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文禄元年正月二日、聚楽謡初の式にて

2012年08月31日 20:50

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/31(金) 18:44:27.68 ID:i/fqgRtP

文禄元年正月二日、聚楽の邸にて謡初の式が行われた。
着座は第一が豊臣秀次、第二が織田秀信と定められた。

これに前田利家が「秀信は正しく織田殿の孫なのだから
第一たるべきだ。今日の儀注は誰が書いたのだ」と言うと、

石田三成が「それがしが殿下の仰せにより書きました」と言った。
そこで利家が豊臣秀吉にこのことを告げると、

「それは道理だが、秀次は我が甥ゆえ、ゆくゆくは養子にして
家を継がせるつもりだから第一座に定めたのだ」と、秀吉は答えた。

主張を聴き入れようとしない秀吉に気分を害した利家は座を立とうと
したが、その様子を見ていた徳川家康に「利家、しばし待たれよ」と

引き止められた。続けて家康は秀吉に向かい「殿下はかりにも秀信を
後見なさったゆえ、織田家の旧臣もみな帰服しました。

いま利家が秀信を上座に立てようとするのも旧義を忘れない心から
であって、決して秀信の味方をしているわけではありません。

ですから秀信を別に奥の間にて拝礼盃酌の儀を済まし、
表様では秀次を一座につけなされば、人心事体において両方の
便宜を得られるのではないでしょうか」と言った。

秀吉もその理にかなった処置に感心し、その通りに処理したことで
謡初の式は事故なく遂行された。

――『徳川実紀(武辺咄聞書)』




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    ラスボスに文句言える利家△

  2. 人間七七四年 | URL | -

    朝鮮出兵頃のラスボスに覚醒したラスボス相手に「今の太閤は狐憑き」とか言って諫言した浅野長政といい、やっぱりラスボスの身近にいた人だから、言っていいこと悪いことのギリギリのラインわかってたのかな、犬千代さん

  3. 人間七七四年 | URL | -

    元を辿れば秀吉軍団も織田家家臣だし、織田家や元織田家家臣への配慮も
    未だに必要な部分もあるのでしょうね。

    止むを得ないとは言え、やはり元・一軍団の家臣達が主力とされ、他の軍団
    出身者が配下にされた不満というのも、当時は潜在的にあったのですかね?
    なんにしても、ナイスフォロー。

  4. 利家「徳川殿の助けがあったとは言え、これで賭けはわしの勝ちだな。ほら早く銭だせ。」
    というやり取りがあった予感。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    家康以外に誰かおったんかのう。
    というか、利家って結構秀吉と喧嘩してるイメージ。

  6. 人間七七四年 | URL | Hble4PXk

    文禄元年なら秀次は関白だし既に家督を継いでるような

  7. 人間七七四年 | URL | -

    利家、待たれよww
    個人的に少し違和感を覚えた

  8. 名無しさん@ニュース2ちゃん | URL | -

    このメンツ中では席次とか、一番どうでもいいって思いそうなのが家康。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    昨日アウトレイジ観てて思ったんだが、戦国時代って結局ヤクザが主流の時代なんだな
    現代も警察や自衛隊、国際支援が無力化するバイオレンスジャック事態になったらヤク
    ザが知事って群雄割拠する時代になんのかね?

  10. 人間七七四年 | URL | -

    なんというか、家康ってこういう仲介というか、落とし所見つけるの巧いよなぁ。

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