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大宮大之丞と秀吉 その1

2012年11月18日 19:06

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 00:19:40.31 ID:Zt+952DC
大宮大之丞と秀吉 その1


永禄12年(1569)、伊勢北畠氏討伐の軍を発した織田信長は、
北畠具教が籠る大河内城に向かって進軍中、北畠氏の支城・阿坂城に降伏を勧告した。

ところが城主・大宮入道はこれを激しい調子ではねつけたので、
これに腹を立てた信長はならば攻めよと、先手の軍勢を呼び返して阿坂城攻めを命じた。

この時の織田勢の先陣は木下藤吉郎秀吉であり、真っ先に進んで阿坂城に攻めかかったが、
城主大宮入道の子息・大宮大之丞は高名な強弓の上手であったため、
寄せ手は容赦なく矢を浴びる羽目になり、秀吉自身も左の太ももを射られてしまった。

ところが、秀吉は少しも怯まずに味方を励まし、ひたすらに攻め立てたので、
たちまち城方は疲れ果てる。

ここで大宮の家老・遠藤源五右衛門、同條助は敵が大勢なので臆病風に吹かれたか、
にわかに心変りして寄せ手に内通し、城内の鉄砲の火薬に水を入れ、使い物にならなくしてしまった。
こうなっては大宮もどうしようもなく、士卒の助命を条件に開城し落ち延びていった。

(伊勢国司記略)


この戦いで受けた傷が秀吉の生涯唯一の戦傷だったらしく、
これがなければ本多忠勝のような無傷に関する伝説ができてたかも知れない
ちなみに負傷した箇所は左肱説もある




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    足軽出身が負傷一つしないとはw

  2.   | URL | -

    ウォーリーを探せ「結局最後に天下を握ったのは逃げ回っていた足軽だった」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    結構前線で戦っていた印象があるのにこれだけなのか
    たぶん「大きな傷」って意味なのでしょうけど、それでもすげぇな

  4. 人間七七四年 | URL | jtwaJ13Q

    あれ?
    今思い出したが、これ『信長のシェフ』で、こんな描写あったな

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