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雑談・関ヶ原の兵数のことなど

2012年11月22日 19:57

440 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/21(水) 11:45:25.97 ID:yuZ2AsFA
>>433
忠勝「わしの手勢は500だが?」

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 13:08:54.92 ID:6pAeQzF3
兵500で100の首挙げられちゃ何も言えませんがな
兵5,000で前線でバリバリやってた主力の細川隊ですら首200なのに。
おかしいですよ本多さん・・・

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 20:08:08.28 ID:IINPhY91
>>441
兵数は参謀本部の推定だからなー。
東軍、西軍ともに実際の兵数は通説より少ない気がする。

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 20:10:28.02 ID:hvSbJfUS
実は小早川参戦前から西軍はフルボッコ状態だったって説もあるんだっけ?

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 20:19:09.78 ID:VwY/B77K
参謀本部言うたらアメリカの戦力やソ連の戦力、ドイツの戦力も理解できなかったどころか
支那の戦力ですら読めなかった無能集団だろ。
信用するほうがおかしいぞ。

445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 20:25:52.73 ID:258mDYVm
>>443
昨今の、薩摩の覚書などを元にした研究だとそういう話も出てるね。
少なくとも三成陣に関しては、島左近が負傷した後即座に崩れたとか。

あと西軍は東軍より相当数が少なく、東軍の半分程度だったんじゃないか、なんて話も。

446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 20:33:09.35 ID:XT8aC3CY
なんだかんだ言っても豊臣軍主力は上杉征伐行ってた東軍の側だしな…

448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 21:22:47.96 ID:hvSbJfUS
>>445
そうそう。桐野作人氏の説ね。
個人的には「天下分け目の決戦」で割と五分の勝負が続いてた
って方がロマンがあって好きなだけに実像を知って割とショックだったわw

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 21:42:06.34 ID:IINPhY91
>>443
そういう説はあるね。東軍が一気に前進して押しつぶしたってやつ。

激戦だったにしては東軍は翌日からすんなり行動を再開してるし、
夕方に戦いが終わったとすれば首実検が終わらんのじゃないかとか
あれこれ考えると、東軍があっさり勝ったと考える方が合理的ではある。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    毛利・長宗我部が動いてもどうしようもなかったのかな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    小早川軍も開戦したらすぐに山を降り始めたって説もあるよね
    大軍なんで降りきるまでに時間がかかっただけで裏切りに迷ったりはしてなかったというか
    最初から東軍のつもりだった

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    まぁ前日に西軍の兵おっぱらって松尾山に陣取ってる時点で東軍に付いてるも同然だしね

  4. 人間七七四年 | URL | -

    「私も参戦したかった!!!!」
    「何か、治部少輔殿とかに含むところでもあるのかよ…。とはいえ、左近殿ならお灸据えてくれたかもしれないけど。」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    関ヶ原の実態はよく分かってなかったのか
    そのことにまず驚いた
    勝った側も相手は強かったと言えた方が箔が付くし
    後世色々と脚色もされてるだろうからありそうな話ではあるね

  6. 人間七七四年 | URL | ApZfZ83U

    まあ、あくまでもそういう説もある程度だからね。
    一方で日暮れまで戦闘が続いたって当時の記録もあるし
    「これが真実だ」とは一概には言えないでしょ。
    「通説を覆す衝撃の真実」ってのは食いつきはいいけどね。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    でも確かに、例の「西軍が地の利を得た布陣」も、
    西軍の方がかなり少なく、
    東軍がそれを突破できるかどうかの戦いだったと考えれば
    けっこう納得できそうな気がする。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    なるほど、これまで歴史小説やらドラマやらで関ヶ原本戦のことを示す際、東軍に比べて西軍の将の数がえらい少ない人数しか紹介されない事があるのに違和感を感じていたけど、単純に兵数に差があったという伝わり方もあるのか。

    大河の葵徳川三代を見た時も西軍1人に対して東軍はたいてい3~4人の将。1対1で紹介されたのが宇喜多vs福島だけだったのも、制作側の意図もあるけど実際ハンデ戦だった可能性もあったわけだね。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    実地にいくと結構坂ばっかで移動つらそうだしなぁ

  10. 人間七七四年 | URL | -

    機動が困難な狭い盆地。
    当時の鉄砲は止まって撃つ、込めるもので、城塞・陣地が絶対有利。
    背後作戦線を東軍ほど気にせずにすむ。
    傍観軍にも東軍は備えが必要。

    西軍の右翼・東軍の左翼を包囲機動出来る小早川秀秋はこの戦のキーマンであったのは間違いない。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    1万石あたり200人の動員兵数と考えると、石田と宇喜多は明らかに多すぎるんだよな。
    ほぼ地元の石田勢は19万石で動員可能な3800人全て連れてきていた可能性もあるけど、
    遠国の宇喜多勢は動員可能な11600人のうち、一部は本国に置いてきてるだろうから、
    10000が限度と思うし。逆に小早川秀秋なんかも15000って、37万石じゃ絶対無理と思うし。
    こうやって考えてみると、全体的に1.5倍~2倍されてる印象だわ。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    100万北見パワーも考えを改めなくては。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    兵数に関しては傭兵とか陣借りとかあるんで石高イコールではないとおもうが、
    三成って全財産はたいて兵を募ってなかった?

  14. 人間七七四年 | URL | -

    日和見してたり寝返った武将の兵数を計算すると、
    通説通りの兵数の場合でも「これは東軍が勝つわ」って数字になるしね

  15. e | URL | mQop/nM.

    他の戦に比べて日暮れだとしても一日で終わるのが戦が簡単に終わったというなによりの証拠だと思う
    小早川が裏切ったというのは西軍側の言い分であって東軍からしちゃ最初から見方だかもしれんし
    まあ三成は戦をするなら負け戦や裏切りが出たときを想定して戦略を考えなアカンつーこっちゃ

  16. 人間七七四年 | URL | -

    まあ獅子が率いる百の羊は、羊が率いる百の獅子を駆逐するっていうしな。
    実際、忠勝500ってゴットガンダム率いるガンダム500機vsザクⅡ率いるザクⅠ 一万機みたいなもの

  17. 人間七七四年 | URL | -

    米15
    踏み絵に伏見城攻撃されたり、不穏な行軍中には使者出して問いただしたり、関白で釣ったりと対処はしてる。
    大軍で名目上味方である秀秋軍を直接攻撃・粉砕なんて出来ん。

    退路を確保するための後詰の松尾城が負け戦への対策だったんだよ。
    それを秀秋に略奪された時点で詰み。

  18. 人間七七四年 | URL | -

    こうしてみると、毛利秀包や立花宗茂等の軍勢が大津城に足止めくらったのはそうとう痛かったんだろうな。もともと半強制的に西軍に加わらされた連中が多くて結束力弱かっただけに

  19. 人間七七四年 | URL | -

    史実通りの兵数だったとしても、秀忠軍3万8千が開戦に間に合ってたら東軍圧勝だったかな?

  20. 人間七七四年 | URL | -

    既に圧勝だったけどな

  21. 人間七七四年 | URL | -

    ふと思ったが徳川本隊の実戦能力って疑問符つかんか?
    国替え以来の実戦経験が無いんじゃ?

  22. 人間七七四年 | URL | -

    本隊が間に合ったらおそらく決戦が起きない
    両者がある程度勝負になると思ってるからこそ大軍同士の激突ってのが成立する

  23. 人間七七四年 | URL | -

    秀忠隊が到着するまで待ったら
    余裕で大津城に掛かってた部隊が合流して
    それこそ東軍が負けてたかも知れんよ。

    開戦自体は福島隊と井伊隊の先駆け争いからの偶発的なものみたいだけど
    仮に東軍が兵数で上回ってたなら大津城攻め部隊の到着前に決着をつけておく
    という考えもできる。

    時期と地形を見る限りちょっと難しそうだけど
    小牧・長久手張りの陣地構築合戦の関ヶ原も想像すると楽しい。

  24. 人間七七四年 | URL | -

    本多家の主力ってほとんど息子の秀忠隊に着いていって忠勝方には老齢と若年層の兵しか居なかった、ってどっかで見た気がするけど、実際は軍監として各地で首ひろいみたいな感じだったんじゃないか、と推測してるが

  25. 人間七七四年 | URL | -

    こういう、普通に調べてたらなかなか出てこない話があるからここのサイトは辞められない

  26. 人間七七四年 | URL | -

    >米11
    そう言う話は安国寺恵瓊の辺りを調べれば良く分かると思う。
    金が有る人は、石高以上の人数を揃える事は十分可能。
    黒官さんだって、本国で暴れたでしょ?

  27. 人間七七四年 | URL | -

    おそらく西軍方も金使って兵集めていたけど、劣勢だとなって関ヶ原前に逃げ出した兵多数居るんじゃないかと思う。

  28. 人間七七四年 | URL | -

    領内の防備をフル改造しつつ徳川家に全面謝罪したりヨイショしたりという武装土下座作戦をとってた島津さんの覚書だと別な思惑がありそうで…なさそうな…

  29. 人間七七四年 | URL | YqzQT8Bs

    ※27
    そういう記録は残らないのかなやっぱり

  30. 人間七七四年 | URL | -

    信長の戦果がいかに異常かがよくわかる話だ

  31. 人間七七四年 | URL | -

    >米27
    ん?関ヶ原前に西軍て劣勢だったか?むしろ西側で城を落しているし、
    善戦していたと思うけど?直前で不穏を感じるのなら美濃方面だけだし、
    それすら局地戦でしかない。全体を見れば十分戦えると思う。
    まだまだ逃げ出す程の状況じゃ無い。

  32. 人間七七四年 | URL | -

    ※31
    もともと西軍の決戦予定地は美濃~尾張なんよ
    というか、当初の防衛ラインは岐阜あたりで、それは書状から確認できる
    なのに、瞬く間に尾張へ取って返した東軍が援軍が間に合わないほどの速攻で岐阜を陥としてしまい、次に設定した木曽・揖斐川ラインまで突破されて、大垣に押し込められる形になった
    伊勢戦線はこの時点でプロレス始めてて、大垣への召集にこたえて移動したのも宇喜多・吉川くらい
    京極や細川に対しても予想外に時間と兵力を取られていて、一二を争う大兵力の小早川は佐和山付近で不審な動きをしてるし、8月後半時点で西軍は勢いが完全に止まっていた

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