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この謙信、あえて慮外は言わぬ

2012年07月01日 21:06

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 00:19:20.94 ID:KIbXmFfR
永禄4年、甲州の穴山梅雪の許より越後北庄の亀峯寺まで、空庵という僧が派遣された。彼は
上杉謙信家中にこの様な梅雪の意向を伝えた

『近年、信玄公は庶子の伊奈四郎勝頼君を愛され、御惣領の太郎義信君を疎まれておられます。
このため武田家中は二派に分かれ、今にも内戦に及ばんとしております。

何卒、謙信公は義信君を慈しませられ、御養子としてお取り立てあられるならば、微力ながらこの梅雪も
謙信公に従い御旗本に参り申します。そして更科よりお取次ぎがありませば、信州一円はご自身で動かれる
までもなく手に入り、また多年ご宿願である村上義清殿の領地へのご帰還も、事もなく果たすことが
出来るでしょう。

義信君をご援助の事、偏に頼み参らせます。』

これを聞いた謙信の近習、諸角喜助、本郷八左衛門、及び旗本七手組の面々は、甲州に介入する
良い便宜を得たと喜び、早速この事を謙信に報告した。
報告を受けた謙信は梅雪からの使僧、空庵を御前に召し出し、改めて来意を問いただした後、形を改め
こう言い渡した

「御坊、よく聞いて梅雪に伝えられよ。
義信の便宜を以って信州をとれとの儀、この謙信、一向に合点が参らぬ。
是非を論ずる場合において、人手を借りる謙信ではない!
特に子として親に歯向かうなど、不所存この上ない儀と心得る!

義信殿は未だ若年である故もあろうが、梅雪程の老巧者がなにゆえこの様なウツケたる事を言い出すのか。
それも身の拠り所が無い程であるから頼み入るとの話ですらない。

この謙信、あえて慮外は言わぬ。御坊の黒衣を尊重して、この度は無事に帰す。
しかし重ねてこの様な事を言ってくるのなら、その時は容赦致さぬぞ!」

これには空庵も色を失い、這々の体で甲州に帰っていったとのことである。
上杉謙信言行録)





262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 00:34:11.29 ID:v8TTcLMV
>義信殿は未だ若年である故もあろうが、梅雪程の老巧者がなにゆえこの様なウツケたる事を言い出すのか。

いやまあ逸話に突っ込むのも野暮だけど
義信のほうが梅雪より歳上だよね

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 00:45:30.40 ID:o2kP2EXK
>>262
そうなのかと思ってwiki見てみたら・・・

武田義信(1538年生誕)
穴山信君(1541年生誕)

今の今まで知らなかったw


264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 01:16:35.46 ID:qokirKKi
梅雪は、義信の妹のだんなだから、義信から見れば義理の弟だよね
永禄4年って第4次川中島合戦の年だけど、このころ梅雪20歳くらいか…
なかなか無茶苦茶な逸話だ

上杉謙信言行録って大正時代に成立した書籍らしいけど、
元ネタが明記されてないから怪しさ爆発してる
序文を見ると著者が
「英雄豪傑のことというと、兎角誤った話が伝えられている。
(中略)、態と誇張したり、潤色を加えたりするので、とんでもない間違ったものとなってしまったのである。
それを確かめるには記録や文書による他ないが、それは史家の任務で、研究結果も乾燥無味で
趣味性の読み物としては、ふさわしくない。
かといって、私は史料を離れて、雑書の説に盲従したのではない。
研鑽して得られるものは子細に研鑽し、事実と認めたところは雑書をも採用しているのである。
煙の立つところには必ず火がある。」
とか言ってる

なんだこのスレと同じことしてるだけかw

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 04:45:03.30 ID:apRfMBK6
梅雪っていう法名がいかにも年寄りっぽく見えるんだよな

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 06:36:09.14 ID:gqw7mYFI
三斎なんて若々しくて良いんじゃないか?


268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/01(日) 07:16:22.22 ID:Jp8Ke8at
逸話の元ネタがあったとするなら誰か別の人物から『裏切り者の老臣』イメージの穴山に
置き換わったというのはあるかな。
義信事件に穴山氏も関わってた可能性もあるみたいなので一族の年長の誰かとか
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    勝頼は信玄からの後押しが今一つ、というイメージがあったから、この話は新鮮。
    それだけに出典の史料価値がスレ内で否定されていて、ちょっとがっかり。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    時期的、立場的に穴山との入れ替わりがあり得るとしたら勝沼信元だろうな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    勝沼さんなら、かなり嫌な話にかわるよな。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    この著者酷いなw有る意味凄いのかな?www

  5. 人間七七四年 | URL | -

    米4
    信用できないからと言って無視するのではなく、まずは玉石取り混ぜて考証しようってことだろ。
    すごくまともなこと言ってる。

    甲陽軍鑑だって完全に馬鹿にされた時代もあった。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    仮にこの話の通りなら勝頼を陣代なんて中途半端な地位に就けないで、諏訪家から武田に戻してでも家督譲ってただろうな。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    >>2の言うように時期的には勝沼信元のような気がする。この頃信君は二十歳そこそこでとても老巧という年でもない。信元処分の理由がこれの露見なら辻褄も合ってる。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    でも勝沼信元は第四次川中島の前に討たれてるよね。この逸話は永禄四年だから時期が合わない。
    ま、逸話の伝える年が信用できるかはわからんが…

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