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井伊直政狙撃、もう一つの説

2012年06月17日 21:07

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/16(土) 22:54:19.35 ID:F7hrRrZD
学研新書『関ヶ原島津退き口』より感慨深かった話。

関ヶ原。島津が与した西軍敗退が決し、島津ステガマリが決行された。

騎乗した島津義弘を真ん中に2百人ばかりが退いているのを井伊直政が見かけ
「兵庫頭(義弘)と組み候はん」と、退却している義弘主従に猛然と攻め入ったところ、
約9メートル離れた所から島津家重臣の郎党だった柏木源藤に右腕を狙撃された(慶長記)

直政狙撃に関するもう一つの説(帖佐彦左衛門宗辰覚書)

石田三成が敗走して島津の陣所が東軍に囲まれた中で義弘の本陣60人が一所に集まり
一合戦しようと決めている時に
直政が騎乗して押し寄せて来た。
敵の大将、井伊侍従殿が黒馬に大総を掛け、白糸威に小銀杏前立を付けた甲を着けて
長刀を抱えて片手を手綱にかけ、義弘様の御前近くまで迫り大声で
「どうして手間取っているっ!兵庫を打て!」と叫んだところ、源藤が進み出て来て狙撃した。

弾は鎧の右脇に当たったが頑丈だった為はね返り右腕に当たり苦痛のため落馬した。

―その後日談―

島津は直政を頼り、直政は戦後、家康と島津の和睦交渉に奔走する。
翌年3月には義久の上京を促し、
「何のお気遣い無用、秘密の約束や隠し事もありません」と自分が島津家の為に働く事を伝えている。
そして直政自身が島津の退き口を絶賛している。

そして直政を負傷させ前途を阻んでいた井伊勢が崩れたために義弘主従の窮地を救う大手柄を立てた
柏木源藤、当時22歳の若武者のその後…

大手柄の影響か義弘の隠居所である加治木に住み、義弘の直臣となって出仕したが
しかしその後は何故か不遇で町人になり子孫も断絶した。
関ヶ原から2年後、自らが狙撃した直政の死去を知ると悲嘆した。
鹿児島市内の南林寺に江戸中期に建立された源藤の供養塔があるが、その由緒書には
「弔死の志をもって黒染の法衣を身にまとい、廻国修行に郷関を出しが、また帰らず、
その終焉の地、果たして何処なるか、勇士の末路、憐れにもまた遺憾なり」とある。




910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/16(土) 23:30:40.83 ID:UuZIJ+MT
>>908
戦では命を奪い合い戦が終われば敵も味方も関係無しか
それにしても直政は男振りがいいな

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 07:37:37.91 ID:2O2EnOAv
「平八、>>910を討て」

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 07:56:54.00 ID:b9q6evXc
島津は領国の地理的に運がよかったのもあるな
丹波くらい近ければ普通に攻められただろうし

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 08:15:19.50 ID:H2CS2rcg
戦場で打った当時の敵が死んだことにより24歳で出家とは
しかも関ヶ原から2年経ってる

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 10:10:39.56 ID:I7L15ooP
至近距離から撃たれた鉄砲の弾を跳ね返す直政の鎧すごいな

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 11:07:31.55 ID:KBSkTb8t
平八郎は生身で跳ね返してたんでしょ?

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 13:04:57.04 ID:s0hhGPlQ
平八郎「当たらなければどうということはない」

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 13:13:56.28 ID:N/6T/trU
東郷ターンをしたのはそのためか

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 13:40:12.55 ID:ga2o/mTL
>>913
それだけ島津の中で和睦交渉に尽力してくれた
ひこにゃんパパの存在が大きくなってたということだろな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    井伊直政の直接の死因が実は過労死だったというのは内緒な

  2. 人間七七四年 | URL | -

    井伊直政の直接の死因が実は過労死だったというのは内緒な

  3. 人間七七四年 | URL | -

    島津和睦を、面倒くさい三河武士達に納得させるのは大変だっただろうな

    しかし、直政撃った人がそこまで不遇になったのはなんなんだろうな
    味方にしてみれば、関ケ原敗戦後の厄介な腫れ物扱いだったんだろうか
    直臣にまでなったからそれは無いと思うが、元々が駄目な人で
    関ケ原以降は何の手柄も立てられなかったか、主君や目上に礼儀を欠いたか…?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    こういうのもあるのに、軽くて動きやすい鎧なら怪我しないよ!っていう平八さんパネェ。
    てか子孫が町人になったのってまだ24歳なのに出家して諸国放浪したからじゃないの?

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    大事な事だから2度言ったんだなw

    まあ、「働きマン」井伊直政 だからなぁ

  6. 人間七七四年 | URL | -

    平八郎はこの時に愛馬・三国黒を討たれたて落馬したんだっけ?

  7. 人間七七四年 | URL | -

    熊谷直実「わかるなぁ、その気持ち・・・」

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    頼朝「落馬したのに生涯無傷だっただと…?そんな馬鹿な!」

  9. 人間七七四年 | URL | -

    なんか、男気と哀感のある歴史小説が書けそうな逸話だ…。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    >島津ステガマリ
    何故カタカナにしたw何か別の必殺技の様に見えるw

  11. 人間七七四年 | URL | -

    しかし、関ヶ原で活躍した薩摩武士のその後って似た話多い気がする

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ステマ狩りと空目した

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※12
    必死こいて悪質アフィサイトを炎上させてる薩摩武士を連想してフイタw

  14. 人間七七四年 | URL | -

    >直政撃った人がそこまで不遇になった
    普通に考えて家康への配慮だろ
    対島津では好戦的だったからな
    つまり、所領安堵と引き換えになった男。。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    >>14
    下級武士追放で領地安堵?
    で、それが家康への配慮・・・

    ギャグでも書かない方がいいよ、そんな与太話

  16. 人間七七四年 | URL | -

    >>15
    書かない方がいいwww
    言論封殺乙
    中韓行ってきた方がいいよ君ww

  17. 人間七七四年 | URL | -

    >>16

    今更言うのもなんだが、こいつ本当に頭悪いんだろうな

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