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土井利勝、大久保忠隣・本多正純改易について

2012年12月17日 19:50

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/17(月) 10:05:37.76 ID:bP7jvpZP
大久保相模守忠隣、本多上野介正純などは、父祖より代々御当家に仕え、大功ある人々の子である。
然れどもその一身修まらざるにより、名を恥ずかしめ、それに縁座する大名もまた、名家数代の武臣であったが、
多くがこれに連座し改易された。

この事について、『荒き御政務である』との批判があった。
土井大炊頭利勝はこれを聞くと

「なんと愚かなことを申すのだろう。
私のような者でも今、武家(将軍家)執事職を兼ね勤めているが、もし子孫に君命に背くものが出れば、
他のものよりもきつく罪に問われる事を望む。

それに時期が来れば大久保・本多らも、存命の子孫があればそれが、宜しく召し使われるだろう。
それこそ仁政というものである。

今は、天下創業の御政務の時期である。まず譜代こそ厳しく戒め置かれなければならない。
にもかかわらず天下を動揺させるような行為をすれば、しかも譜代のものであれば別してその罪は深い。
これはお上の御威光を傷つけるものであるからである。

そんな事は、泉下の大久保七郎右衛門忠世、本多佐渡守正信も強く憎んだと想像できる。
仮に彼らが存命なら、子を勘当していただろう。」

その様に申されたという。
(武野燭談)

大久保忠隣本多正純改易への批判に対する、土井利勝の意見である




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    大久保忠世はともかく本多正信は最後まで倅の行く末は案じていただろうな。本当の意味で案の定だったのかもしれないが。

    本多正純ももしかすると権現様個人への忠誠でそれこそ土井利勝以降の幕府への忠誠心には相当に欠けていたのかも知れない。旧態依然とした臣は誅されるべくして…といったところか。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    外に敵がいなくなれば、今度は内の味方が敵になるのは組織の宿命だからねぇ…

    そこをいくと、外征を構想したり考えた信長や秀吉は内の粛正の難しさを理解していた、ということになるのだろうか?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    うーん、信長も秀吉も粛清はやっていると思うが?
    むしろ追放・族滅等の残酷さや規模は家康や秀忠が行った事が可愛く思えるものだと思うよ。
    江戸幕府初期の信用というのは前政権より内に厳しく外に優しい仕置にもあると思う。
    外征はそれとは全く別のベクトルから派生しているんじゃないかな。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    知恵伊豆「ぼくの意見も…」

  5. 人間七七四年 | URL | dHDL/D36

    ※1
    織田家でも池田恒興や丹羽長秀なんかは信長個人への忠誠心の方が強かったように思いますし、
    正信系本多氏も三河一向一揆のあと、家康によって再興が許されたようなもんですから、
    やっぱり新規に取り立てられた家臣って主君個人への忠誠心が強くなるんですかね?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    的外れな疑問で何だが、正純って親父以上に自分こそが権現様を一番理解してるって思ってたように思うんだが、もし井伊とか長生きしてたら大久保VS本多じゃなくて井伊vs本多になったりしたんだろうか。
    なんとなくポジションが被るイメージなんだが。
    徳川家臣団て正純意外にも家康個人に忠誠誓ってたの多そうだから土井さん達苦労したんだろうなと勝手に思ってる。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    井伊家の場合遠江譜代だから、急にそこまで大きな影響力は無いと思う。
    大久保家の場合三河譜代で且つ旗本衆からの信頼が絶大だからこそ、
    中央権力の中心になった本多家と相反してしまったと思う。

    また、忠隣達は譜代として秀忠を補佐して来たので次の中央集団として
    地位を築く過程が、正純は親の変わりに家康に付属したから余計に目触
    りだったのかも?

  8. 人間七七四年 | URL | -

    忠隣についてもこういう見方をしてると思ってなかったな
    幕府内権力闘争最終勝者 土井利勝か……

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