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二の手はこのように

2012年09月03日 20:51

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 20:24:47.32 ID:EH9UdyJK
姉川の戦いにおいて、徳川軍では先陣が酒井忠次、二陣が榊原康政であった。

先ず酒井の先陣が、小笠原與八郎、菅沼新八郎、奥平といった寄騎とともに川を渡ったが、岸が高く
上がり兼ねていた所、榊原の部隊が真一文字に進んできて、上がり難き岸も「遮二無二押し上げよ!!」
そうして、「エイトウエイトウ」の掛け声とともに無理矢理に押し上がり、酒井の部隊の前に進もうとした。

これを見た酒井の部隊の兵たち「榊原の部隊に遅れては無念である!」と競いあうように岸に推し上がって進み、
そのため合戦にも利を得たという。

合戦後徳川家康

「康政の二の手のやりかたは今後の手本となるべきものだ!二の手の行動はこのようにしたいものだ。」と、
大いに激賞したとのことである。
(常山紀談)




334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 21:36:15.62 ID:bysBIx0B
>>331
榊原康政はここでも先鋒を追い越してるね
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4701.html

榊原の韋駄天走りっていうけど、榊原隊の足ってそんなに速かったのかな?
川渡るのも速いってことは、足腰が強いのか?


335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 21:54:15.06 ID:yjIr/Tc6
>>334

川を渡っている先鋒の頭やら肩やらを橋代わりに、走っていったんじゃね?

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 22:58:30.30 ID:+VjcDlhZ
>>335
因幡の白うさぎかよっw

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 23:09:27.13 ID:i0Di4b3O
怒った先鋒に鎧を剥かれて更に速く!

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/03(月) 19:57:49.22 ID:y3CmCXPe
もし徳川が小牧で敗北して家康死亡の場合
なんでも出来る康政さんがいの一番に最高禄で再就職が決まりそうだ
ラスボスが曹操が敵の檄文書きを許した故事に倣った場合の制限付で
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    なんかヒストリー・チャンネルで山下奉文がマレー作戦の時に川を突破するのが速かったのは
    兵士が土台となって橋を支えて、その上を次々と部隊が通過したから
    とか言ってたような

  2. 鎌倉幕府 | URL | -

    ※1
    確かにそういった写真ありますね。
    ただいつどこの写真まで知らないので…

    何の力にもなれず申し訳ないm(__)m

  3. 人間七七四年 | URL | -

    のらくろでは、工兵隊が竹馬で川に入って、
    その上に板を敷いて板の上を渡る場面があったね。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    日ごろからの観察眼に優れ、渡河に最適な地点を確保するのに長けている、という解釈は今更必要ないですか。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    日中戦争のときに、工兵が急造の橋を、泳いで支えるというのがあった。
    取ってのついた板の両脇に兵士が2名付いてバタ足というもの。しかし、相当大変だったらしく、バタバタと倒れて行く。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    康政「縮地の法を極めておれば容易きこと」

  7. 人間七七四年 | URL | -

    マレー電撃戦と違って重たい九七式中戦車や
    銀輪部隊を渡らせるわけじゃないからなあ
    そもそも姉川の深さってどのくらいかな

  8. 人間七七四年 | URL | -

    小和田哲男の大河ドラマドラマ考証した時の経験談をまとめた本「歴史ドラマと時代考証」に
    姉川を何度も実際に目にしている私は、合戦場と姉川を何度も実際に目にしている私は、
    合戦場となったあたりの姉川に深みはないと考えていたので、考証会議の席上、
    そのシーンはなしにしたいと主張したが、やはり原作にあり、それがそのあとの物語の
    展開に微妙にからんでくるので、深みにはまって溺れるシーンを入れることになった

    てなことが書かれてた

  9. 人間七七四年 | URL | -

    それはいつごろの姉川を見ての話なんだろうな。姉川ダムが出来る前の姉川ならわからんでもないが

  10. 人間七七四年 | URL | -

    >9さん
    >姉川ダム
    そうなんですよね!
    やはり、当時と現代だと自然環境その物の違いが有るので、絶対にコレ!!
    って感覚が出難いんですよね。

    個人的にですが、渡河後のあれだけの戦闘がこなせたと言う観点から、膝
    から腰位の深さだったとは思っては居ます。
    (話に依っては橋もあったとあるので、多少なりとも深さがあるかと?)

  11. ゆとりある名無し | URL | -

    ※9、10さん
    ダムや水利用の灌漑設備がほとんどなかった当時の日本の河川は、現在と比べて水量は桁違いに多かったようですよ(森林や緑地の豊かさ、現在のようなコンクリート製の堤防設備も存在しなかった事も多少なりとも関係あると思われます)。
    現代の渇水期には底が見えるような姉川も、当時は所々には深い淵があったと考えるのが自然だと思われます。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    曹操を思い出した…

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