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筑紫家の身の守り方 一.「長いものには巻かれろ」

2012年10月15日 20:13

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 17:28:23.44 ID:XZBVDR98
悪い話スレに好きな筑紫広門の話があったので興奮して書いた

弱小勢力の悲哀 筑紫家の身の守り方
一.「長いものには巻かれろ」
筑紫氏は大宰少弐氏の一族の出といわれている。
筑前国御笠郡筑紫村の地頭職であったため、筑紫と名乗ったらしい。
少弐氏は鎌倉時代から筑前において大きな力を持っていたが、
大内氏の西進により徐々に衰退して行く。室町時代、応仁の乱を経て、
大内氏と少弐氏の争いは激化、筑紫家は少弐氏に従い大内氏との戦いに明け暮れた。
しかし大内氏の力は強大で、少弐氏は徐々に筑前における勢力を失い、
肥前の龍造氏を頼っていくこととなる。大内方・陶興房の本格的な少弐攻めにより、
少弐政資・高経父子は討ち取られ、筑紫満門は大内氏に降伏することになる。
その後高経の弟、少弐資元が少弐氏を再興。資元の重臣・馬場頼周は
満門の女婿だったため、大内氏についた満門を再び自軍に引き戻そうとした。
満門は、これからの時代は大内氏の勢い盛んになるのは必定、
少弐氏が生き残っていくためには大内氏の下につくしかないと逆に諭した。
しかし資元は父と兄を滅ぼした憎き大内氏に降伏した筑紫満門を恨み、
頼周は資元と謀って満門を騙し討ちにして殺害。
以降、少弐家と筑紫家は完全に袂を分かつことになる。
しかしそれが本家と関係を絶った弱小勢力の流浪の始まりでもあった。

大内氏の下で少弐氏との戦う→大内義隆が陶晴賢の謀叛で殺害される→大友氏と和睦
→毛利元就が北九州に進出→毛利家に付く→敗れて安芸に落ち延びる
→2年後九州に再上陸し旧領を回復→しかし大友氏に降伏→高橋鑑種が筑前に着任
→鑑種は筑前の国人たちに接近、比較的安定した大友支配下の時代
→龍造寺隆信が毛利氏と組んで筑前に勢力拡大→立花鑑載が毛利氏に通じて謀反
→高橋鑑種もこれに加わり、懇意としていた筑紫惟門・秋月種実らも同調
→大友軍の猛攻により筑紫惟門は子の広門らの助命を条件に自害
→毛利軍も出雲で尼子勝久が挙兵したため退却、秋月種実も降伏→大友支配下時代
→大友宗麟が耳川で大敗→それを契機に龍造寺が筑前進出→龍造寺側につく
→龍造寺隆信が沖田畷で討死→島津が筑前・筑後にまで勢力拡大→島津側につく
→突如高橋家と婚姻、大友氏につく→島津軍北上し敗退→秀吉軍が九州上陸
→幽閉先から脱出、島津軍を追い出し旧地回復→筑後上妻郡一万八千石を安堵、豊臣大名に
→筑前筑後衆として立花宗茂、小早川秀包らとともに肥後国人一揆、小田原征伐、
朝鮮の役など常に行動を共にする→関ヶ原の合戦で東軍について改易
→子は細川忠興の口添えで謝罪、大坂の陣に出陣した功で徳川旗本家として存続



936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 19:41:49.41 ID:60ZXLO6g
さすが戦国のカメレオン大名と言われるだけのことはある

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 20:07:32.86 ID:x0Hbw+K8
短中編の歴史物の舞台としては面白そうだな

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 20:13:23.96 ID:yR7j2g47
こういう生き方は格好悪いが好きだなw
帝国主義時代のタイ王国や20世紀のフィンランドみたく敬意を払うべき存在だ

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 20:21:50.35 ID:7002YGsM
泥臭くて俺好きだぜ

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 20:53:13.61 ID:RLfVSYc2
ん?
>関ヶ原の合戦で東軍について改易

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 21:13:09.21 ID:mvuryzzP
門が通字の家って珍しいよね

942 名前: 忍法帖【Lv=35,xxxPT】(1+0:8) [sage] 投稿日:2012/10/15(月) 21:14:25.28 ID:BjsnJ1vT
良く言えば「機を見るに敏」
悪く言えば…

943 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/15(月) 21:22:09.83 ID:Y1u2knWZ
>>940
ん?
>関ヶ原の合戦で東軍について改易

「関ヶ原の合戦で西軍について改易」が本当。

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 21:25:43.80 ID:RP0r2P4J
最初から東軍についてたのに改易になった大名がいるのか知りたくなった

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 21:49:51.37 ID:RLfVSYc2
>>943
西軍なんですね。何ぞやらかしたのかと・・・。

946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 21:57:49.77 ID:Plea9pIU
佐野綱正「徳川家のために討ち死にしたのに」

948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 23:08:35.11 ID:eDzTvCWf
>>944
西軍に寝返って改易くらった人は居るけど、ずっと東軍で改易は無かったような・・・
後は敵前逃亡の木下勝俊とか
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コメント

  1. 名無しさん@ニュース2ちゃん | URL | -

    関ヶ原で東軍についたのに改易されたのか?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >>1
    スレで西軍に修正されてた

  3. 人間七七四年 | URL | -

    東軍についた上で改易されて欲しいって願望があったんじゃないの?
    個人的には、頑張りを尊敬するけど、悪足掻きととる人もいるだろうし

  4. 人間七七四年 | URL | -

    めっちゃ読み難い!小大名なんて何処も似たり寄ったりだと思う。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    立花さんや黒田さんは、
    フォローしてあげなかったのかね?

    それともフォローを入れて旗本なのかな。

    いずれにしても、激動時代の九州で家を残したんだからすごいけど。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    筑前筑後は小早川、立花とほとんどが西軍だったんで
    自分だけ東軍は無理だったんだろうな。立花宗茂の弟・統増は娘婿だし。
    改易後はたしか宗茂と同様に加藤清正のお世話になってたけど改易になったから
    小倉の細川忠興に馳走になってそこで隠居生活、子が旗本になり筑紫家を存続と。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ああ、そういえば広門のもう一人の娘は黒田長政に嫁いで次男政冬を産んだんだったな。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    九州のビックネームと上手くつながってるね、筑紫

  9. 人間七七四年 | URL | -

    さらに調べてみたら、細川忠興の弟・幸隆の息女・兼は
    広門の三男・筑紫左近重門(こちらは細川家家臣)の妻。

    さらには三齋様、隠居中の広門に江戸屋敷を与えようとしたらしい。
    忠利に諌められて実現しなかったそうだが。
    交友関係広いし、意外と魅力的な人物だったのかもしれないね。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    名門名家の出となれば、それなりの扱われ方をされてりゃ性格も良いだろうし、教養も高かろうしな。個人として利害抜きで付き合う分には、魅力的なのかもな。
    ただし、主としてとか、同盟者としてとなると、判断も変わってくるわな。お人よしはイラネーってなる。逆に筑紫さんくらい抜目ない御仁だと、今度は情の薄さが忌避される。難しいとこだな。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※1,2
    ところがどっこい最初から東軍だった筒井定次は一度所領安堵された後改易食らうのであった・・・

    うろ覚えだからどういう経緯でそうなったのかはわからんけれども

  12. 人間七七四年 | URL | -

    筒井だって大阪の夏だか冬だかまでは、もったんじゃなかったか?

    まあ、潰したい相手はどうやっても潰すのが権力者。
    濡れ衣(と書いてコクインイリノヤと読む)くらい、いくらでも用意できる。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    この人ってば西日本版天庵みたいな立ち回りだなwww

  14. 人間七七四年 | URL | -

    現在のwikipediaだと
    「慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは養子(広門の実弟)・主水正広門が西軍となり京極高次が守る大津城を攻めた。自身は東軍として筑後の居城で篭城する。西軍主力が関ヶ原で敗戦した後、徳川家康によって筑紫氏は改易された。」
    とあるね。
    なんで東軍に参加したのに改易されたんだろう?

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