88 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 07:58:19.47 ID:Rgn5Goix
天正19年(1591)、豊臣秀吉の奥州仕置への大きな反発の一つとして勃発した九戸政実の乱。
要害である九戸城に籠る政実に、浅野長政、蒲生氏郷などを中心とする6万の豊臣軍はこれを攻めあぐね、
戦線は膠着した。
そこで南部信直の献策により、浅野長政は九戸氏の菩提寺である鳳朝山長興寺の薩天和尚を使者として
九戸城に送り、書状を以って九戸政実にこの様に申し入れた
『九戸がこのように籠城し、諸人をあい煩わせているのは意味のない行為です。何故なら、天下を敵に受けて
どれだけ防ぎ続けたとしても、どうして本望を達せられるでしょうか。終には城を攻め落とされて、皆々殺戮され、
一門郎党までも滅亡するでしょう。
ただし九戸は元来天下に対して逆意を持っているわけではありません。であれば速やかに降参し、前非を改め、
京に上がって右の趣を弁明すれば、秀吉公もきっとお赦しになるでしょう。その上私を始めとする諸大名があなたを
弁護するので、死罪、流刑ということには決してなりません。
よしなき謀反人となって一門が滅亡するよりも、戦をやめ降人となってどうか城より出てください。
しかし、もしこれに同心無いのであれば、致し方なく攻め果たすでしょう。』
これに九戸政実は動揺した
「その通り、私は元来天下に対して逆心があるわけではない。弾正殿(長政)さえ納得しているのなら、降伏したものを
死罪や流罪にまですることはないだろう。
それに、私自身の身の上はどうなっても構わない。だが心に懸かるのは11歳になるわが子亀千代のことである。
あの子が生き延び、どこの野の末、山の奥であっても健やかに生活していけるのなら、私はこの首を斬られても
少しも厭わない。」
これに対し政実の舎弟・彦九郎実親は
「殿の仰ることは尤もだと思います。ですが上方の習いとして、弓矢で以って敵を討つ事はせず、ただ謀略ばかりによって
骨折りすること無く人を倒すといいます。去年北条殿も、そのように謀られたために、小田原の城は落ちてしまったのです。
その上、仮に弾正殿が赦したとしても、私達が直接反旗を翻した南部信直が私達を許すでしょうか!?
侍というものは、死すべき場所で死なねば必ず後悔するものです。
今、この城を枕に潔く討ち死にすれば、名は後代に残り滅亡したあとも人々はその薫香を感じてくれるでしょう。
殿はこれをどうお考えか!?」
そう、はばからず発言し、これに九戸家中は、さもありなんと押し黙った。
しかし使者の薩天和尚はこれに
「彦九郎様の仰ることも一理あります。しかし弾正殿ほどの侍が、出家であるこの私に対し偽るとは思えません。
それに降参すれば命を助けると仰った以上、南部信直も自我を押し通して殺害するようなことはしないでしょう。
とにかく天下を敵に請けて、万が一にも遁れられません。一人の覚悟のためだけに万人を殺すというのは、仏神の
咎も深いものです。一旦敵に下り、身命を全うし子孫の後の繁栄を図るのは、これもまた孝行の道ではないでしょうか。
どうか恨みの心を止めて、これをお請けなさるべきです。」
この言葉に九戸政実は遂に、降伏を決めた。
当然、長政の嘘である
九戸城の本丸は蒲生氏郷が接収し、籠城衆はみな二の丸、三の丸に移された。九戸政実は重臣たちとともに
九戸城を出て浅野長政の陣に出頭した。
ところがここで彼らは「降人の作法である」と武器を剥ぎ取られ、囚人のように一ヶ所に監禁された。
「騙された!」
もう遅かった。
89 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 08:00:23.27 ID:Rgn5Goix
蒲生氏郷は「九戸の者で城から落ちようとするものがあれば、すべて殺せ!」と命じた。
政実の舎弟・彦九郎実親は降人に出ず、一人であってもこの城を守って自害しようと思い定めていたが、
浅野長政から様々に『命においては問題ありません。どうか下城してください』としきりに勧められたため、
疑いつつも本丸を降りて二の丸に至ったところで、蒲生氏郷の軍勢が本丸より銃撃し、撃ち殺された。
そして殺戮が始まる。
哀れを極めたのは九戸政実の北の方と子息・亀千代である。
城内に敵が乱入したため途方に暮れ、北の方は亀千代の手を取り落人に紛れ城の外に出た所を、蒲生軍に捕らえられた。
そして氏郷の陣に引き連れられると、氏郷は外池甚五左衛門に命じた。
「首を刎ねよ」
母子を後方の森に引き出し、甚五左衛門が太刀を取り後に回ると、北の方は
「少し待ってください。心静かに最期の十念をしてそれから討たれたいのです。」
そう言うと泣きながら亀千代の側まで近づき
「どうか、未練に見えないようにしなさい。西に向かって手を合わせ、南無阿弥陀仏と唱えていれば、必ず浄土に
迎え取られますよ。」と教えると、亀千代はおとなしく合掌し、念仏を唱えながら言った。
「早く討たれよ」
そう言われて外池甚五左衛門は彼の後ろに回ったが、誠に容顔美麗な子供が、細い手をあわせて畏まって居るのを見ると
さすがに哀れだと感じ、暫く討つことが出来なかった。
この姿を見た者達、涙を流さぬものはいなかったという。
北の方は言った
「私から斬られるのが順というものでしょう。ですが、幼い者が母を討たれるのを見れば、きっと驚いてしまうでしょう。
先ず、その子を早く斬ってください。」
この言葉に外池は太刀を振るうと、亀千代の頸は前に落ちた。それを見た北の方は守り刀を取り出し自害した。
外池は母子2つの首を取って氏郷のお目に懸け、氏郷から弔うようにと、菩提寺である長光寺に送られた。
九戸城の二の丸に押し込められた九戸一族郎党は、四方より火をかけられ、猛火の中逃げでてくる者達は
弓・鉄砲・槍・長刀にて討ち取られ、刃を恐れ逃げる者達は、焔に巻かれ焼け死んだ。
老若男女の泣き叫ぶ声は天に響き、目も当てられぬ有様であった。
数代にわたって繁栄した九戸も、忽ちに一時の灰塵となって失せたのである。
(天正南部軍記)
九戸政実の乱、処分の顛末である。
90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 10:09:18.07 ID:11RoK+SS
九戸政実の乱と肥後国人一揆については、ちょっと悪い話どころじゃないよな。
91 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/30(火) 10:31:23.51 ID:WmDBGrPA
時勢を読めなかったってことなんだろうなー
92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 10:42:16.15 ID:UPwYGmX+
名門でも無い雑魚大名は皆殺しがデフォだな
秋月が赦されたのが例外中の例外
楢柴パワーのおかげ
93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 11:22:11.60 ID:kiwqNgSz
秋月は平家方に味方して大宰府現地長官の地位を追われた人の末裔
94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 13:54:35.38 ID:1CCIsB62
ああ、すごく悪い話だな
95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 13:58:45.76 ID:rA8w7bE1
汚いなさすが南部きたない
天正19年(1591)、豊臣秀吉の奥州仕置への大きな反発の一つとして勃発した九戸政実の乱。
要害である九戸城に籠る政実に、浅野長政、蒲生氏郷などを中心とする6万の豊臣軍はこれを攻めあぐね、
戦線は膠着した。
そこで南部信直の献策により、浅野長政は九戸氏の菩提寺である鳳朝山長興寺の薩天和尚を使者として
九戸城に送り、書状を以って九戸政実にこの様に申し入れた
『九戸がこのように籠城し、諸人をあい煩わせているのは意味のない行為です。何故なら、天下を敵に受けて
どれだけ防ぎ続けたとしても、どうして本望を達せられるでしょうか。終には城を攻め落とされて、皆々殺戮され、
一門郎党までも滅亡するでしょう。
ただし九戸は元来天下に対して逆意を持っているわけではありません。であれば速やかに降参し、前非を改め、
京に上がって右の趣を弁明すれば、秀吉公もきっとお赦しになるでしょう。その上私を始めとする諸大名があなたを
弁護するので、死罪、流刑ということには決してなりません。
よしなき謀反人となって一門が滅亡するよりも、戦をやめ降人となってどうか城より出てください。
しかし、もしこれに同心無いのであれば、致し方なく攻め果たすでしょう。』
これに九戸政実は動揺した
「その通り、私は元来天下に対して逆心があるわけではない。弾正殿(長政)さえ納得しているのなら、降伏したものを
死罪や流罪にまですることはないだろう。
それに、私自身の身の上はどうなっても構わない。だが心に懸かるのは11歳になるわが子亀千代のことである。
あの子が生き延び、どこの野の末、山の奥であっても健やかに生活していけるのなら、私はこの首を斬られても
少しも厭わない。」
これに対し政実の舎弟・彦九郎実親は
「殿の仰ることは尤もだと思います。ですが上方の習いとして、弓矢で以って敵を討つ事はせず、ただ謀略ばかりによって
骨折りすること無く人を倒すといいます。去年北条殿も、そのように謀られたために、小田原の城は落ちてしまったのです。
その上、仮に弾正殿が赦したとしても、私達が直接反旗を翻した南部信直が私達を許すでしょうか!?
侍というものは、死すべき場所で死なねば必ず後悔するものです。
今、この城を枕に潔く討ち死にすれば、名は後代に残り滅亡したあとも人々はその薫香を感じてくれるでしょう。
殿はこれをどうお考えか!?」
そう、はばからず発言し、これに九戸家中は、さもありなんと押し黙った。
しかし使者の薩天和尚はこれに
「彦九郎様の仰ることも一理あります。しかし弾正殿ほどの侍が、出家であるこの私に対し偽るとは思えません。
それに降参すれば命を助けると仰った以上、南部信直も自我を押し通して殺害するようなことはしないでしょう。
とにかく天下を敵に請けて、万が一にも遁れられません。一人の覚悟のためだけに万人を殺すというのは、仏神の
咎も深いものです。一旦敵に下り、身命を全うし子孫の後の繁栄を図るのは、これもまた孝行の道ではないでしょうか。
どうか恨みの心を止めて、これをお請けなさるべきです。」
この言葉に九戸政実は遂に、降伏を決めた。
当然、長政の嘘である
九戸城の本丸は蒲生氏郷が接収し、籠城衆はみな二の丸、三の丸に移された。九戸政実は重臣たちとともに
九戸城を出て浅野長政の陣に出頭した。
ところがここで彼らは「降人の作法である」と武器を剥ぎ取られ、囚人のように一ヶ所に監禁された。
「騙された!」
もう遅かった。
89 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 08:00:23.27 ID:Rgn5Goix
蒲生氏郷は「九戸の者で城から落ちようとするものがあれば、すべて殺せ!」と命じた。
政実の舎弟・彦九郎実親は降人に出ず、一人であってもこの城を守って自害しようと思い定めていたが、
浅野長政から様々に『命においては問題ありません。どうか下城してください』としきりに勧められたため、
疑いつつも本丸を降りて二の丸に至ったところで、蒲生氏郷の軍勢が本丸より銃撃し、撃ち殺された。
そして殺戮が始まる。
哀れを極めたのは九戸政実の北の方と子息・亀千代である。
城内に敵が乱入したため途方に暮れ、北の方は亀千代の手を取り落人に紛れ城の外に出た所を、蒲生軍に捕らえられた。
そして氏郷の陣に引き連れられると、氏郷は外池甚五左衛門に命じた。
「首を刎ねよ」
母子を後方の森に引き出し、甚五左衛門が太刀を取り後に回ると、北の方は
「少し待ってください。心静かに最期の十念をしてそれから討たれたいのです。」
そう言うと泣きながら亀千代の側まで近づき
「どうか、未練に見えないようにしなさい。西に向かって手を合わせ、南無阿弥陀仏と唱えていれば、必ず浄土に
迎え取られますよ。」と教えると、亀千代はおとなしく合掌し、念仏を唱えながら言った。
「早く討たれよ」
そう言われて外池甚五左衛門は彼の後ろに回ったが、誠に容顔美麗な子供が、細い手をあわせて畏まって居るのを見ると
さすがに哀れだと感じ、暫く討つことが出来なかった。
この姿を見た者達、涙を流さぬものはいなかったという。
北の方は言った
「私から斬られるのが順というものでしょう。ですが、幼い者が母を討たれるのを見れば、きっと驚いてしまうでしょう。
先ず、その子を早く斬ってください。」
この言葉に外池は太刀を振るうと、亀千代の頸は前に落ちた。それを見た北の方は守り刀を取り出し自害した。
外池は母子2つの首を取って氏郷のお目に懸け、氏郷から弔うようにと、菩提寺である長光寺に送られた。
九戸城の二の丸に押し込められた九戸一族郎党は、四方より火をかけられ、猛火の中逃げでてくる者達は
弓・鉄砲・槍・長刀にて討ち取られ、刃を恐れ逃げる者達は、焔に巻かれ焼け死んだ。
老若男女の泣き叫ぶ声は天に響き、目も当てられぬ有様であった。
数代にわたって繁栄した九戸も、忽ちに一時の灰塵となって失せたのである。
(天正南部軍記)
九戸政実の乱、処分の顛末である。
90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 10:09:18.07 ID:11RoK+SS
九戸政実の乱と肥後国人一揆については、ちょっと悪い話どころじゃないよな。
91 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/30(火) 10:31:23.51 ID:WmDBGrPA
時勢を読めなかったってことなんだろうなー
92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 10:42:16.15 ID:UPwYGmX+
名門でも無い雑魚大名は皆殺しがデフォだな
秋月が赦されたのが例外中の例外
楢柴パワーのおかげ
93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 11:22:11.60 ID:kiwqNgSz
秋月は平家方に味方して大宰府現地長官の地位を追われた人の末裔
94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 13:54:35.38 ID:1CCIsB62
ああ、すごく悪い話だな
95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 13:58:45.76 ID:rA8w7bE1
汚いなさすが南部きたない
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コメント
人間七七四年 | URL | -
天下人になってる(もしくは一歩手前)時期くらいだから、治世や泰平の為にやむを得ない部分はあるんだろうが、それでもこういうジェノサイドの裏にラスボスの陰がちらつくのは何とも言えないな…
( 2012年10月30日 21:53 )
人間七七四年 | URL | -
初めてコメントするが…
何この後味の悪さ
蒲生氏郷のイメージも覆ったわ
やはり豊臣秀吉らと同じ穴のむじなだなぁ
( 2012年10月30日 21:59 )
人間七七四年 | URL | dMx4al9c
浅野と蒲生の代わりが家康だったら絶対に同じような事はしなかっただろうな
( 2012年10月30日 22:35 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
※2
だから早死にしたし、家も滅びたじゃん
※3
こういう、どうしようも無い所に関わらなかったから、家が続いたんだろ
「田舎者が町の奴を信じるな」逆も同じとは思うが、良い教訓だ。
青森しかり熊本しかり高知も。
土佐一条は地元民にヤられたんだっけ?
( 2012年10月30日 22:49 )
人間七七四年 | URL | tKQf3S82
汚れ仕事もきっちりとこなすあたり
好き嫌いの感情は別としてやっぱり蒲生氏郷は有能ですわな
( 2012年10月30日 23:08 [Edit] )
あ | URL | etbfE.eg
浅野長政も逸話の中では「奉行衆唯一の良識人」みたいな扱いだけど
割とエグい事やったり、取次先の大名と問題起こしたりしてるよなあ。
( 2012年10月30日 23:35 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
彦九郎の小田原の感想が当たっていたわけだな。これは彦九郎の言う通り討ち死にしたほうが良かったパターン。口の巧い坊さんにしてやられたな
( 2012年10月31日 00:45 )
人間七七四年 | URL | -
よく
「死して名を残せば本望…」
的なセリフを聞くが、マジな所ほとんどどころかまったく残ってないんじゃね
※4
関係なくないか?
悪党ほど天寿を全うしている気がするが…
( 2012年10月31日 04:31 )
人間七七四年 | URL | -
当時の武士の言行読んでるとこれ以上敵にへつらって恥かきたくないから討ち死のうって意味が強いと思う。長い目で見た歴史には残りにくいかもしれないけど合戦参加者にはアイツは劣勢でも勇敢だったと評価されるから名を残してやるって意味もあるっちゃあるでしょ。
別の場合に聖賢豪傑となって死後も名を残すって志を立てるような意味の言行もあるかな
( 2012年10月31日 05:08 )
人間七七四年 | URL | -
おそらくは皆殺しにしろって命令が来てたんだろうな
反乱に甘い処罰してたら各地で反乱勃発してしまうし仕方ない
で、正々堂々やると損害がでかいからだまし討ち
時勢が読めない人のせいで皆が嫌な気分になる
家康ならやらなかったとか阿保かと
そもそもこれから天下を平定する秀吉と
その平定した天下を受け継ぐ家康とじゃ条件が違いすぎる
秀吉が天下統一していたから家康には苛烈な罰をふるう必要なかっただけで
家康が天下を平定するならこういう処置もしただろ
( 2012年10月31日 09:17 )
人間七七四年 | URL | -
武士の嘘は計略だと何回言えば・・・。
>4
>早死に
全く因果関係は無いかと?それはただの持論では?
それを、さも世の中の常識的な物言いは良くない!
何
最近米欄にやたらと「じゃん」「だろ」とか言うの
があるけど書き方が2ch臭いわ。
( 2012年10月31日 11:15 )
人間七七四年 | URL | -
だって元々2chのスレじゃんここ
( 2012年10月31日 11:39 )
人間七七四年 | URL | -
「侍というものは、死すべき場所で死なねば必ず後悔するもの」
今回はこれに尽きるな。落城すれば皆殺しは当たり前、騙し討ちも当たり前の世界に卑怯もクソもないよ。九戸だってそうして生き残ってきたし、そもそも反逆者なんだから温情を与えられると考える方が了見が甘いよ。
俺達が見て後味悪いのは当然だが、それで浅野や工場長が卑怯の残虐の、ってのはちょっと違うんじゃないかな。謀事をもって敵を制するのは、武略というし、また最後の手段なわけだし。
武士の世界は自他ともに峻烈な世界だ、ってのを垣間見た気分だな。それだけだよ。
( 2012年10月31日 13:35 )
人間七七四年 | URL | m.2.LkcQ
>>8
家康「んん?誰のコトを言ってる?」
義久「まさか俺のコトじゃないよな?」
早雲「俺のコトだろ」
元就「長生きしたって嫁が先に死んじゃったらイイ事なんて何にもないよ」
信之「ですよねぇ」
秀家 「八丈島暖かいお」
氏真「蹴鞠楽しいお」
( 2012年10月31日 16:08 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
武士の嘘は武略…とは言え後味悪すぎ
蒲生とか工場長とか呼ばれて名将扱いだけど、個人的には嫌いなタイプの名将だわ。
( 2012年10月31日 22:17 )
人間七七四年 | URL | -
大勢力相手に講和に持ち込むのは大変だな。大勢力相手にいろんな意味で粘って少しでも好条件の講和引き出すのは真田家がうまいなと思う
( 2012年10月31日 23:13 )
人間七七四年 | URL | -
信直もやってることは為信といい勝負だと思う
( 2012年11月01日 00:04 )
人間七七四年 | URL | -
>12
ここは前から「ブログはブログ」「向こうとは独立して居る」と言うスタンス
だよ?と言うかだね、その事知らないで書いてるって事は新参だろ?
こう言う2ch繋がりだから同じスタンスで書くって奴、ブログ組は迷惑だよ。
前からトラブル絶えないからね。
( 2012年11月01日 12:50 )
人間七七四年 | URL | -
ブログ組www
はいはい、高尚高尚
ほんとうに、お上品な御方だこと
( 2012年11月01日 14:37 )
まとめ管理人 | URL | wZ.hFnaU
荒れると管理人としては困っちゃいますので、冷静な議論はいいのですが、
あまり煽るような書き込みはどうかご自重ください。
( 2012年11月01日 17:05 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
このとき、信直がついでに為信を討ち取ろうとしてたような
なんにしても津軽に息子の一人を預けておいてよかったな、政実さん
( 2012年11月01日 19:39 )
人間七七四年 | URL | mQop/nM.
「歴史上の人物は全員清らか」なんて、正義の人・上杉謙信が人身売買をする筈がないと言ってるのと同じだ。
そら、やりすぎには引くけど、善悪ではなく当時の世の習いに従って生きてるんだよ。
( 2012年11月02日 10:37 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
こんなことばっかしてればそりゃあ豊臣も根絶やしになるよ
当時は北条は謀られたって認識だったのかな
( 2012年11月03日 12:54 )
人間七七四年 | URL | -
>武士の嘘は武略
これは当主同士の謀略戦なら納得できるけど、女・幼子・一族郎党まで巻き込んでいるのがこの話の後味の悪さだと思う。
表向きは皆殺しでも、実は搦め手からこっそり逃がしてましたなら、まだ救いはあったんだけど・・・
( 2016年01月25日 21:00 )
人間七七四年 | URL | -
天下統一最後の仕上げといえば聞こえはいいが、蓋を開ければ田舎の木っ端大名に手こずり、騙し、女子供も皆殺し。
こんなみっともない仕上げあったもんじゃない。
( 2016年12月04日 06:44 )
人間七七四年 | URL | -
※25
木っ端大名はただの個人の主観でしかない。むしろ、豊臣軍を梃子摺らせたと見ることが
何故出来ないのでしょう?九戸城の縄張りも難攻に相応しい作りなのですが、見たこと無いの?
城内皆殺しも、見っともなくも無ければ、しないと逆に後の世に示しが付かないってだけの事。
敵対者を殺さないで済んだ戦国大名なんて、この世に一人として存在しない。
( 2016年12月04日 10:31 )
人間七七四年 | URL | j7kPgX2Q
悪いことしたから早死にした、悪いことしたから家が滅びた理論は夏草生える
ここで悪いと言われることしてもなお長生きしたり家を栄えさせた大名も大勢いるやん
ねえ為信さん
( 2017年10月29日 12:26 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
※22
何処かの武蔵さんは無双し過ぎて早死にしてしまったんですね、分ります。
( 2017年10月29日 16:09 )
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