きだして謀刹したのは息子だっけ?
646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 06:27:54.41 ID:/tPRX0ru
東北の方は盟主と地主たちによる連合国家という古い形が
秀吉が介入してくるまでは残されてたんだっけ
647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 08:44:07.63 ID:IYpSeiIz
>>642
> 洞中は守るに強く攻めるに弱い。
那須家は正にそんな感じだな
しょっちゅう内紛起こしてるのに防衛戦は異様に強い
648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 08:46:44.38 ID:VCjeg8QS
>>646
秀吉が介入した後も引きずってるな。
佐竹が近世化出来たのは秋田移封後だし、伊達にいたっては幕末までw
649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 12:08:27.34 ID:R4HOLAU6
>>646
最上氏に至っては最後までそういう感じだな。
万石クラスの家臣が各地に割拠している
650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 12:21:46.93 ID:njVVprub
お陰で重臣間の権力争いが手をつけられなくなって改易
同じくモザイク国家の鍋島氏あたりは上手くやったんだがなぁ
651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 13:00:17.11 ID:5ViIOP6R
秋月や相良なんかもひどかったみたいだけど、良くもったよなあ・・・
652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 13:17:46.30 ID:DcLCdfot
南部や安東、葛西・大崎もそんな感じよね>連合国家
そしてどこの家も豪族衆との争いにかなりの労力割かざるを得ず、大きくロスしてる感じ
653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 13:51:15.41 ID:TZuTI0p8
九州の場合は、実際ラスボスさんの兵が乗り込んできちゃって、
有無をいわさず集権化されちゃった感じ?
654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 13:55:30.70 ID:fvRBbQBz
>>653
旧来の領主が駆逐された所は集権化したけど
島津はなぁ
655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 13:55:55.13 ID:6XoSirec
伊達は葛西大崎一揆での荒廃や悪天候、政宗の無謀な家臣団拡大などで苦しかったから
有力家臣を在地に置いて農村立て直さなきゃいけなかったから仕方ない部分は多々ある
もっとも政宗の無謀な家臣団拡大は自業自得としか言いようが無いが、これも葛西大崎の
旧臣救済だったりするしなあ
656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 14:31:58.46 ID:1pDIETra
>>649
伊達もな
伊達四十八館(キリッ とか言ってるけど、
要するにそれだけ国力が大臣に掌握されていて、大名の権力が相対的に低いってことだからな
伊達騒動とか幕末のグダグダっぷりはそこら辺が原因の一つ
657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 15:21:25.24 ID:/N87z8EO
ん?大崎一揆ってまーくんの仕業じゃないのw
658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 15:26:38.30 ID:tYwX2YPX
>>655
葛西大崎の旧臣取り込みは、あれでも糠塚の騙し討ちで減らしてる方なんだよなぁ
葛西は巨臣ひとりひとりが小大名クラスだから、家臣の数もえらいこっちゃで
取り込んだ伊達も面倒だったと思う
659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 19:39:02.05 ID:NhfGrRaO
>>649
最上の場合は、蒲生みたいに気前よく領土を与えたんじゃなかったかな。
660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 20:19:58.77 ID:6XoSirec
最上は取り潰しになった経緯がちょっとどころじゃなく悪い話だからなあ
661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/14(土) 20:58:06.38 ID:ylmZU6Ln
幕府の仲裁無視はさすがにね
コメント
人間七七四年 | URL | -
義重に関しては間違った選択はしてなかったと思うけどなぁ…
あの時点で戦争しなきゃ、恐らく南部の国人衆が緩やかに北条支配下に組み込まれたし、
そうやって上総~南常陸失ったら佐竹も北条氏の下風につくことになるか、
上杉氏、太田氏みたいに駆逐されるまで戦争するかしかなかったと思う。
洞は確かに防衛戦には強いけど、緩やかに組み込まれていくような場合には
とりあえず現時点で大きなマイナスがないから、と許容してしまいがちだしな。
( 2012年04月15日 00:38 )
三 | URL | xtc7akX2
佐竹洞中
洞中は大学のときテーマにしてた。
佐竹義昭の時代は、
大掾氏に佐竹の養子を入れ、自身の隠居城を大掾氏の本拠、府中城に定めてた。ここって小田氏の領地にも近い。当時の最前線だったりする。かなり余裕の有様。ここから義昭の死後情勢が悪化した。
佐竹氏自身が動かせる兵力はいつもだいたい5,000。
これは一門・譜代衆のいる奥七郡といわれる常陸北部だけ。
ほかは防衛線のときに兵を出すけど利益がない侵略には及び腰。
これに、江戸氏・小野崎氏(一門に準じる一家同位)がいる。
江戸氏なんかは水戸を押さえていて鹿島郡北部を制圧したりして、臣下といえるのかどうか疑問なほどの大勢力になってる。江戸氏は佐竹に従ったり従わなかったりあいまい。
ちなみに真壁氏や多賀谷氏も洞中の面々。
佐竹を盟主とする同盟の参加者の位置づけ。
厳密にいうと佐竹の臣下ではない。
佐竹の乱とも山入一揆ともいう内乱がなければねぇ。
江戸氏という内患を持たなくてよかったのに。
江戸氏は単独で3,000は出せる。
佐竹氏が力で制圧することは秀吉のお墨付きがないと不可能だったんだよ。
( 2012年04月15日 10:16 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
小田氏治「そろそろワシの話も登場しないかな」
( 2012年04月15日 16:50 )
人間七七四年 | URL | -
猿の威を借る鬼
( 2012年04月15日 22:04 )
人間七七四年 | URL | -
借りなけりゃ猿に潰されて終了
( 2012年04月16日 21:37 )
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