FC2ブログ

「これは普段の侍従殿に似合わぬ死狂の仰せ」

2012年08月25日 20:53

221 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/08/24(金) 23:37:17.04 ID:wjcuKhHe
1599年正月、藤堂高虎が伏見の家康邸に急行して大坂の不穏な動きを告げに来た。
有馬の猿楽興行に招かれて不在の家康に代わり井伊直政が応対に出た。
話を聞くと直ちに有馬邸の家康に告げ、家康もすぐに邸に帰ったが別に驚いた様子も無かった。
それから3日後に大坂から使者がやって来て家康逆心の気配有るを譴責した。

京大坂の空気は一気に戦争状態となった。
その頃、伏見の闇に家康生害の噂が流れた。
これは大坂より問責された家康が自刃したと事情を知らない人々が早合点した単なる流言だが
これには流石の家康も驚き訳を聞こうと世情に通じる直政を呼び付けたが
いつも傍近くに居る筈の直政は外に出ていないという。
小半刻し早馬で直政が帰館した。
「この物騒な最中に、何処へ行っておったのじゃ」家康が咎める。
「殿が御生害したなどととんでもない噂をわめく者がおりますゆえ外聞に出ておりました。
殿ほどの御方に腹切らすなど思いもよらぬ事ですが左様であれば大坂より敵勢が辻々に押し寄せると存じ
御館は勿論、心もとなき所は実見して参りましたが、何処も堅固にて拙者がわけを話したら騒がしいのも収まりました」
これを聞くと家康もようやく安堵し労を称賛し寝についた。

もともと家康の伏見の館は防備が心許なかった。
心配した家臣らが京極高次の大津城に移るとか何とか安全な道を構ずるべきだと進言したが
敵を恐れて逃げ落ちたと言われたら名折れもいいとこで
平威を天下に奮う事ができなくなる。そんな外聞もあってか家康は取り合わなかった。
直政は江戸より加勢の呼び寄せを進言したがこれも斥けられた。
しかし上方の足並みがいかに不揃いであるとはいえ、押し寄せてきたら相手が数の上で絶対的に優勢である。
家康に心を寄せる諸大名は多いがそれも形勢次第でどうなるか分からない。
家康は窮地に有る、と外界を知る直政はよく理解していた。
直政は家康の言に反してひそかに江戸へ援軍の手配をした。

222 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/08/24(金) 23:39:34.02 ID:wjcuKhHe
そうこうしている間にも戦気は募るばかりでもし今大坂方と戦となれば寡勢の徳川方は全員玉砕の憂き目を見るかもしれない。
死を決した直政は配下の木俣守勝に最後の事を諮った。
「この上は主君の切腹の介錯をし自分も殉死する。お前は決死の合戦をし討死せよ」
すると守勝は笑みさえ浮かべ「これは普段の侍従殿に似合わぬ死狂の仰せ」と応じ
更に一膝進めてこう言った。
「大殿より大坂方へこう仰せに遣わせませ。家康伏見にあれば、おのおの気遣いされるようだから近々関東へ下ることにした。
その用意の為、5,6日中に向島へ移転する。その際に太閤殿下の向島の御茶屋を拝借したいと申すのでございます。
加賀大納言や五奉行の面々は大殿が伏見におわすのを最も嫌いますゆえこの申し出を了承致しましょう。
向島に御移りありて柵を付給はば、大坂より取りかかるとも急にはなり申さず」
「成る程、そうすればその内に関東の味方が馳せ参じるというわけじゃな
しかし柵をふるには材木が要る。その備えや兵糧や薪その他の配慮は如何に」
「材木は手の者に調べさせ備えは十分です。兵糧なども20日は持ち堪えられます」
20日も日が稼げれば必ず加勢が来る。1万もあれば上方が10万の兵で押し寄せようとも負けるに及ばず。
さすが齢の功じゃと感心し、早速に家康に言上し、家康は諸手をあげて同意した。
予見通り大坂方は向島移転を一議もなく認め、3月下旬に向島へ移った。
このとき直政は豊後橋を警衛して移動を安全ならしめた。

向島を要害とみたて思い切った伏見脱出を試みた家康の戦略眼は諸侯を瞠目させるに十分だった。
次の天下は徳川とみた諸侯が家康の意を得ようと懸命になりその結果、家康の威光はますます高まった。
徳川陣営実力者の筆頭で家康への窓口として最も近く信頼出来る直政の邸門はこの時期たいへんな混雑をきわめた。

『井伊軍志』より
この箇所の出典は「東照宮御実紀付録」、「慶長記」、「藤堂記」、「東日記」など




223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/25(土) 00:10:56.72 ID:riIWYfpE
徳川家は誰かが激情に駆られると必ず冷めた態度の人が現れるな
全員で玉砕とか、全員逃げ腰、という事態が起らないのが強みかもしれない
幕末もそれで乗り切って?今でも徳川家続いてるとこがあるかも

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/25(土) 00:15:51.06 ID:gUyDuL4R
一瞬
徳川家続いてる

徳川家継の誤字かと思った

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/25(土) 00:43:01.85 ID:kpws6XBr
>>223
激情に駆られるのは家康のいつもの病気だから家臣は慣れっこだったのもある

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/25(土) 02:24:11.21 ID:Zv/dTIwS
>>220
付いて来たるは石が三つ也

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/25(土) 20:09:03.68 ID:8RDBaAqD
>>221-222
なんかいろいろと深いな
徳川の天下取りには欠かせない通過点だったんだな

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/25(土) 20:42:51.64 ID:BP1oUpaS
木俣守勝ですら直政に仕えるのをやめようと思った
なんてwikipediaには書いてあるけど、それについての話ってありませんかね。
wikipediaの記述が本当かどうかわかりませんけども。

スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    めんどくさい三河武士が激情に駆られて無茶な行動をしようとして、
    お互いにそれを上手く止めないといけなかったから冷めてる人が常にいたんじゃないか?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    長屋の町人が諍い起こして、話が大きくなって大家さんが仲裁に入る的な様式美が三河武士にはあるからねえ
    めんどくさい処理係は家康配下以外にもいるんだねえ

  3. 人間七七四年 | URL | -

    しかしこの頃から関ヶ原後まで本当に働きまくりだよな直政
    なんかもう過労死説に疑問持たなくなったわ

    あと何気に木俣カッコイイ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    井伊家の文書だからしょうがないけど、勲功第一の榊原さんの事が全然乗ってないんだなぁ。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    直政が珍しくテンパってるけど
    家康の介錯をするのは他の誰でもなく俺の役目だ的な使命感がひしひしと感じられるなぁw

    ※3
    関ヶ原にたつ前にも生死をさまよう原因不明の病を患ったらしいけど
    この頃から過労死に繋がる予兆はあったと思う

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    まあ木俣守勝は家康の家臣だからな

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    直政が高崎になかなか戻れなかったから、守勝が代わりに治めていたっていうし、
    この時期ってもう守勝は寄騎から井伊家に移ってたんじゃないの?
    まあそれだと守勝は伏見ではなく高崎にいるんじゃないの?って話になるが…

  8. 人間七七四年 | URL | -

    直政の邸は関ヶ原前は東軍武将などでたいへんな混雑を極め
    関ヶ原後は西軍武将などでたいへんな混雑を極めたか

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    この時点では守勝は直政の与力頭だよ

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/6725-a4eb50cb
この記事へのトラックバック