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うちの先祖は蒲生氏郷に仕えていたらしい

2012年12月06日 19:51

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/06(木) 17:56:22.86 ID:MO3aVlm3
>>685
改めて思うけど生き死にに関してこの時代の人は凄い考えだよな…

ソースはない上つまらないけど実家に伝わる話をひとつ。
名前は明かせないけどうちの先祖は蒲生氏郷に仕えていたらしい。
とある戦で武功がありそれで風呂に入れてもらっただとか手ずから何かを頂いたとかしたらしい。
先祖はえらく感動したそうでこれまで以上に勤め、一度は出奔しようとした息子を斬ろうとしたらしい。
その後その先祖本人は討死。
会津に移ってからのことだそうで葛西一揆の時だろうか。
その後色々あって農民になり一応は現在に続いている。
正月にでも詳しい話を聞きたいんだけど今は別の人の話題でどうも無理っぽい。
よくあるような話ですみません。




688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/06(木) 22:54:32.36 ID:P8XbksjW
別にソースとかなくてもいいから、
その話をも少し具体的に聞きたい



689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/07(金) 00:44:44.31 ID:aiyPmoBS
>>688
とりあえず自分が昔聞いた話

・次男が調子こいて家出しようとしたとき、父親は槍持って追いかけまわした。
同僚が若気の至りだろうからと諌めてくれてその次男坊は結局他の養子になったらしい。
これほどに恩をかけて頂いた主を見捨て出奔など言語道断、息子を斬り己も後を追うと言ったそう。
・家自体はたぶんそんな名のある感じじゃなくて下っ端もいいところ。
蒲生家に仕えだしたのは討死した先祖の代かそのひとつ前と思われる。
六角家家臣で滅亡後に仕えたのかもしれないけど自分の推測の域を出ないです。
・してもらったことというのがあまり分からない。
物をもらったのか加増されたのかお得意の風呂(はさすがにないと思うけど)なのか
詳しいことはは不明だけど先祖の身分からすると破格のことをされたらしい。
・帰農したのは蒲生騒動の頃?もしくはお家断絶の時か。
けど何人かは石田家に仕え、関ヶ原で討死した者もいるとかいないとか。
・農民として江戸時代を会津で生き抜いた。
戊辰戦争の時には家が元武士であることを聞いた何人かが会津の軍勢に入ったらしい。
一人は当時十代後半、母成峠か白河で戦死した?らしくその後の話はない。
箱館戦争まで参加したという人がいるけどその人のゆくえも分からない。
身分は百姓だし会津を離れることはなかった。
けど維新前後の事情であまり先祖のことを語らなかったので伝わってるのは結構曖昧。


関連
蒲生家臣子孫のお話


690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/07(金) 00:55:40.36 ID:2tCtXm5X
先祖の話が残ってるのは羨ましいな

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/07(金) 01:05:52.34 ID:kbzzmrWJ
戦国期から幕末期の話が残ってるってすごいな。
うちは苗字名乗るときに島津の殿様(誰かは聞いてないw)から名前貰ったってくらいかな・・・

>次男が調子こいて家出しようとしたとき、父親は槍持って追いかけまわした。

このくだりは海音寺潮五郎の「かぶき大名」で、
水野勝成が父親の忠重に槍でもって殺されそうになったシーンを思い出したw

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/07(金) 08:04:41.84 ID:CNOedMMa
>>689
あーりがとー!

俺んとこは、実家が三好性で
婿入り先が鎌倉時代から続く城を守る、武家の一党なのに、
なにもそーゆー話を聞かないので羨ましいわ
神社の脇に漢文でなんかごにゅごにゅ書いてくる位だ



719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/09(日) 15:24:42.84 ID:cUnb5seq
>>687です。ちょっと詳しい話を聞いてきた。
江戸中期頃にこの辺の逸話を書き留めてくれていた先祖がいたらしく、
それをさらに大正ぐらいの人が日記に残してた。

・前にスレに出てた裸鎧の話で何人かが工場長に習って服を脱いだらしいw
うちの先祖が入っていたかは不明だけどそれなりの身分の人も混じっていたとか。
・工場長は家臣の顔と名をよく覚えていたらしい。
・家臣の手柄を褒めたときに何かあげる物がないときはとりあえず蒲生姓をというくらい
蒲生さんがいっぱいだった。
・少し関係ないけど戊辰戦争後の会津藩士野ざらしの話も聞いた。
降伏後、少し埋葬を禁止していたら雪が降って土を掘れなくなってしまったそうだ。

それから先祖の同僚の話。
氏郷公が病に倒れるその少し前から臥せっていた者がいたそうだ。
あまり具合はよくなく、年も取っていたらしい。
しかし氏郷公の具合がよろしくないと聞いた途端、病を押して床を上げてしまったそうだ。
その後快方に向かってはいたが、氏郷公亡くなるの報の数日後、ぱったりと亡くなったらしい。





738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/10(月) 23:39:43.70 ID:OqQtauyC
>>719
おお、追加の話ありがとうございます!
いろんな伝わりかたあるんだな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | tlxGFFPI

    蒲生氏郷公と共に会津に移って、その後現在まで続いているなら、戊辰戦争の時の藩士野ざらしも何代目のご先祖様が見た話が残っているかな?

  2. 人間七七四年 | URL | 8MzwACm.

    自ら沸かした湯をつかわすのは、氏郷得意の馳走だったらしいね。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    是非また続きを聞かせて欲しい。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ガイド「こちらが工場長御手ずから沸かしたとの逸話がある岩風呂で〜す」

  5. 人間七七四年 | URL | m.2.LkcQ

    「名前は明かせないけど」←あー、でも蒲生の家臣ってたいがい蒲生姓だよな。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    我が家も蒲生氏郷の時代に近隣の柵の主でした。幼少の頃、祖父の戦友の方がその城跡に連れて行ってくれました。当時は良くわからなかったものの、大人になると、もう一度ちゃんとご先祖様めぐりがしたいと思います。

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