206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/19(土) 01:33:04.39 ID:t3vmqEb3
↓と関連するエピソード。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5103.html
徳川家康暗殺疑惑によって配流された大野治長であったが、
関ヶ原の戦いでは許しを得て東軍として従軍した。
戦が始まり、治長は先陣に馳せて首級をあげたところ、
徳川家康は「匠作これへ」と言って、その武功を慰労し、
「もはや先手に進むに及ばず」と、板部岡江雪斎とともに
治長を本陣に留めた。
この時、首の主が誰なのか誰も知らなかったのだが、
後になって実は宇喜多家の高知七郎左衛門という者だと
いうことがわかった。
その事を知った家康は「それほど名のある者であったなら、
あの時、しかと見ておくべきであった」と言ったので、
「治長は首ひとつで二度も御賞詞を賜った」と人々は
みな羨んだという。
207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/19(土) 02:08:05.83 ID:opiH/Kk6
>>206
河内七郎右衛門と高知七郎左衛門って微妙に名前が変わってるんだな
211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/19(土) 10:02:16.06 ID:JVYz1Rh4
>>207
河内と高知は同じ「こうち」と読めるけど
右衛門と左衛門では全く逆になってるねw
↓と関連するエピソード。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5103.html
徳川家康暗殺疑惑によって配流された大野治長であったが、
関ヶ原の戦いでは許しを得て東軍として従軍した。
戦が始まり、治長は先陣に馳せて首級をあげたところ、
徳川家康は「匠作これへ」と言って、その武功を慰労し、
「もはや先手に進むに及ばず」と、板部岡江雪斎とともに
治長を本陣に留めた。
この時、首の主が誰なのか誰も知らなかったのだが、
後になって実は宇喜多家の高知七郎左衛門という者だと
いうことがわかった。
その事を知った家康は「それほど名のある者であったなら、
あの時、しかと見ておくべきであった」と言ったので、
「治長は首ひとつで二度も御賞詞を賜った」と人々は
みな羨んだという。
207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/19(土) 02:08:05.83 ID:opiH/Kk6
>>206
河内七郎右衛門と高知七郎左衛門って微妙に名前が変わってるんだな
211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/19(土) 10:02:16.06 ID:JVYz1Rh4
>>207
河内と高知は同じ「こうち」と読めるけど
右衛門と左衛門では全く逆になってるねw
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コメント
人間七七四年 | URL | -
弟の治胤も武勲話があってそこそこ武張った家のはずなのに
小説や特に映像ものだと稚小姓上がりっぽい腺病質で嫌味ばかり言う
うらなりに描かれるのはなんでだろう?
( 2012年05月20日 10:43 )
人間七七四年 | URL | -
葉隠に堺で焼き殺されたあと、検死のために近づいてきた徳川方の侍を刺してそのまま灰になって崩れ落ちたって逸話もあるのにね、治胤。
やっぱり結果論とは言え堺焼き打ちしちゃったのが悪評価の原因なのかな。
( 2012年05月20日 11:36 )
人間七七四年 | URL | -
どうしても文官系の仕事の多い武将は、武が低く見られがちですね。
同じく三成さん・且元さんも、武に関して賤ヶ岳位と見られてますね。
吉継さんも秀吉からの評価は高いけど、やはり文官寄りだし。
実際武将である以上、有る程度の武芸は心得てるとは思います。
( 2012年05月20日 12:25 )
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