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志賀親次と道益父子のガチバトル

2012年08月30日 20:50

213 名前:名無しさん@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 21:11:01.52 ID:jUvkrsnJ
志賀親次と道益父子のガチバトル

天正14年の豊薩合戦で大友方の岡城は島津義弘・新納忠元が率いる大軍に包囲されていた。
守るは若き北志賀家の惣領・太郎親次弱冠18歳。しかも包囲軍の中には
島津に寝返った父の道益(親度)と叔父の入田宗和(義実)の姿もあった。
また祖父の道輝(親守)も宗和や道益に同心していたものの宗和や道益のような表立った動きはしなかった。
この時は道益とは逆に孫と一緒に岡城に篭城していたという説もある。

親次と道益の父子が戦ったのはヤオではなくガチだがこの二人の仲は悪かったらしい。
原因として大友義統への姿勢と信仰にあった。
道益は耳川合戦の前年、義統と対立し父共々誅殺されそうにことがあったことから義統を憎んでいた。
対して親次は大友家ひいては義統に対しても純忠一途の人物であった。さらに
親次は熱心なキリシタンであり道益は熱心な仏教徒であった。
これらのこともありこの父子が仲が悪かったのはある意味必然だったかもしれない。

214 名前:名無しさん@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 21:36:50.52 ID:jUvkrsnJ
豊後国内では栂牟礼城の佐伯惟定や丹生島城の大友宗麟たちも奮戦中。志賀親次はさぞ
「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ…」な心境だっただろうが
決して逃げず寡兵で「天正の楠木」と評された戦ぶりで島津の大軍を何度も追い払い、
たまらず手を焼いた島津義弘の降伏勧告を撥ね付け勇敢に戦い抜く。
島津軍の攻撃が膠着したのを機に近隣の城を奪回に乗りだす。折りしも豊臣秀長勢が豊後に到達。
島津勢を追撃し反乱した南郡衆を滅ぼしていった。
その過程で父・道益を捕らえ言い訳一つも許さず問答無用でその場で自刃に追い込んだとも
親次自ら斬ったとも言われている。
反逆した父に対する苛烈な処置とかは親次の名声を高める結果になったものの今度は
その名声が皮肉にも主君・義統改め吉統に徐々に疎まれる原因になっていく…




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    この話とか以前出てきた朽網氏の話を見てみたらこんな主君なら叛きたくもなると思う。親次まで疎むようではダメどころじゃない。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    本当何で末期大友家の逸話は、(特に)親子兄弟夫婦の近親者間でこんな後味悪いもの多いんだよ…
    と思ったら、親子兄弟に関しては義鑑-宗麟-義統と三代にわたってアレだったな

    しかし幼少期の両親の不仲や離縁、そして兄弟間の仲悪さという家庭環境さっ引いても、義統の出来が残念すぎる

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2

    立花さんとこの夫婦の中の悪さもよく言われるが、義統がらみの逸話の数々からすると、遥かにマシというのが。
    まあ立花さんとこは、本当に仲が悪かったのかどうなのかいまいち分からん所もある訳だが。(当人間ではそうではなくても、周りが勝手に動くせいで、傍目からみるとぎくしゃくしているように見えるのなんてザラだし)

    それにしても、いくら家を潰した人間とはいえ、義統の逸話という逸話、悉くが全く救いようがないものばかりなのはなんだろうね。
    土佐の一条や越前の朝倉ですらここまで酷くはないだろ。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    弟たちや家臣たちが離反する理由がわかりすぎるくらいわかるんだよな。
    志賀家のシンジくんも大友家改易後は完全に吉統を見捨てちゃってるよね。
    西国無双の人も独立後はあまり関わりたがらなかったみたいだし。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    「逃げちゃダメだ…」ってそういうことかw

  6. 人間七七四年 | URL | GCA3nAmE

    キリスト教はこうやって親子を分裂させ、ひいては日本を分裂させることで侵略の土台を作ろうとしてたんだなあ・・・

  7. 人間七七四年 | URL | -

    地元民だが義統のクソっぷりが残念を通り越しすぎる。負け組しかも断絶したわけやから、立花さんみたいに良い逸話が残りにくいのは分かる。死人に口無し状態になるから。だが義統個人の資質があんまりすぎる。家臣はそれなりにいないこともなかったみたいなのに。

    静岡の人が氏実に抱く思いもこんなんであろうか…

  8. 人間七七四年 | URL | -

    大友さんは政親(16代)義右(17代)でも殺し合いやってるし……

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    親次をストレートに音読みしたら確かにシンジだけど…

  10. 人間七七四年 | URL | -

    武田「我ら守護系」
    今川「戦国大名」
    大友「親子兄弟」
    赤松「喧嘩上等」
    畠山「俺がやらねば」
    土岐「誰がやる」
    一同「ガハハハハハ」

  11. 人間七七四年 | URL | vEmrOf96

    文禄の役、大友吉統が鳳山で平壌から敗走して来る小西行長勢を収容することなく、先に南に下がっちゃった、いわゆる「聞き逃げ」をしたのは、志賀親次の進言じゃなかったっけ?

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    いやいやいや。大友家においてはそんな策略をしなくても…

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    キリスト教勢力が望んでいるのは、
    「相争うまでもなく多くの人がキリスト教化される」ことでしょ。
    「キリスト教の是非をめぐって争いが起きる」のは、
    全否定されるよりはましでも、理想・構想とは程遠いでしょう。

    さすがにその言い方は難癖にしか見えないです。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    余りに義統に良い話が無さ過ぎて、高橋紹運の岩屋城玉砕は実子・道雪の娘・両家の家人達等を義を貫き筋を通し誰からも後ろ指さされる事無く義統からきっちり引き離す目的もあったんじゃないかとも思えるんだが。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    それは結構異論がある説で、シンジくんの名声が妬まれていたって話もある。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    完璧超人やシンジくんみたいな忠臣はおいそれと居ないのに義統は…

  17. 人間七七四年 | URL | -

    豊後の隅っこにまで追い詰められても付き従う時点で、相当な忠臣しか残ってないはずなのにな
    はっきり言って義統に彼らはもったいなすぎる

  18. 人間七七四年 | URL | -

    吉統の判断ミスのせいで石垣原で死んだ完璧超人の従兄の吉弘加兵衛さんは哀れを通り越してる。仮にシンジくんが関ヶ原の時に吉統の元に行ってたら加兵衛さんと同じ運命を辿ってたろうな。

  19. 人間七七四年 | URL | -

    米6
    宣教師の目的はあくまでキリスト教の布教だろ。
    それによって起こる混乱を利用するのは軍人や政治家の仕事。

  20. 名無しさん | URL | -

    米19
    でも耳川のgdgdの時にいた宣教師って実質軍人だった人じゃなかった?

  21. 人間七七四年 | URL | -

    イエスズ会は結構過激だったり

  22. 人間七七四年 | URL | -

    宗麟死後、吉統がキリシタンをやめてからはシンジが大友領内の宣教師たちの実質の保護者になるんだよな。

  23. 人間七七四年 | URL | -

    キリスト教が戦闘的なイメージは、十字軍結成の発端だが。戦わずして聖地ユダヤ・ムスリムと共同統治したこともあるので、一事が万事ってのはうがちすぎではw
    仏教も神道も内部には多様な考えがありますし。

  24. 人間七七四年 | URL | -

    ※12
    フロイス日本史読んでみて、個人的に感じたのは
    大友家にしても志賀家にしても、家族関係がグダグダのドロドロなのは、
    宗教のせいというよりはもっと根っこの部分に問題があって、
    宗教はそれを混在化させた切っ掛けでしかなかったんでは? という事かな

  25. 24 | URL | -

    混在化ってなんだよ、顕在化な
    ※18
    シンジ君は石垣原でも義統に付き従ったとも言われてるな。
    朝鮮でやらかした負い目があったのかもだが
    クズ親父と違って、筋を通す男だったんだろうか

  26. 人間七七四年 | URL | -

    >>25
    志賀親度=碇ゲンドウかよ
    同じクズでも能力が違い過ぎるw

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