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安藤帯刀三連発その2・いい話

2008年12月03日 00:09

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/02(火) 02:07:22 ID:EyV4nbP7
便乗三連発

(4)功を誇らず

長久手の戦で、安藤帯刀は池田恒興を槍で突き伏せた。しかし、近くにいた若武者を
手招きした帯刀は、その若武者に恒興の首を取らせ、手柄を譲ってしまった。

首を持って本陣に駆け込んだその若武者・永井直勝は家康から褒められたが、
「実はこの首は、安藤殿が討ち取ったものです。」と、正直に申し出た。

そうとは知らぬ帯刀は、後から恒興の子・元助の首を持って家康の前に進み出ると
「先ほど、恒興を若武者が討ち取るのを見ましたぞ!いや~見事でござった~!」

クサイ芝居に苦笑しつつ、帯刀と直勝の心意気に感じ入った家康は、それぞれに
褒美をやった。特に帯刀には日ごろ愛用の弓を与えて、激賞した。(三河後風土記)

942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/02(火) 02:09:29 ID:EyV4nbP7
(5)将の顔 親の顔

安藤帯刀の子・彦四郎重能は、老練な父に似ず、血気にはやる猪武者だった。

大阪夏の陣で、重能は
「一番に首取ったと言わば彦四郎と思え、一番に討死にと言わば彦四郎と思え!!」
と、叫んで敵陣に駆け入って本当に討死にしてしまった。

父・帯刀の所へ近習が重能の死を知らせたが、「主君のため死ぬは、武士の本懐よ。」
と、まったく動揺しなかった。

重ねて近習が
「若様のご遺体はいかが致しましょう?」と尋ねても、「犬死にせし者、犬に食わせよ!」
と言ってまったく取り合わなかった。


大阪落城時、帯刀はいずこかへ消えた。
近習がようやく探し当てると、そこには地に伏し慟哭する帯刀の姿があった。(明良洪範)

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/02(火) 02:20:14 ID:EyV4nbP7
(6)ドンブリメシでもいけるよね

頼宣に従って紀州に入った安藤帯刀は、知行として田辺3万8千石を授かった。
しかし、田辺の地は痩せて作柄も悪く、領民は貧困にあえいでいた。

考えた帯刀は、痩せた土地の税を免除し、その土地に梅の木を植えることを奨励した。
痩せた土地で取れる梅の実は『やぶ梅』と呼ばれ果肉も薄かったが、梅干しにする等して
領民は飢えをしのぐことができるようになった。

田辺の民は、苦しかった日々を忘れず、梅の品種改良に取り組んだ。
元禄のころには、すでに江戸でも紀州の梅は名産として知られていた。
徳川吉宗も、わざわざ紀州の梅干を取り寄せていたという。

帯刀が始めた紀州梅および梅干しは、現在でも全国一の量・質を誇っている。



955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/02(火) 11:53:55 ID:OAFhpW28
>>942
子供を失った親が周囲を気にして気丈に振舞うも
後でひっそりと慟哭する話を聞くと自然と涙が・・・
戦乱の時代ってこういう話多いよね・・・



関連
徳川頼宣と「天下の名物」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3368.html

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