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鬼玄蕃・大崎長行

2013年02月14日 19:50

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/14(木) 18:11:45.04 ID:YicFwpQB
福島家の大崎長行は初め木村重茲に仕えた。数度の軍功が重なり、
世の人は彼を鬼玄蕃と呼んだ。

会津の役の時、長行は福島正則の舅津田繁元に副えられて清洲城の留守を務めた。
正則が会津に向かった後、石田三成は兵を起こして大垣城に入り、木村宗左衛門を
送って「正則は秀頼公の御一家なのだから、御内意は大坂一味である。
早くその城にこちらの人数を入れなさい」と告げた。

これに繁元は「御尤も至極なり。御人数を入れられよ」と、約束した。
長行はこれを聞いて「主君御自筆の証文があるならばともかく、何故敵の人数を
城へ入れて、その手に渡さなければならないのか! 大軍が攻めて来たならば
一戦して潔く討死するべきである! 断じて城を渡してはならない!」と繁元を叱った。
彼らは立て籠もって城の守りはますます厳しくなり、この旨が小山へと伝えられた。

さて、徳川家康は正則を呼んで「留守には誰を置いているのか。清洲を取られては
味方の大事ゆえ、気がかりだ」と尋ねたので、正則は長行よりの委細を告げた。
それを聞いて家康は称賛して「大崎玄蕃はかねてより聞き及んでいる兵だ。
よき者を持っているな」と、言った。その後も「関ヶ原口の勝利は大崎が清洲を
しっかりと保ったからだ」と、度々言っていたのだとか。

――『名将言行録』







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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    安定の記憶力

  2. 名無しさん | URL | -

    清洲城は木曽川が囲む尾張平野の同心円の中心にあるので
    尾張の木曽川のどこから渡るにもほぼ等距離ですぐ行ける位置で
    西軍としては、渡河後の橋頭堡が脅かされて一方的な背水の不利な情勢になりやすく
    また東軍側から別働隊が逆に渡河して背後の経路を絶たれやすい危険もあり
    清洲が押さえられている限りは、西軍はせっかく美濃長島を攻略しても
    木曽川と揖斐川と長良川の隘地を避けて大垣まで下がらざるをえないという厄介な城

  3. 名無しさん | URL | -

    逆に西軍は当初計画どおり尾張を押さえて三河尾張の境付近で東軍を迎撃していれば
    東軍の別働隊に矢作川渡河されても地形的に退路まで回りこまれる心配が少なく
    刈谷を戦場にすれば東軍の退路を断ちやすい有利な位置で
    清洲城があれば中仙道からの別働隊による庄内側渡河も牽制できる
    清洲を制する者が尾張、西三河、美濃を制するといえる重要な拠点

  4. 人間七七四年 | URL | -

    実際の所、奉行衆と対立してた福島正則の政治的立場を考えれば
    アッサリと明け渡す訳ないわなぁ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    まして三成の使いだってのに、この舅あっさり明け渡そうとしたのだろう?向いてないけど家格的にこれしか城将に置いておけなかったと考えるべき?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    そう考えると清洲が本拠地だった信長が勢力拡大できたのも必然だったってことか。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    米4・5
    城に引き入れてから倒そうと思ってたのかも?

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