FC2ブログ

山内上杉憲房の死

2013年01月12日 19:54

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/11(金) 23:43:30.75 ID:KjivEowv
江戸合戦の折、北条氏綱は太田資高らの内応を得て扇谷上杉朝興を破り、
江戸城を手中に収めた。敗れた朝興は河越城に立て籠もった。

そこで、山内上杉憲房は鉢形城へ入って人数を遣わし、
河越衆と力を合わせて江戸城に夜討ちをかけ、氏綱より奪還せんとしたのだが、
運が尽きてしまったのだろう、高上庄平居の陣で重病に侵された。

色々な養生が尽くされ、宮々社々に限りなく願が立てられたのではあるが、
定められた業報が来たのであろう、平癒することなく大永五年四月十六日、
五十九歳で亡くなった。

誠にこの人は関東長者であり、諸軍もよく親しみ、政道に私は無かった。
憲房の死を敵に知られれば押し寄せられてかなわないとして、葬儀は密かに
執り行われ、人々は悲しみを隠して声を呑んだ。

その後、京都より御意を受け、古河公方高基に憲房の実子憲政はいまだ
幼年なので家督は務まらないからと頼み、養子をもらって憲広(憲寛)とし、

管領と定めて長尾・大石・小幡らの長者たちが名代として関東の成敗を司った。
これによって諸家の支配はもとのように、領国もまた平穏無事に治まった。

――『異本小田原記』




スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    この人もそうなんだけど、末期の山内上杉家って、ほんと養子ばっかりだな。それでもこの人は上杉憲実の末子だから、まったく関係ないわけじゃないんだけど、こんなんじゃ家中統制も大変そうだ。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >米1殿
    その癖、関東上杉家同士でいざこざ起きてるんだから、そりゃ衰退するよね。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    足利の子のせいか憲寛さんはお飾りっぽく思えてしまう
    案の定というべきか反発する家臣が力を増して、憲寛さんはやがて追い出されることにw憲房実子の憲政はまだガキだったのにさ

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/7195-3347e9d6
この記事へのトラックバック