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木村常陸介は元来奸智の深い者であったので

2012年12月07日 19:52

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/06(木) 20:43:26.97 ID:2PduHpom
木村常陸介は豊臣秀吉より関白秀次に附けられた。元来奸智の深い者
であったので秀次の気に応じ段々と大身になっていった。ところが後には
秀次謀叛の一味となって諸々の悪逆をなし、ついには秀吉を殺害しようと
伏見城へ潜入した。

しかし叶い難く空しく帰ろうという時に残念だからと、証拠に秀吉の
秘蔵していた水指の蓋を盗み取り持ち帰った。そのような人だったので、
毎夜秀次の寝所で密談しているのを人に怪しまれることを恐れ、女乗物で
城中に出入りした。

これらのことが露見したために秀次は生害、常陸介とその子志摩はともに
京都寺町正行寺で切腹した。

――『良将言行録』





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    親父をここまでボロクソに言われて、木村重成はよく豊臣家と運命をともにしたと思うわ。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    良将なのか奸将なのか

  3. 人間七七四年 | URL | -

    そうか、大人しかったって評判の秀次が秀吉に謀反企てたって理由で切腹って秀吉ラスボスすぎるだろって思ってたが、秀次の部下の暴走の可能性も十分あるんだよな。秀次の部下が「秀吉死んだら俺らもっと重用される」と思って何らかの計画なり行為なりやってた可能性をこの逸話読んで今更気づいた

  4. 人間七七四年 | URL | YqzQT8Bs

    ※3
    となると、奉行衆VS秀次の取り巻きの政権抗争の結果とも見れるわけか。
    でも、三中老とか田中とか秀次の主な官僚達はこの2~3年前の時点で
    既に秀次から距離置いてるんだよなあ。
    残りの連座した家臣達の中には奉行達の地位を脅かすほどの人材はいない印象があるな。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    秀次の連座でこう言った悪い話にされちゃったのだとは思うけど、
    当時の関白付けにされたのだから、相当優秀な人だったのは戦果
    から言って間違い無いのでしょう。

    当時の感覚で分からないのは、三好長慶と言い重成と言い親を切腹
    まで追い込まれた家に、子が平然と使えると言う感覚は理解出来ない。

  6. 人間七七四年 | URL | m.2.LkcQ

    当時の切腹って現代で言うとどのくらいの処分に当たるんだろう?
    ひょっとして退職金アリの自主退職程度の処分なのかな?

  7. 人間七七四年 | URL | -

    「水に落ちた犬は棒で叩く」の典型のような話だ。
    ほとんどが関わりを恐れて口をつぐむ中で、
    落ち目の秀次を弁護する奴のどこが奸智に長けてるっつうのかね。

    こういう悲劇的な結末に対し、訳知り顔で因果応報説を唱える知恵者ぶってるヤツって実に胸糞の悪いわ。

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