505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 20:01:51.45 ID:rf3Ug6Rg
『日本人イルマンがパンタリヤン(田原親盛・大友宗麟三男)の城に於いて説教を行なっていた時、
豊後国の大身の一人の兄弟にて、名を式部殿と呼ぶ武士がこの場所にあって、ことごとく説教を聴き終わった後
洗礼を受け、バスチャンという名を与えられた。
翌日彼はパードレ・ペロ・ゴメスと日本人イルマン一人を伴ってその家に帰り、直ちにその妻と家族及び
家人一同に説教を聞かせ、約80人に洗礼を受けさせた。
また、このパンタリヤンの城において、偶然彼を訪問していた青年武士が一人キリシタンとなった。
彼については特に報ずるべき事件が起きた。
シマンと名付けられたこの青年は、説教を聞くと熱意に満ち、偶像を崇拝していた過去を恥じて、次の手段によって
これを改める決心をした。すなわち洗礼を受けた後、その家に戻らず、直ちに領内の町村に行って、同所にある
寺院に火を放ったのだ。
この事は突然行われたので、坊主も俗人も驚き、火災が甚だしいため、住民は彼が豊後の王(大友宗麟)に叛いたか、
あるいはその地が敵の手に落ちたものかと考えた。
彼は領内にある、彼の父の兄の寺院に至ると人を遣わして、
「私は既にキリシタンになったことにより、その領内における神仏の愚行を容認することが出来ない。
しかしこの寺院は叔父上のものであるのであえてこれを焼却しないが、叔父上が自ら命じてこれを焼き払われる
事を望む」
との旨を伝えた。叔父はこれに返答をせず、異教徒である親類及びその兵士とともにこの寺院を守る決意を固めた。
この叔父の態度にシマンは大いに怒り、彼を殺すことを決心し、必ずその首を取ると言い放った。
叔父は偶像崇拝の保護者たる親賢(田原親賢:大友宗麟の妻奈多夫人の兄。反キリスト教)に頼り事の顛末を
伝えた。この事は神仏を守ることであると田原親賢はこの要請を引き受け
「怖れるには及ばない!私自ら保護に当たろう!」
と宣言した。それでも青年は叔父を殺す決心を動かさず、また田原親賢は既に約束した事によりこの叔父を守ろうとした。
しかしその田原親賢の婿であるパンタリヤン(田原親盛)は、こと信仰に関することであるので青年に好意を寄せ、シマンの
許に人を遣わして、この問題においては感情的にならず、道理によって処置すべきだ。もしその結果によってあなたに
見の危険が迫ることがあれば生命をかけて防ぐ。そう伝えた。
(中略)
その後パンタリヤンはパードレ・ペロ・ゴメスに使者を遣わし、シマンとその叔父のことは既に解決し、二人の裁判官を定め
その正当と認める所に従うよう伝え、裁判官たちは田原親賢が約束を破棄し叔父を保護せず、またこれを臣下とせず
国外に追放し再び入国することを許さず、その所領の半分を没収し、残りの半分はその子に与えると決定した。
その後パードレはシマンがその家臣約2000人をキリシタンにしようと切望していると聞いた。しかし全員をキリシタンにすれば
労役者が不足するので来れをするのは不可能であった。(キリシタンは労役義務を免除されていたようだ)
シマンは信仰のことに甚だ熱心であり、たとえ世子(大友義統)が反対の命令を下しても、既に説教を聞いた上は
必ず洗礼を受けると言い、ついにこれを受けた。』
大友宗麟の時代の、豊後で起こったキリスト教絡みの騒動の一つである
(天正12年・日本耶蘇会年報)
512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 06:54:03.49 ID:zz3tN4If
>>505
キリシタンは労役を免除されてたのか
これはメリットあるな
『日本人イルマンがパンタリヤン(田原親盛・大友宗麟三男)の城に於いて説教を行なっていた時、
豊後国の大身の一人の兄弟にて、名を式部殿と呼ぶ武士がこの場所にあって、ことごとく説教を聴き終わった後
洗礼を受け、バスチャンという名を与えられた。
翌日彼はパードレ・ペロ・ゴメスと日本人イルマン一人を伴ってその家に帰り、直ちにその妻と家族及び
家人一同に説教を聞かせ、約80人に洗礼を受けさせた。
また、このパンタリヤンの城において、偶然彼を訪問していた青年武士が一人キリシタンとなった。
彼については特に報ずるべき事件が起きた。
シマンと名付けられたこの青年は、説教を聞くと熱意に満ち、偶像を崇拝していた過去を恥じて、次の手段によって
これを改める決心をした。すなわち洗礼を受けた後、その家に戻らず、直ちに領内の町村に行って、同所にある
寺院に火を放ったのだ。
この事は突然行われたので、坊主も俗人も驚き、火災が甚だしいため、住民は彼が豊後の王(大友宗麟)に叛いたか、
あるいはその地が敵の手に落ちたものかと考えた。
彼は領内にある、彼の父の兄の寺院に至ると人を遣わして、
「私は既にキリシタンになったことにより、その領内における神仏の愚行を容認することが出来ない。
しかしこの寺院は叔父上のものであるのであえてこれを焼却しないが、叔父上が自ら命じてこれを焼き払われる
事を望む」
との旨を伝えた。叔父はこれに返答をせず、異教徒である親類及びその兵士とともにこの寺院を守る決意を固めた。
この叔父の態度にシマンは大いに怒り、彼を殺すことを決心し、必ずその首を取ると言い放った。
叔父は偶像崇拝の保護者たる親賢(田原親賢:大友宗麟の妻奈多夫人の兄。反キリスト教)に頼り事の顛末を
伝えた。この事は神仏を守ることであると田原親賢はこの要請を引き受け
「怖れるには及ばない!私自ら保護に当たろう!」
と宣言した。それでも青年は叔父を殺す決心を動かさず、また田原親賢は既に約束した事によりこの叔父を守ろうとした。
しかしその田原親賢の婿であるパンタリヤン(田原親盛)は、こと信仰に関することであるので青年に好意を寄せ、シマンの
許に人を遣わして、この問題においては感情的にならず、道理によって処置すべきだ。もしその結果によってあなたに
見の危険が迫ることがあれば生命をかけて防ぐ。そう伝えた。
(中略)
その後パンタリヤンはパードレ・ペロ・ゴメスに使者を遣わし、シマンとその叔父のことは既に解決し、二人の裁判官を定め
その正当と認める所に従うよう伝え、裁判官たちは田原親賢が約束を破棄し叔父を保護せず、またこれを臣下とせず
国外に追放し再び入国することを許さず、その所領の半分を没収し、残りの半分はその子に与えると決定した。
その後パードレはシマンがその家臣約2000人をキリシタンにしようと切望していると聞いた。しかし全員をキリシタンにすれば
労役者が不足するので来れをするのは不可能であった。(キリシタンは労役義務を免除されていたようだ)
シマンは信仰のことに甚だ熱心であり、たとえ世子(大友義統)が反対の命令を下しても、既に説教を聞いた上は
必ず洗礼を受けると言い、ついにこれを受けた。』
大友宗麟の時代の、豊後で起こったキリスト教絡みの騒動の一つである
(天正12年・日本耶蘇会年報)
512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 06:54:03.49 ID:zz3tN4If
>>505
キリシタンは労役を免除されてたのか
これはメリットあるな
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コメント
人間七七四年 | URL | -
毎度の事だが極端すぎだろキリシタンになったからって
寺や神社を焼く理由が分からん、後の迫害の原因にしか
ならんだろうに何故ここまでするのやら
( 2012年07月13日 21:17 )
人間七七四年 | URL | -
十字架やマリア像に祈るのは偶像崇拝ではないのでしょうか?
( 2012年07月13日 21:31 )
人間七七四年 | URL | -
偶像崇拝禁じているなら踏み絵しても問題ない気がするんだが
( 2012年07月13日 22:15 )
人間七七四年 | URL | -
管理人さんタイトルで青年武士の名前が天元突破してる
( 2012年07月13日 23:41 )
人間七七四年 | URL | -
>しかし全員をキリシタンにすれば
労役者が不足するので来れをするのは不可能であった。
(キリシタンは労役義務を免除されていたようだ)
キリシタンに転向した直後に寺を焼き討ちするような
直情径行な乱暴をした後に、
こんな部分で理性を働かせているのが何とも憎たらしい。
まあ本当に全員改宗させればよかったわけでもないんだけど。
( 2012年07月14日 00:21 )
人間七七四年 | URL | -
ひどいな 過激な新興宗教にハマっちゃった人にしか見えん
( 2012年07月14日 02:21 )
まとめ管理人 | URL | wZ.hFnaU
※4
あらまw;ご指摘ありがとうございます。直しておきましたー!
( 2012年07月14日 08:10 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
マリアの像や絵はイコンだから偶像崇拝じゃない。ないったらない
( 2012年07月14日 09:16 )
人間七七四年 | URL | -
こう言う押し付けがましい信仰者程はた迷惑な事は無いな。
熱心に宗教を信じるのは結構だが、他人に押し付ける奴や
他の宗教排除とか言い出すから、宗教=危ないって見方が
される事が起こるんだよ。
その点、現代社会の日本の宗教感覚って恵まれてるんだね。
( 2012年07月14日 10:20 )
人間七七四年 | URL | -
>(キリシタンは労役義務を免除されていたようだ)
ぶっちゃけコレ目当てで洗礼受けた人多そう。
昔の私度僧みたいな感じで。
( 2012年07月14日 11:31 )
人間七七四年 | URL | -
にしても本当、宗麟がキリスト教に傾倒してからの大友(豊後)は色々酷いな…
いや宗麟ちに限った話じゃないが、大友三代の生涯がああだから、余計酷く感じるのかもしれないけど…
( 2012年07月14日 11:47 )
人間七七四年 | URL | -
※9
まぁ当時尖鋭的だった一部宗派も丸くなってるのが現代だしね
( 2012年07月14日 15:05 )
人間七七四年 | URL | -
戦国時代の信仰は激しいよね。
天文法華の乱やら一向一揆やら。
( 2012年07月14日 21:37 )
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