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堀尾吉晴は深く慎み

2012年09月23日 20:40

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 18:22:07.02 ID:BpCeoGsi

堀尾吉晴は十六歳より従軍して四十年あまりの間に大小の戦に臨み、
自ら先駆けて多くの敵を討つこともあれば、士卒を下知して城を落とし、
陣を破ることもあった。

しかし、吉晴はそれだけの武勇がありながら深く慎み、子息にさえ
己の武勇を詳しく話そうとはしなかった。それでも自然と世に知られた
高名は二十二度といわれる。

ある人が吉晴の子・忠氏に吉晴の武功について尋ねた。忠氏は父の武功に
ついて詳しく知らなかったので答えなかった。

この時、その人が「この道の嗜みがないから知らないのだな」という様子
だったので、忠氏は深く恥じて、吉晴に大坂貝殻塚を一人で取った時のことを

教えて欲しいと言った。吉晴は答えなかったが、忠氏が他人にその道を
好まないのだと思われたくない一心で重ねて尋ねると、ようやくあらましを語った。

親子の間ですらこのようであったから、他人に語ることはなおさら無かった。

――『名将言行録』




573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 18:43:07.33 ID:h3S9/X5f
堀尾吉晴って名前自体が温和な雰囲気あるよな。

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 18:45:11.51 ID:OMEEsOQL
謙虚さがより武名を高めたいい話
現代でも自分から武勇伝話す人は大体ハッタリ気質だよなw

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 18:59:00.04 ID:4Cw0SdeS
謙遜は美徳かもしれないが、
黙ったまま死なれると子孫や歴史家は困るんだよ。
ある程度の政治家や軍人は回想録ぐらい書いておいてくれ。
公開は死後でいいから。

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 19:09:33.54 ID:OMEEsOQL
>>575
たしかに歴史家は困るな
子孫は知行の面ではその通りだけど、
先祖の武名が高いと比べられたり同輩からの嫉妬で苦労しそうではあるかな

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 19:19:57.86 ID:QuUwL04t
仏の茂助と呼ばれてるけど、山内一豊の例のやつにも切れなかったのかな...(´・ω・`)


578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 22:30:21.21 ID:aXDYE3V/
普段は凄く物静かなのに、ハンドル握ると人が変わるみたいな


579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 01:28:56.19 ID:yjCdr72Y
>>577
土佐に移ってからも両家には行き来があったらしいし
特にキレなかったんだろうね…えらいね…
もともと、それだけ仲良しだったってことなのかもしれないが
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    忠桓「(謙遜と言われても)逸物の本能には逆らえませんわ(笑)」
    政宗「(謙遜と言われても)わしにはすでに備わっておるので(笑)」
    三歳「(謙遜と・・・)備わっておるからこそ三十六人で済ましたのだが・・・何が言いたい!!」
    長可「(謙・・・)誰かこのごみを片付けろ」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    景勝「(謙信公・・)・・・・」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    黙って自分の心の中にしまっておくことで
    次の戦のための気合をため込んでいたのだ、と
    勝手に妄想。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    山内一豊「ぼくたちって仲よしだよね!」
    中村一氏「だよね!」
    堀尾吉晴「…」
    一豊&一氏「我ら豊臣四天…」
    吉晴「…」
    一豊「あれ、どしたのヨッシー元気ないじゃん」
    一氏「じゃん」
    吉晴「…(忍)」
    秀吉「おまえらいい加減にせえ」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ただ、面倒臭かったからって訳じゃないんですね?w

    >軍人
    そう言えば、捷一号作戦時のレイテ沖海戦時の栗田艦隊の反転も、
    一時謎とされていたけど、当時はご家族には話してたらしいですよ。
    まぁ「家族には」ってのがキモだけどw
    当時の軍人達の証言が無いのは、当人達の責任逃れだとは思うよ。

  6. 人間七七四年 | URL | aNn4.8kc

    個人的な武勲を誇らないのは美徳だが、
    完全に黙っていて、いくさの戦訓が継承されないのはまずいのでは
    戦国は終わったとはいえ、島原の乱までは、まだまだ予断を許さないわけで

  7. 人間七七四年 | URL | -

    まあ「帯刀先生」という異名もあったんだから、
    個人の武勇も相当なもんだったろうな

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    それは「たてわきせんじょう」と読む、官名だと思うが。春宮、つまり皇太子の護衛官の、指揮官職のことだ。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    帯刀先生(たてわきせんじょう)は官職名だよ。この官職で秀次の家老ってあたりから吉晴の武才への期待度が分かる気もする。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    相撲大会開いたり影武者立てたりしないと統治できないんじゃ貧乏くじだと思うが>土佐

  11. 人間七七四年 | URL | -

    土佐って
    食い物が足らんから伊予を攻めるんで殿様行こう!って誘うような貧乏国じゃなかったっけ?

  12. 人間七七四年 | URL | -

    1さん
    恒の字が間違ってますよ。

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