411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/05(火) 16:00:25.45 ID:niwVIRcY
五藤吉兵衛為浄は、山内一豊譜代相伝の家臣であり、いつも一豊に従い、武功を顕した。
そして天正11年(1583)
小牧長久手の前哨戦として、羽柴秀吉が滝川一益の居城・伊勢亀山城を攻撃した時、
この軍に従った一豊とともに真っ先に進み、大いに武功を表し、そして壮烈な討死をした。
時に32歳であった。
五藤吉兵衛には祖父江新右衛門といって、これも同じ一豊の家臣であり、年来の親友が有った。
吉兵衛が死んで、祖父江はこんな事を、人に語った
「私と吉兵衛の仲の良さというのは、親族以上のものだった。
あいつとはいつも、怒ることもなく、隠すこともなく、戦場に挑んでも共に励んだものだが、
私はいつも、吉兵衛に劣っていたよ。
今度の亀山城攻めの前の夜、私の陣に吉兵衛がやってきて、夜半過ぎまで軍物語をしていてな、
そこで、お互いの今までの手柄を数えてみたんだ。
自身で敵の首を獲ったこと、吉兵衛は26回。私は24回。
生け捕りをしたのは、吉兵衛が15人、私が11人。
敵の城に乗り込んだのは互いに6回。
敵と組み打ちをしたのは、吉兵衛が7回、私が9回であった。
吉兵衛はその時こう言った
『組み打ちはお主に負けたなあ。』
私は言ってやったんだ
『いいや、もう一つ勝っているものがあるぞ』
『それは何だ?』
『私のほうが5つ、歳が勝っている。』
お互いに大笑いしたものさ。
その夜は互いに酒を飲み、物語して別れたが、これを暇乞いにして、翌日、吉兵衛は討ち死にした。
私は、比翼の友(二羽の鳥が一体になって飛ぶように仲睦まじいこと)を失ってしまった!
もはや戦場に挑んでも勇む気持ちになれず、酒宴の席で楽しむ気持ちにもなれないのだ。」
そう、涙を流して語ったのだという
(土佐物語)
412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/05(火) 17:33:28.20 ID:SnRRoljf
『比翼の鳥』
一眼一翼の“雌雄のつがい”が一体となって飛ぶという想像上の鳥。
「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」
と詠われているように男女の仲睦まじい様を表す。
アッーーー
五藤吉兵衛為浄は、山内一豊譜代相伝の家臣であり、いつも一豊に従い、武功を顕した。
そして天正11年(1583)
小牧長久手の前哨戦として、羽柴秀吉が滝川一益の居城・伊勢亀山城を攻撃した時、
この軍に従った一豊とともに真っ先に進み、大いに武功を表し、そして壮烈な討死をした。
時に32歳であった。
五藤吉兵衛には祖父江新右衛門といって、これも同じ一豊の家臣であり、年来の親友が有った。
吉兵衛が死んで、祖父江はこんな事を、人に語った
「私と吉兵衛の仲の良さというのは、親族以上のものだった。
あいつとはいつも、怒ることもなく、隠すこともなく、戦場に挑んでも共に励んだものだが、
私はいつも、吉兵衛に劣っていたよ。
今度の亀山城攻めの前の夜、私の陣に吉兵衛がやってきて、夜半過ぎまで軍物語をしていてな、
そこで、お互いの今までの手柄を数えてみたんだ。
自身で敵の首を獲ったこと、吉兵衛は26回。私は24回。
生け捕りをしたのは、吉兵衛が15人、私が11人。
敵の城に乗り込んだのは互いに6回。
敵と組み打ちをしたのは、吉兵衛が7回、私が9回であった。
吉兵衛はその時こう言った
『組み打ちはお主に負けたなあ。』
私は言ってやったんだ
『いいや、もう一つ勝っているものがあるぞ』
『それは何だ?』
『私のほうが5つ、歳が勝っている。』
お互いに大笑いしたものさ。
その夜は互いに酒を飲み、物語して別れたが、これを暇乞いにして、翌日、吉兵衛は討ち死にした。
私は、比翼の友(二羽の鳥が一体になって飛ぶように仲睦まじいこと)を失ってしまった!
もはや戦場に挑んでも勇む気持ちになれず、酒宴の席で楽しむ気持ちにもなれないのだ。」
そう、涙を流して語ったのだという
(土佐物語)
412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/05(火) 17:33:28.20 ID:SnRRoljf
『比翼の鳥』
一眼一翼の“雌雄のつがい”が一体となって飛ぶという想像上の鳥。
「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」
と詠われているように男女の仲睦まじい様を表す。
アッーーー
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コメント
人間七七四年 | URL | -
大河では金八先生が演じてたから
32歳って、えー
そんなもんか‥
( 2013年02月05日 20:07 )
人間七七四年 | URL | -
これがあるから戦士ではなく侍だな
いい話
( 2013年02月05日 20:31 )
人間七七四年 | URL | -
逸話の主はたいていモンスターなんでいまいちよく判らないんですが、
普通は首って生涯にいくつくらい獲るもんなんでしょう?
ひとつも獲らず死んでいく人もけっこういたんでしょうね。
( 2013年02月05日 20:37 )
人間七七四年 | URL | -
そりゃあ首獲ったから歴史に残りやすいんだよ。ごく自然な成り行きだろ
( 2013年02月05日 20:48 )
名無しさん | URL | -
五個取ったらエースとか
公平にいくと一個とったら一個とられる割合いだわな
( 2013年02月05日 20:53 )
人間七七四年 | URL | -
※1
大河の五藤さんは親子の事績を合わせたものらしい
何の違和感も無く武田鉄矢と前田吟で再生された。
( 2013年02月05日 23:50 )
人間七七四年 | URL | -
武士の友情を語る良い逸話でしたね。
>6殿
>違和感なく
同じく!何気にあの大河も人物に関しては良かったんですけどね。
(ただ、山内家を扱った物語が限られるから大河しか想い出ないw)
( 2013年02月06日 10:38 )
人間七七四年 | URL | -
実際叩かれてるのは千代が割りとウザいとこだけでそれ以外は信長・秀吉・家康の三英傑の元を渡り歩いた武将の物語をきちんと書けてたからね。ちなみに自分の千代のイメージは『風雲児達』のあれですねwww
( 2013年02月07日 13:46 )
人間七七四年 | URL | -
元々は武田鉄矢もやりたくないと言っていたけどね(自他共に認める大の山内嫌い)。引き受けた理由がただ1つ「土佐に入る前に死ぬから」だったし。ここでの一豊の評価と同じく…というかやってることが江戸初期と幕末で変わってない印象なのか?
( 2013年02月07日 16:19 )
人間七七四年 | URL | -
祖父江新右衛門を祖父 江新右衛門と読んでしまって最初訳がわからなかった・・・
所で祖父江勘左衛門のウィキでは、「『功名が辻』では、祖父江新右衛門のモデルとなった」とありますが、上の方に祖父江新右衛門と書いてあるのは411殿の間違いで土佐物語の原文中には祖父江勘左衛門と書かれているのでしょうか?
( 2013年02月12日 18:17 )
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