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天正11年卯月六日・毛利輝元宛足利義昭書状

2012年05月12日 21:02

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 09:16:33.37 ID:DUenkhcI
天正11年(1583)4月、柴田勝家と羽柴秀吉の賤ヶ岳の合戦が進行する中、
備後国は鞆にあった足利義昭が、毛利輝元に対して発した書状


『度々そちらに申し寄越したように、柴田勝家勢が既に北近江まで進出しました。
上方で合戦が起こるのは至急の事だと認識するのが肝要です。
私の方からは小林家孝、今村を上方に遣わしました。
今、この事態に対しもし油断があれば、たちまち後悔する事になるでしょう。

并びに、当家(足利将軍家)の再興はこの時にあります。別して、毛利家が軍勢を上方に出すことを
頼み入ります。

猶、この事については真木島昭光が詳しく話します。

卯月(4月)六日                   義昭(花押)
     毛利右馬頭(輝元)とのへ     』

全く同文のものを吉川元春・元長親子にも送っている。
どうもこれは、柴田勝家を助けるための行動であった模様である。義昭は自身の京都帰還を条件に、
柴田勝家に毛利輝元、徳川家康などを結びつけようとしていたようなのだ。

賤ヶ岳の合戦を前にした、足利義昭の策動の一端である。
(徳山毛利文書)




136 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 09:20:13.08 ID:4jftyOGG
ずれてやがる・・・義昭

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 09:39:05.90 ID:DzEURu8a
輝元「ま~た始まった。さっさと秀吉にこの居候を引き取ってもらおう。」

138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 09:44:49.12 ID:gcWAO0CT
そういえば、光秀が上杉に宛てた
「上様の御上洛を手伝う約束をしてくれてありがとう」
的な手紙が、最近になって実は本能寺の変の時期に書いた手紙だったって説が有力になったらしい
この点から、光秀煽って信長殺させたのは義昭なんじゃないかって
「その時歴史が動いた」で放送してた

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 09:53:35.18 ID:TewGXaFI
歴史が動いたは作家が自分の妄想を披露する番組でしかないような

140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 10:28:23.82 ID:6fw1/gKu
たぶん小牧・長久手の戦いの時にも同じ内容の手紙を出してるんだろうな

142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 11:11:50.64 ID:MQWBSPIs
>>138
その時期に書いたもんだったならそもそも上様って信長のことだったりしねえか?

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 11:16:57.40 ID:qBbek2Ml
>>135
義昭=ルーピーのイメージ

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 11:25:10.71 ID:bJ+qhSHj
義昭の書状って返事も待たずに書き散らかした代物で
後から見た人間が勝手に騒いで遊ぶ玩具以上の物じゃないよなぁ

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 11:59:07.41 ID:gcWAO0CT
>>142
天皇か将軍にしか使われない文章ルールが使われてたからどちらかは確定らしい。
で、天皇が上洛って意味不明だから消去法で義昭宛って事を言ってた

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 13:35:37.74 ID:WKdDn7Jl
義昭はアフォって言うよりインケツって感じ。
信長包囲網とか、たまたま信玄が死ななければ、成功したんじゃないかな。

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 14:19:43.80 ID:pKSFgug4
信玄が死んだ時はすでに瓦解してただろ。

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 14:38:01.07 ID:DzEURu8a
朝倉が退いて包囲網の瓦解が確定したから信玄ブチ切れしてたよね

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 14:48:08.00 ID:gcWAO0CT
それ以前にも信長死にそうだったじゃん
秀吉光秀のチート家臣コンビのお蔭で助かったけど

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 16:09:35.85 ID:CtL9kiUh
つまり信玄なんていらんかったんや!
ってか信玄が死んだ後に義昭は挙兵する、という全く情報収集を欠いた姿勢で自滅しとるよね。

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 16:14:53.12 ID:CtL9kiUh
>>149
志賀の陣のことなら、その二人は決定的働きしてないよ。
朝倉びいきの江戸期の軍談だと信長の土下座外交が決め手。
当時資料だと、帰路が雪に閉ざされる朝倉軍が根を上げて義昭に頼んで和睦。

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 16:15:27.51 ID:1gZWadSc
一向宗と畿内の諸大名との間に渡りをつけることができたら織田家を妥当できたかもね
とはいえ、現実には包囲網もずさんで連合の実質的な盟主として活躍していたとは言い難い
情報収集力のみならず調整力の欠如からして、将軍の器ではなかったのだろう

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/12(土) 17:01:31.97 ID:dj0URJpg
そんな器量あれば幽斎様が離反しなかったろう
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    インケツってなんだ?
    まさか陰険か?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    前後の文を読むととにかく間抜けって印象だけど、何だろ。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    せめてググれよ。
    ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%84

  4. 人間七七四年 | URL | -

    すまん。
    こんな俗語が存在するとさえ思わなかった。

  5. ※4 | URL | -

    勿論反省してます。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    自分もわからんかった。ちょっと門番斬ってくる

  7. 人間七七四年 | URL | -

    その時歴史が動いたって古いなー。
    今は歴史秘話ヒストリアやんね?
    俺はライバル日本史とか堂々日本史から見てるけど、あれってどうなん?
    長篠の戦いの鉄砲三段撃ちを否定する説を唱える小和田さんに通説の長篠の戦いを解説させるってなんか吹いたw

  8. 人間七七四年 | URL | -

    この時の義昭にどれほどのことが出来ようか…

  9. 人間七七四年 | URL | -

    俺は何故か小学生の頃に伝記の足利義昭を読んで以来、義昭贔屓になった

    自分も3人兄弟だから兄貴と弟殺されて孤軍奮闘する義昭に同情してしまった(´;ω;`)

    しかし義昭やら早雲やら島津義久やらコアなラインナップの伝記シリーズだったなあれは

  10. 人間七七四年 | URL | -

    義昭さんも、生まれた時代が悪かったのかな?
    例え信長さんに逆らったとしても畿内を見る
    限り、どう考えても協調性のある連中が居ないw

  11. 名無しさん@ニュース2ちゃん | URL | -

    義昭は結構頑張ったんじゃないか?
    大人しく信長の傀儡やってれば利口だったとでも言うの?

  12. 人間七七四年 | URL | -

    >11さん
    >大人しく信長の傀儡やってれば利口だったとでも言うの?
    残念ですが結果が全てです。
    義昭さんは決して無能では無かったとは思います。
    ですが、反乱起こしてその後どうしたかったのか?どうできるのか?
    全く見えて来ないのも事実かと思われます。

    どれだけ教養が有っても、武力が備わって居ても、大将として負けれ
    ばそれまで。利口かどうかじゃ無いと思います。
    ただ、どう考えても足利幕府に将来性はありません。
    信長さんで無くても、いずれ違う形で地位を譲った筈です。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    義昭は足利将軍の権威が地に落ちてるのを知らない身の程知らずだからどうみても利口ではない

  14. 人間七七四年 | URL | bH1htKmU

    地に墜ちてる訳ではないよ

    元々足利さん家は他人任せだから(他人に戦わせる、言うなれば利用する感じ。その分相手も足利さん家のネームバリューを利用するけど)

    その証拠に包囲網出来た訳で…包囲網の動きがちぐはぐなのは気にしてはいけないw

    どっちかって言うと義輝お兄ちゃんよりも足利将軍らしい足利将軍な気がする

  15. 人間七七四年 | URL | -

    義昭は、もう詰んでるゲームで、最後まで健闘したというイメージだなぁ。
    結局、織田家がボロボロになったあとは京で悠々自適な生活だったようだし、
    あの時代だったら、勝ち組と言っても言い過ぎじゃないような気がする。

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