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鬼玄蕃の弟たちのその後

2012年04月19日 21:29

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/19(木) 19:01:26.39 ID:ozqURuq1
賤ヶ岳で秀吉相手に勇猛に戦った、鬼玄蕃こと佐久間盛政には二人の弟、安政と源六があった。

彼らも兄に劣らぬ勇者であり、賤ヶ岳の後も秀吉に反抗し続け、佐々成政に、成政が秀吉に降服した後は
徳川家康に仕えた。
が、天正14年(1586)、秀吉が妹朝日のみならず、母親大政所まで送ってきたことに、家康もついに
秀吉への臣従を決意。そして家康は、安政と源六の二人を呼ぶと、申し訳なさそうにこう語った

「そういうわけで私は、秀吉に従うことと成った。このままわしに仕えては、そなた達の、
秀吉に復讐するという願いは叶わないだろう。
そこでそなたたちさえ良ければ、北條殿に仕えてはどうか?」

家康は重臣の榊原康政を北條に派遣し、わざわざ安政と源六の召し抱えを頼んだ。

北條で、二人は大いに厚遇された。北条氏政は彼らの勇猛さを大いに気に入り、また彼らも、
佐竹義宣との常陸江戸崎の合戦、皆川広輝の籠る下野大平城攻めなどで高名をなした。

しかし天正18年(1590)、秀吉の小田原征伐により、ついに北條も滅びる。

安政は弟源六に言った
「我々はいつも秀吉に背いてきた。小田原にあって6年、既に氏政公は御生涯なされた。
われら兄弟が死ぬ時は今であろう。兵たちは、思い思いに逃がすべし。」
源六もこれに同意したが、しかし家人たちは「我々は黄泉までお供をしたいのです!」と、一人も逃げなかった。

彼らは小田原の自分の屋敷の周りに鉄砲狭間を切り、鉄砲揃えた。戦闘の準備である。
間もなく豊臣軍の接収の兵が来る。彼らは武士らしく、それと戦って討ち死にすることを求めたのだ。

と、そこに一人の武士が、屋敷の方に向かってきた。「豊臣の検使がもう来たか!?」一斉に銃を向ける。ところが
「佐久間殿!わしだ!」「榊原殿!?」
それは榊原康政であった。彼は銃で固めたこの屋敷に臆すること無くつかつかと入ると、佐久間兄弟に
「殿のおっしゃったとおりだ。」「殿?徳川様が!?」「そう、殿はお主たち二人を殊の外ご心配なさっていたのだ。

『このように成ったからには彼らは、もはや死ぬしか無いと思いつめているであろう。しかしわしはまだ、彼らを
死なせたくない』

そうおっしゃって、わしをお主らのところに遣わしたのだ。殿はお主たちに、富士の麓に隠れ家も用意された。
まだ死ぬべき時ではないぞ!生きよ!」

佐久間兄弟は感激し、家康の勧めに従って小田原を退去した。
それからしばらくして、佐久間兄弟が生きている事を知った秀吉は、二人の罪を許し(おそらく家康の口添えがあったのだろう)
その後蒲生氏郷に仕え、蒲生家減封の際、秀吉の直臣と成った。関ヶ原では兄弟揃って家康に従い、石田三成の陣に
勇猛に攻め込んだ。その功で大名となり、隣り合った信濃飯山藩、長沼藩の藩祖と成った。

鬼玄蕃の弟たちの、賤ヶ岳のその後、のお話である
(佐久間軍記)





659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/19(木) 22:47:24.93 ID:hcDwOApk
>>658
何このマンガのようなイイ話( ;∀;)

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/19(木) 23:08:49.96 ID:oFtmBiPu
佐久間兄弟も家康も康政も氏政も、みんなかっけぇ
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    え、普通にいい話? 落ちは?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    皆川広照だよね?照が輝になっテル

  3. 人間七七四年 | URL | -

    一時とはいえ秀吉に仕えたんだ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    2家とも江戸初期に除封になっているんだな…

  5. 人間七七四年 | URL | -

    家康は良くも悪くも律儀者だな・・・

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    ※4の言う通り、兄弟共に長生きしたみたいだが、兄弟共に家に恵まれず
    兄の家は長男勝宗が早世、次男安長も22歳と若くして死んで
    寛永9年に僅か3歳の安次(次男安長の嫡子)が家督を継いだものの
    その子も寛永15年に9歳にして亡くなって血筋が絶えて改易
    同じく弟も長男勝年が父親より先立ってしまったから家督は次男勝友に
    ところが次男勝友も27歳と若くして亡くなったから勝友の嫡子勝豊が僅か8歳で家督を継ぎ
    なんとか勝豊は51まで生きたものの、家督継いだのは
    娘の婿養子秋月種信の五男勝親(氏は佐久間)だから、正式な血筋はここで絶えてる
    で、この人は徳川綱吉の側小姓になるよう言われて、嫌だから仮病使って辞退したらばれて
    けしからんということで完全に佐久間氏改易後、拾われた丹羽長次のところで死去、享年23。

    家の運にはとことん恵まれなかったようだ…合掌。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※のおかげで悪い話になっとる

  8. 人間七七四年 | URL | -

    北条は北條とも書くのか!?
    それにしても波瀾万丈だなぁ…

  9. 人間七七四年 | URL | -

    家康さんの律儀さに惚れた。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    コメ読まなきゃよかった・・・


    家康も氏政も厚遇するぐらいだから武勇だけじゃなく人間的にも良い人たちだったんだろうな

  11. 人間七七四年 | URL | -

    蒲生家出仕の時に畳の縁で転んだ人たちだな
    なぜか記事では名前が変わっちゃってるが

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※6だが、別に悪い話にするつもりはなかったんだ、ごめんよ…
    前に兄弟仲が良かった家の雑談があったけど
    最後まで共に同じ敵討ちを考えて、同じ人に仕えたこの二人がいいかもしれん

  13. 人間七七四年 | URL | -

    別に悪い話でも無いでしょう。単なる事実なのだから。
    それに、武士に取って気に掛けて貰うと言うのは名誉な事
    だろうから、当人達は十分満足してたのではないでしょうか?

  14. 名無しさん@ニュース2ちゃん | URL | -

    そもそも、当人たちが亡くなったあとだしね。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    そうそう。結果だけで見たら工場長のトコだって無くなってるし。
    彼等は精一杯生き抜いた鮮やかな人生だったと、後世の人々の胸に印象深いっていうのもオツなものだ。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉の「人たらし」カリスマはよく語られるけど、家康の人材コレクション振りもハンパないよね。
    敵味方身分の上下関わらず、ちょっとでも気にとめた相手は忘れないというか。

  17. 人間七七四年 | URL | -

    ところで、その佐久間兄弟は子沢山だった記憶があるのだが・・。

  18. 人間七七四年 | URL | -

    確かに子孫は旗本になったりしてるね

  19. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    確か、昔の本は北條と書いてあったような気がするよ

  20. 流石権現様、そこにシビレる憧れる

  21. 人間七七四年 | URL | -

    鬼武蔵「もっと素直になろうぜ!」

  22. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    単に繁体字か新字体(略字)かの違いでは

  23. 人間七七四年 | URL | -

    ※18
    源六の子孫の一人に上杉鷹山がいるね。

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