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「九太夫は乱心してこの姿となりました」

2012年11月05日 19:53

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/05(月) 17:49:39.74 ID:CRdp7WOK

鈴木正三は三河の人で、若き日には徳川家康に従い関ヶ原や大坂陣に従軍した。

正三は若い頃より人生に死があるということについて常々疑問を抱いていた。
彼はあまねく臨済や曹洞の老大家に参じて教えを受けていた。

そして元和より徳川家の威風によって世も静謐になったという時に、
正三は俄かに思い立って自ら髪を削り、刀もささずに老中の邸宅を訪れて

「九太夫は乱心してこの姿となりました。正三をそのまま法名とし、今より世を
遁れます。この由を上聴に入れられよ」と言い残し、江戸を離れて何処ともなく
出ていった。そして諸国を遍参すること十余年にして三河、のち江戸に帰って来た。

正三は常に門人に曰く「洒落仏法、ぬけがら坐禅は何の役にも立たないぞ。
眼を据えて歯を噛み締め、果眼(果たし合いの眼)になって群がる敵の中に躍りこみ、
敵の槍先に突っ立つ覚悟で修行しろ」と教えた。

また正三は豪放な性格で小事に拘らなかった。病気の時には肉を食ってその身を養い、
少しも憚ることはなかったという。




296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/05(月) 18:44:04.16 ID:/CwFW1/+
なんだかもう仏教じゃないようなw

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/05(月) 18:58:12.21 ID:iL59pcZo
坊主もめんどくさいのか

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/05(月) 18:59:23.52 ID:QSo1zp0c
武士は敵に南無阿弥陀と飛び込み、
農民は畑を南無阿弥陀仏と鍬で打ての人だからな
三河仏法
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    島原の乱の後、島原の寺院を復興に尽力した人か。
    確か寺沢氏がやった超過大評価の検地のせいで表高が実高の倍くらいまで膨らんでいた状態で
    前例のない減知の高直しをやるのに、代官やってたこの人の弟が切腹して主張したから、
    ようやく幕閣が高直しを認めて島原の経済的復興が出来たんだよな。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    この老中ってのだれだろ?正信?利勝?家康健在の頃かな

    話変わるが家康ってマジ性豪だったとかって逸話どっかで読んだんだが誰か知らない?
    巨根で精液パネェ絶倫量だったとかで夜伽相手が結構命懸けとかいう逸話読んだ記憶か…

  3. 人間七七四年 | URL | -

    鈴木一族は天草の恩人ですな。命をかけて減知を申し出たのは近年否定されているようです(普通に病死だったとか)。ただこの一族の熱意のお陰で天草が復興する切掛になったのは間違いないです。
    自分が子供の頃は地元の偉人枠で学校教育で出て来なかったけど、小中学生には教えて欲しいな。

  4. 人間七七四年 | URL | m.2.LkcQ

    ※2
    ひこにゃん「ああ、毎晩命掛けだったよ」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    管理人さん、298と299のレスがダブってまっせ

  6. 人間七七四年 | URL | -

    >2
    本当に全く関係の無い話だな。そんなの他の場所で聞けよ。

  7. 人間七七四年 | URL | IwZaysKE

    ※5
    298と299が分身してますね。

  8. まとめ管理人 | URL | -

    ※5
    ※7
    すいません!直しておきます

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