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島津義弘と膝跪栗毛

2012年11月01日 19:52

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/31(水) 22:11:22.22 ID:K68WsBuF
島津義弘と膝跪栗毛


元亀3年(1572年)、薩摩の島津と日向の伊東が戦った『木崎原(きさきばる)の戦い』でのこと。

この合戦の前、島津勢の指揮官、島津義弘はある夢を見た。自分の乗っていた馬が
足を折ってしまうという夢だった。
夢の内容を菊一という盲目の僧に占わせると、それは次の合戦に島津が勝つという
お告げであるという。

馬が足を折ったなら当然馬から降りなければならない。

馬を降りるということは歩くことになる。

歩くこと、すなわち「徒歩(かち)」なので「勝ち」

なのだと。

(続く)

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/31(水) 22:11:55.45 ID:K68WsBuF
そして木崎原の戦い本番。ダジャレ、もといお告げが当たったのか、戦いは島津の勝利となった。
義弘が戦場を馬で回っていると、敗走する伊東勢の中で殿軍をつとめる騎馬武者が
目にとまった。

「我は島津兵庫頭なり! いざ勝負せよ!」

と大音声で呼ばわれば騎馬武者も名乗り返し、

「総大将御自らとは光栄! 柚木崎丹後守、参る!」

馬を駆って向かってきた。柚木崎(ゆきさき)丹後守正家は日向柚木崎城の城主で、
伊東勢の大将のひとりである。

義弘と丹後守は二度三度と槍を合わせるも、丹後守が馬から落ちて地面に転がる。
こうした場合、本人が馬から下りて討つか、徒歩で付き従う家臣郎党が討つのだが、
このとき主人の意を真っ先に察したのは義弘の乗馬だった。
この馬が前足の膝を折り曲げて地面につけたのである。義弘は槍を下に向けて突き、
みごと丹後守を討ち取った。

義弘は夢のお告げを正夢にしたこの馬を「膝衝栗毛(ひざつきくりげ)」と命名し、
非常に大切にした。
『名将言行録』によれば、義弘は生涯52回の戦いのうち20回余りをこの膝衝栗毛に跨って
臨んだという。
膝衝栗毛は馬としては非常に長命の86歳まで生き、鹿児島県姶良市の亀泉院跡に墓が残されている。

加藤清正の帝釈栗毛、鬼武蔵の百段にも劣らぬ、島津義弘の愛馬のお話。



186 名前:172-173[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 08:26:31.27 ID:DKgNWerh
ひとつ書き忘れ。

記録によると膝衝栗毛は牝馬(メス)だったようで。
戦のたびに駆り出されてると、繁殖はできなかったんじゃないかなあ。

義弘お兄ちゃん動物にもモテモテというお話。




175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/31(水) 23:12:18.05 ID:kN4VqeVH
>>173
馬だったら、超長命でも40歳くらい?実は象だったんじゃ?w


176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 00:04:53.06 ID:g5WrITFm
実はその馬お兄ちゃんが中に入ってたんじゃね?

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 01:00:19.97 ID:+VLFSbrt
>>175
かの三冠馬シンザンが日本の軽種馬の最高齢記録を保持していたけど、
それでも満35歳。40歳なんてまずありえんと言い切っていいレベル。
ましてや80歳以上だなんて…

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 01:39:47.49 ID:504Z1GA8
この手の図抜けた長命の動物の話って、単なるホラ話というよりは、
事情を知らない一般人が二代目や三代目の死亡年から逆算した勘違いでは。
そんなに縁起のいい馬なら、繁殖させたりもするだろうし、
二代目三代目が居ても不思議じゃない気がするけどね。

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 02:02:03.47 ID:c293RWN0
あるいは暦で示されててちょうど60年分勘違いしてるかもな
26歳なら普通すぎるかw

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 02:42:28.49 ID:YrMp6V1+
なんかの脱字か何かじゃないかな?

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 03:45:36.73 ID:aDa6Tlf6
>>175
鬼武蔵さんの愛馬も相当長生きだったよね

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 04:29:58.01 ID:eL3tFQLr
膝衝栗毛ハ十六歳マデ生キマシタ。


187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 14:31:09.77 ID:gJQfI2k2
>義弘は生涯52回の戦いのうち20回余りをこの膝衝栗毛に跨って

乗ってない時は馬が産休入ってたからかもよw

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 15:16:34.08 ID:504Z1GA8
そうだな
「出産前後くらいは日頃の感謝をこめて・・・サンキュー」とか言ってたかもな

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 15:30:00.19 ID:V46KQ4t9
>>188
発音的にはテンキューではないかと武田左馬助様が申しております
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >>172
    そういや義弘の甥っ子(善い家久さんの方の息子さん)も、
    「凶會(くえ)の日なら敵を追い回して『喰え』!」
    みたいな駄洒落(?)言って、味方を鼓舞した、みたいな逸話があったな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    小学生の時膝跪栗毛の墓を見た時は何とも思わなかったが
    おっさんになると感慨深いよな
    ツーカーの嫁とか部下を持ったみたいでw

  3. 人間七七四年 | URL | 1Nt04ABk

    柚木崎さんは某フリーゲームで伊東家にしては武力高いから注目してたけど
    義弘さんと一騎討ちの逸話があったのかー
    肝付、伊東、相良と島津の長年の戦相手の逸話もどんどん発掘されてほしいなあ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    膝突栗毛の年齢は、二次史料によっては人の年齢に換算して…とかあるから、86年間も生きたということではないんでないの?

  5. 人間七七四年 | URL | LMs.iqQA

    >>2
    馬だけにまさに馬があったのですな

    おや、こんな時間にお客さんたちだ

  6. 人間七七四年 | URL | -

    188-189の流れは上手いなあ

  7. 人間七七四年 | URL | -

    三国志の赤兎馬も出番つなげるととんでもなく長寿だよな
    (呂布の裏切りから関羽の死まで)

  8. 人間七七四年 | URL | -

    赤兎馬と同じ汗血馬種を
    伊達が飼ってたんだっけ?

  9. 人間七七四年 | URL | -

    赤い汗・・・河馬か!

  10. 人間七七四年 | URL | m.2.LkcQ

    尻尾でウンチばらまくのか、イヤだな。
    こないだナショジオで見た河馬はライオン数頭と闘って一匹に噛みついて踏み潰した挙げ句逃げ切ってた、河馬最強説もあながち馬鹿に出来ないな。

  11. 人間七七四年 | URL | LkZag.iM

    ※10
    牛に襲いかかった犬2頭が瞬殺された画像思い出した
    首のひと振りで宙を舞ってたな…

    「草食」という響きに騙されちゃいけない
    奴ら結構凶暴だぜ

  12. 人間七七四年 | URL | -

    正確にはホモサピエンスのタッパが弱すぎるだけ

  13. 人間七七四年 | URL | -

    飫肥藩伊東家の藩営牧場から馬が野生化した都井岬の野生馬は雄馬は15歳くらいまでハーレム維持するが、老化して体力が衰えると牝馬から見放され20歳前には衰弱死するらしい

  14. 人間七七四年 | URL | -

    まあ一騎打ちっていうだけでファンタジーな話だけれども

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