777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 18:22:59.77 ID:jcvCqkK7
徳川家康が織田信長と同盟を結ぶために清洲城へやって来た時、
その行装を見物しようと尾張の人々が城門の辺りに集まって騒がしくなった。
この時、長刀を持って供奉していたわずか十四歳の本多平八郎忠勝が
「元康が両国のよしみを結ぶためにやって来たというのに、汝ら何故このような
ふざけた真似をする!」と一喝すると、その猛威に恐れて群衆は静まった。
本丸へ入るという時、植村新六郎が刀をかかげて家康の後に従っているのを見た
信長の家人が「そのような物を持って入ってくるとは、一体何者だ!」と咎めたところ、
新六郎は「松平の家臣、植村新六でござる。主君の刀を持って従っているだけだ。
何を咎めるか!」と反論した。それを聞いた信長は「新六が参ったか。彼の者は
かくれなき勇士だ。くれぐれも無礼があってはならぬぞ」と言った。
その後、同盟がなった後の様々な催しの時、信長は新六郎を呼び出し「今日初めて汝の
勇気を見たが、鴻門の会の樊カイにもまさっておったぞ」といたく賞賛したという。
新六郎は幼年より多くの戦功をはげみ忠勤も怠らず、御家号を賜るかというほどであったが、
植村の姓は他国にも知られ、徳川にとっても誇るべきものだったので、一字を与えられて
家政(のち家存)とし、軍扇と一文字の刀を与えられ、直参の徒三十騎を付けられたという。
793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/01(水) 15:18:14.52 ID:YVFkyYlK
>>777
新六郎はともかく合戦や外交行列には付き物の
見物の衆に突然ぶち切れる忠勝は何なんだw
794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/01(水) 15:21:13.45 ID:1H29ZaN/
まあぶっちゃけると清洲同盟の時の信長と家康の会盟というのは、実際には存在しなかったとされているw
三国同盟の善得寺会盟と一緒やね。
795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/01(水) 16:15:19.52 ID:dj1Fvg5z
>>793
戦国時代の見物客だからな・・・・
『みきゃーのとのさんがきとるらしーわ
おださんよりはちいーさー家らしーよーニヤニヤ
ちょーと見にいったろみゃーかニヤニヤ』
な態度丸出しでジロジロ見てたとか
796 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/08/01(水) 17:10:42.69 ID:ObEW6HMJ
忠興「見たくらいでそんなに怒らなくたっていいのに。」
徳川家康が織田信長と同盟を結ぶために清洲城へやって来た時、
その行装を見物しようと尾張の人々が城門の辺りに集まって騒がしくなった。
この時、長刀を持って供奉していたわずか十四歳の本多平八郎忠勝が
「元康が両国のよしみを結ぶためにやって来たというのに、汝ら何故このような
ふざけた真似をする!」と一喝すると、その猛威に恐れて群衆は静まった。
本丸へ入るという時、植村新六郎が刀をかかげて家康の後に従っているのを見た
信長の家人が「そのような物を持って入ってくるとは、一体何者だ!」と咎めたところ、
新六郎は「松平の家臣、植村新六でござる。主君の刀を持って従っているだけだ。
何を咎めるか!」と反論した。それを聞いた信長は「新六が参ったか。彼の者は
かくれなき勇士だ。くれぐれも無礼があってはならぬぞ」と言った。
その後、同盟がなった後の様々な催しの時、信長は新六郎を呼び出し「今日初めて汝の
勇気を見たが、鴻門の会の樊カイにもまさっておったぞ」といたく賞賛したという。
新六郎は幼年より多くの戦功をはげみ忠勤も怠らず、御家号を賜るかというほどであったが、
植村の姓は他国にも知られ、徳川にとっても誇るべきものだったので、一字を与えられて
家政(のち家存)とし、軍扇と一文字の刀を与えられ、直参の徒三十騎を付けられたという。
793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/01(水) 15:18:14.52 ID:YVFkyYlK
>>777
新六郎はともかく合戦や外交行列には付き物の
見物の衆に突然ぶち切れる忠勝は何なんだw
794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/01(水) 15:21:13.45 ID:1H29ZaN/
まあぶっちゃけると清洲同盟の時の信長と家康の会盟というのは、実際には存在しなかったとされているw
三国同盟の善得寺会盟と一緒やね。
795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/01(水) 16:15:19.52 ID:dj1Fvg5z
>>793
戦国時代の見物客だからな・・・・
『みきゃーのとのさんがきとるらしーわ
おださんよりはちいーさー家らしーよーニヤニヤ
ちょーと見にいったろみゃーかニヤニヤ』
な態度丸出しでジロジロ見てたとか
796 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/08/01(水) 17:10:42.69 ID:ObEW6HMJ
忠興「見たくらいでそんなに怒らなくたっていいのに。」
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コメント
うむ | URL | -
斬馬剣新六郎って小説にとりあげられてる人&エピソードよね。
それにしても忠勝(14)、今風に再現すると
「オラァ!徳川さんナメてんのか!あぁ!?殺すぞゴルァ!!」
っててこか。ただのヤンキーですなあ。ただし殺人経験のある。
( 2012年07月31日 21:39 )
人間七七四年 | URL | sSHoJftA
無礼な野次馬どやしつけるのと、誰彼かまわず威圧しようといきがるのってぜんぜん違くね?
( 2012年07月31日 23:36 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
殺る気だったんですか信長の旦那>「鴻門の会の樊カイにもまさっておった」
( 2012年07月31日 23:37 )
人間七七四年 | URL | -
家康が忠臣マニアなのは周知のことだけど、信長も相当好きだよね
( 2012年08月01日 08:14 )
人間七七四年 | URL | -
※4
でもどっちかっていうと曹操みたいだいだよな
他人の家臣羨ましがるところ見ると
( 2012年08月01日 13:32 )
人間七七四年 | URL | -
信長が樊カイを知ってる
史記なんか読んでたのかな?
( 2012年08月01日 14:30 )
人間七七四年 | URL | -
イケメンで男女から大人気の劉邦が2mの大男で一人で数百人を倒せるほどの剛勇無双である項籍の猛りを諌めるためにこうもんの会なるものが開かれたとなればそりゃ読むでしょうよ
( 2012年08月01日 15:11 )
人間七七四年 | URL | -
米6
意外かな?
この時代、一国の主クラスなら主要な中国古典は自ら読むか、御伽衆や親交のある僧、儒者に聞かされてるはず
( 2012年08月01日 20:57 )
人間七七四年 | URL | -
武田信玄「まぁ孫子にある風林火山もワシが初めてだしな(笑)」
??「嘘だ・・・それは俺が・・・」
( 2012年08月01日 23:19 )
人間七七四年 | URL | -
鎮守府大将軍乙
( 2012年08月02日 01:27 )
人間七七四年 | URL | m.2.LkcQ
平八が急に怒り出したのは、織田家人質時代の家康を知ってる連中が
「家康は子供の頃イケメンだった。それがあんなチビデブに…?ひょっとして偽者かも」
って言ったのが広まって、一時見物人がパニック状態になったからだよ。
>>6
信長は結構史記オタク・中国歴史オタク。
安土城天守閣最上階の部屋の襖絵は孔子十哲だったし、浅井長政親子の頭蓋骨を杯にして酒を飲んだという伝説も、
実際に頭蓋骨を漆塗りして金箔張り付けて正月の宴会に出した話と、史記の『知伯と趙襄子』のエピソードが混ざったモノ。
秀吉が高松城をわざわざ水攻めにしたのも、この知伯と趙襄子の真似で、
早い話、史記好きの信長のご機嫌取りの為にやったんだよ。
だから信長はあんなに大切にしてた家康の接待を放り出して、大興奮で秀吉のトコロに行こうとしたんだし、
もしかすると、明智光秀は「ゴマスリでは秀吉には絶対勝てない」と痛感して謀叛を起こしたのカモ知れない。
( 2012年08月10日 18:42 [Edit] )
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