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徳川家康「夏目を呼べ」

2012年08月29日 20:51

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 18:10:26.39 ID:33mHT8id

大坂夏の陣の時、徳川家康が茶臼山に据えた陣では祝詞を述べるために諸大将が次々と
参謁した。この時、徳川頼宣はろくに戦うことが出来なかったことを悔いて、「十四歳なのは
今だけだ」と、慰める松平正綱を睨みつけた。(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-709.html)

その後、本多正信が馬に乗って上がってくるのを見た家康が「坂まで上れ」と言うと、
正信は「もちろんですとも」と、家康の側までやって来た。

この時、藤堂高虎が「佐州早いな」と言うと、正信は「今日の私の武者振りはどうですかな」
と笑った。その日の正信は兜羅綿の羽織に裏付の袴、五位の太刀を身に着けていた。

さてその時、城中から黒煙が上がっているのを見ていた家康は小出吉英を呼び、「あれを見よ」と
言った。吉英は城の方を熟視して両手をつき「なんと痛ましいことでしょう」と言った。

その様子を見て家康は「汝の境遇で只今の申しぶりは殊勝である」と言った。吉英は豊臣家の
旧恩を受けた者であったが、その過去を忘れていないことは家康の心に深くとどめられた。
(こちらでは三尹 http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5389.html)

それから家康は俄かに「夏目を呼べ」と言い出した。それは夏目吉信の三子・長右衛門信次
のことであったが、信次は小身ゆえに旗馬印もないので、どこにいるのかも分からず、
使番があちこちを探し回ってなんとか見つけ出すことができた。

この時、家康が「昔、汝の父が三方ヶ原でわしに代わって一命をなげうったことは
忠節の至りだ」と言葉をかけたので、信次は思わぬ賞詞に感激して涙を流した。

このような勝利の時にも旧功の者のことを思い出して言葉をかけたのは、小出が豊臣家の
旧恩を忘れていなかったことを賞したことに起因し、家康の仁厚の深さを感じない者はいなかった。

――『徳川実紀(天元実記、古人物語)』




260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 18:59:10.68 ID:Q32skZMw
もうこの頃になると色々記録されすぎててやかましいくらいだ

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 19:11:00.58 ID:eAGydez2
話一割でもトンデモナイ人格者>家康

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 19:31:34.75 ID:s5ssCwKt
でも逆に言うとさ、やられて嫌なことも覚えてるんだよな。孕石とか

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 19:59:15.30 ID:/Npa1O/P
孕石さんは名前が目立ちすぎて切ない

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 20:18:56.74 ID:5SoZvD8+
>>262
論語にもあるな。
仁者ほど人を憎む時は凄いみたいなの。
これは三英傑全員に共通してるね

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 20:22:05.79 ID:8tBtwSyk
武士ってのは基本そういう業の深い存在だからねえ。八幡太郎義家の時代から。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >265
    NHK Eテレの高校講座 日本史の武士の登場のところでその話やっていたねえ。
    後三年の役の時、言葉合戦で恩知らずて罵られて義家がその後そいつを捕らえて主君の首の上の木に吊り下げて苦しくなって足下げると主君の首踏む様にして主君踏むお前が恩知らずだと罵った話だったかな?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    逆に言うと家康がそこまで遺恨を残したの孕石しか知らないんだよな
    本当に遺恨によるのだとしたらよっぽど酷い仕打ちを受けたんだと思うわ
    他にいたっけ?

    まぁ実際のとこは臣従しなかったとかだろうけど

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