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福島正則改易の時の、井伊直孝の発言などについて

2012年11月23日 19:52

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 08:32:42.17 ID:X2nhYk3I
これは元和5年(1619)の福島正則改易について、石谷将監(初名十蔵、後に土入と号す)が語った
事である。

伏見でにおいて将軍秀忠が福島正則の改易を決断する。
そこでこの時江戸藩邸にあった正則に対し、改易を伝える使者を出すことになったが、この時将軍秀忠を始め
主な幕閣などは伏見にあり、江戸には留守居があるのみであった。そのため

『彼の者は武功者であり、また心荒き者であるので、上意を素直に受け入れるとは思えません。
そうであれば使者として赴くのは、江戸留守居の者たちからではなく、(現在伏見にある老中格の)
井伊・本多・榊原・酒井などの内から出すべきであると考えます。』

と、評議において意見が出た。重大な事態に陥る可能性の高い使者である以上、相応の
責任を持ったものが行くべきだ、という事であろう。

これを聞いた井伊掃部頭直孝は、言う

「おやおや、いざ合戦となって先陣を務めるのは私の役目であるぞ。この時は江戸留守居に残った
者達の出番はない。
幸いにも、今回のような事は、御上洛の御留守を承り、江戸御城下に居ながらのお使いという、
御留守居衆にとってうってつけの役目である。

各々の察している通り、福島左衛門大夫はこの改易を、とても素直に受け入れるとは思えない。
もし最初の使者からの改易の命を拒否したことが解れば、次は我々から彼に当てた書状を出すべきである。
その内容は

『あなたは咎によって安芸・備後両州を召し上げられ、どこどこに改易されることになった。
この事を御恨みに思うのであれば、広島に下って挙兵するのも、またそちらの屋敷に立て籠もるのも、
心次第にやって頂いて構わない。』

これを見てもまだ左衛門大夫が、むつかしく改易をお受けしないのであれば、その時は他でもない。
この掃部頭に仰せ付けられよ。討ち取って差し上げよう。

ともかく、先ずは穏当に使者を遣わされるべきであろう。」

これを秀忠もいかにもと考え、江戸留守居であった牧野駿河守信成以下が、正則への上使となった。


その頃正則の江戸屋敷は、今の増上寺の近く、愛宕山の下にあった。そのため愛宕山に石火矢を
配備し、緊急の事態になればすぐさま正則の屋敷に向かって撃ちこむ用意をしていた。

ところが、思いの外に正則は静かに改易を受け入れた。この事、江戸より伏見に報告されると、
伏見では秀忠上洛のお供として召し連れられていた、正則の嫡男備後守(忠勝)も取り籠められた。
(武野燭談)

福島正則改易の時の、井伊直孝の発言などについての逸話である。





542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 09:12:53.57 ID:AwgcWyxp
留守居の顔を立てたいい話
秀忠公は落ち着いているなぁ

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 10:09:00.99 ID:FAotWQ89
市松の身から出た錆とはいえ、改易話はやるせないなぁ

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 11:39:39.74 ID:HRCXv3lr
静かに受け入れたのも罪滅ぼしだったのかもね

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 11:58:25.63 ID:Ol09G7q6
きっと酒が入っていなかったんだろう

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 16:24:58.24 ID:KLdq6rtb
是非もなしって感じかな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    正則「酒ッ!飲まずにはいられないッッ!」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    市松「清正も死んじゃったし…なんかもういいや…」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    なんだかんだ言って純情な人だったから、豊臣家が滅んでからは虚無感だけが残って
    家を存続していくだけの覇気がなくなったのかな。広島城修築の件でも投げやりになって
    ああいう対応してになって、改易と言われた時も素直に改易受け入れたのか、と思った。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    清正とか、豊臣子飼いかつ長年労苦を共にしてて、かつ仲良かったっぽい武将に既に死なれてるのも理由のひとつなのかな…?
    何だかんだ言って純情ってのは分かる。そもそも市松さん、よく言われるように「酒さえ飲まなければ」良識人かつ優秀な方だしなぁ…

  5. 人間七七四年 | URL | -

    まぁ冷静に考えたら徳川幕府が豊臣系大名を安穏と残して置くわけはないものな

  6. 人間七七四年 | URL | -

    黒田や藤堂は?と思ったけど子飼いじゃないか

  7. | URL | wLMIWoss

    浅野とか蜂須賀とか脇坂とか仙石とかは残ってるからそうでもないかと>子飼い取り潰し

  8. 人間七七四年 | URL | -

    蜂須賀の場合は藩祖・家政公ががっつり親徳川派閥だったから、他の豊臣系大名とはまた一線を画すんじゃないかな

  9. 人間七七四年 | URL | -

    >豊臣恩顧の大名の生き残り
    徳川の時代に対応出来るかどうか?では無いですか。
    当時の家康との付き合い具合も関係あるでしょうし。
    正則改易の口実は完全に自分の失敗なんだから同列に
    置く事自体が間違いでしょう。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ひこにゃん流石だな

  11. 人間七七四年 | URL | -

    これ高虎からだまれ若造!って言われた話だよね。

    若いうちから傲岸不遜とゆうか物怖じしなくて尚且つ的確に指摘するし、家康はよくぞこの性格見抜いたよなぁ。
    継ぐべくして継いだ二代目だわ。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    >米11
    兄貴が病弱で家中が纏まらない状況で、弟に直孝が居ただけじゃん。
    別に持ち上げる事じゃ無い。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ひこにゃんより長生きした直継は別に病弱ではなかったという話もある

  14. 人間七七四年 | URL | -

    お兄さんお嫁さん斬りつけちゃったしなぁ
    鳥居家から迎えたお嫁さんだったのに

  15. 人間七七四年 | URL | -

    京に近い要所で朝廷を守護し且つ西国を押さえである天下普請の地を守る
    譜代大名・井伊氏には当主も統率力のある人物をという家康の思いがあったかららしい

  16. 人間七七四年 | URL | -

    酒さえ飲まなければ、っていうけど、晩年の正則は秀吉ばりにおかしくなってるからなぁ

    基本的に幕府、ことに秀忠の改易は、きちんと「法度」に則ってんのよ
    気分や讒言で改易できた豊臣時代とは違う
    てか、福島家なんて当初は大幅な減封・移封くらいで大名家の面目は保ってたし、召し上げになった両加藤家に比べれば雲泥の差じゃん
    あのままなら息子の代にはそこそこまで回復できただろうに、死後までアレだしなぁ
    福島も肥後加藤も、会津加藤の例からしてきちんとしてれば5~10万石の大名で残れたはずなのに、下手打って全て無くすんだよなぁ…

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