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それは徳川家康を激怒させることとなり

2012年12月23日 19:11

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 23:43:55.59 ID:egkfmNX5
天正六年三月、武田勝頼が遠州へ出張した折、大須賀康高の甥、
弥吉は軍令に背いて勝頼の本陣へ打ち入り高名をあげた。

しかし、それは徳川家康を激怒させることとなり、弥吉は恐れて
本多忠勝の家に逃げ入って許しを祈ったが、許されず終いには
切腹を仰せ付けられた。

家康は何事にも心が広く情け深い人だったが、軍令に背く者に
対して厳しいことはこの類であった。

――『徳川実紀(柏崎物語)』




866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 05:37:33.69 ID:c6PTG4mL
>>865
市松「お宅の赤備えとか言うのが抜け駆けしやがったんでが…(震え声)」

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 07:34:23.99 ID:5pjQbNKT
>>865
勝頼の首が取れてたら帳消しだったのにな。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    でね、

    中務大輔「…そんな話があったとさ。」
    稲姫「ちちうえ、もっとおはなしーっ」
    信州上田 源二郎「兄貴、風邪か?」
            源三郎「…分からん。なにか、この上も無く恐ろしいものを感じた…」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    一方信忠軍団は、信長がわしが行くまで待てと言ったのに驀進した

  3. 人間七七四年 | URL | -

    コレといい、直政さんトコの家臣といい、当時の徳川家には
    「手討ちにされそうになった時は取り敢えず平八家に逃げ込め」
    ってのが常識化してたのか?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    家康は何事にも心が広く情け深い人だったが、軍令に背く者に
    対して厳しいことはこの類であった。

    何度も軍令を背きまくった従兄弟のあの御方には
    比較的寛容だったな
    まあ、あの御方の暴走のおかげで
    甲斐と信濃を確保できたわけだし

  5. 人間七七四年 | URL | -

    あの御方が暴走したあげく、木曾義昌に信濃の国人たちの人質を与えたせいで
    家康は苦労してたりするんだけどね。

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