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小峰義親の没落

2013年03月19日 19:53

950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/19(火) 04:40:24.34 ID:SMoxuC6R
天正18年(1590)、小田原の陣が始まると、白河結城氏当主、小峰義親も秀吉への臣従を考えるようになった。
ここで一族の中島上野は、すぐに小田原の陣へと参上し、秀吉に直に臣従するようにと進める。
しかし義親は「財力がなく、行程の費用も献上品の費用も覚束ない」とその案に懸念を示す。これに上野重ねて

「今回の小田原参陣の費用は。家中のものに課役して調達すれば大丈夫です。また献上品としては
合戦の最中であるので、白米二百表を持って行くべきでしょう。そのうち百表は私が用意します。
残りの百表は、これもまた家中の者達に課役して整えれば良いでしょう。
白河から小田原までは遠路であり、殿ご自身が行かれるのは様々な苦労が考えられますので、恐れながら
私が代官として罷り行き、良きように取り計りたいと存じます。」

上野は心からの提案であったが、義親が他の家臣達にこのことを相談すると、家中の者達は課役の負担を嫌い、
「我々の愚案を申し上げますと、上野が申すことは一向に心得難いものです。
現在の乱世に、白河の諸民も疲弊している上、白米二百表の運搬の課役が加わっては、民間の負担は
莫大になり過ぎます。これが一つ。

そしてもう一つ。上野は大変頭の切れる人物です。これが代官として秀吉公の前に出た時、その立場を利用して
一体どのようなことを言い出すか、計りかねます。
この2つの問題はどちらも穏やかなものではありません。懸念の少ない方に従われるのが、然るべきだと考えます。

幸いにも伊達政宗が、小田原へと参陣するそうです。であれば政宗を頼り、使者を一人添えて、馬や鷹など
折に宜しきものを持たせこれを献上するのが良いでしょう。」

運の末とはこういうものであろう。義親は彼らの言葉に同調し、政宗に頼んで使者を一人同行させ、
海松黒(みるくろ)という良馬と逸物の鷹を秀吉への献上品とした。
政宗は「仔細は聞いた。献上品は良きように秀吉公に披露し、御前にて申開きができるようにしよう。」
と軽く請け負い、使者を同行させて会津を出発し小田原へと向かった。

ところが政宗は思いもよらず秀吉の不審を被り、底蔵という山中に蟄居させられ、自分の身が危なくなり、
義親のことなど構っている場合ではなく、使者を取り次ぐ事は一切なかった。
あまつさえ義親が献上品として持たせた馬と鷹を、「政宗からの献上品」として秀吉に披露した上、
義親の使者にも、

「お主のことは随分良きように秀吉公の方に申し上げたのだが、陣中の忙しさに紛れ、未だはっきりとした
御沙汰も無い状況である。その上、この政宗の身の上もなにかと不透明だ。であるのでお主は
先に帰国するのだ。小峰義親の事については今後承り、帰国後そちらに報告する。」

そういって白河に帰させた。国元の小峰義親はこれを信じ、所領安堵の事は仔細なく認められると思い
政宗の帰国を心待ちにして日を送っていた。

ところが政宗は近年の横逆な振る舞いを咎められ、横領した会津・仙道を没収され、本領だけを
安堵という命令を受け、会津へと下った。そして義親に使いを立て

『あなたの事は大変力を入れて弁明に務めたのですが、一体どういう理由からか、何の御沙汰も
得られませんでした。そのうえ私の身上もこの様に成ってしまった上は、もはや力ない事であり、こうなった以上
あなたが居城にそのまま居住されるのはどうかと思われます。ひとまず城は開城し、他日秀吉公より
御免を受けた後、晴れて所領安堵という事になるでしょう。』

この思っても見なかった報告に、義親は途方に暮れたが、ともかくも暫くの事と、城の西に当たる
金勝寺という禅寺に移った。

しかし秀吉の東北仕置により、白河は伊勢の住人である関右兵衛尉(一政)に与えられ、
金勝寺の小峰義親は新領主の関一政から、治安への懸念などを理由とし領内からの退去を求められ、終に
白河を出て那須の湯元という土地に移住した。
(会津四家合考)

奥州の名族白河結城氏・小峰義親の没落、についての逸話である。




951 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/19(火) 10:23:12.10 ID:+7S+YBMQ
政宗のことは知ってただろうになぜ所領安堵のお願いなんて大切なことを頼ってしまったのか
やはり恐るべきは政宗の謎のカリスマ

952 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/03/19(火) 12:19:07.34 ID:rO+ftDAx
例え自分単騎でも参上すれば良かったんだな
贈り物なんて他の大大名から山ほど貰ってるんだし

最近出た本に、北条と対立する北関東の豪族に対して取次が「とにかく上洛して挨拶しとけ。
所領奪われても奪還してやるから。」みたいな書状出してる例が載ってたな

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/19(火) 13:04:17.91 ID:Lpu59eFS
山内氏みたいに取次の約束を無視して潰されちゃった例もあるから
一概に信用はできないと思うな

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/19(火) 18:33:58.04 ID:KjaOCjQ8
こんな目に遭って10年ほど放浪した末に結局は政宗を頼って
伊達家に仕官するんだよな小峰義親

なお白河結城家は仙台藩では約1000石で一門格とそれなりには
遇されて分家も創出したそう

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/19(火) 18:47:42.86 ID:tdY5fDm7
>>956
溺れる者は藁にもすがる…

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/19(火) 19:21:54.03 ID:cCNBhWhP
地方の小領主にはつらい時代だよね

960 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/19(火) 21:47:50.86 ID:p7+Npn/g
>>952
北条と対立する佐竹上杉が豊臣とがっちり連携とってたから
北関東の国人領主はその2家からもきっちり根回し行ってたみたいだしね
取り次ぎ含めて複数のルートで豊臣と渡りつけた北関東東関東の領主と比べると
他人任せにしちゃったところは悪目立ちしただろうなあ

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/19(火) 22:36:58.95 ID:kIdJ8lYZ
伊達に服従してた時期で、外交権も伊達に預けてた小領主の一人なんかね

962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/19(火) 22:40:16.26 ID:6a82V/9u
家臣なのに四国征伐の時点で秀吉に息子を会わせてた大関さんを見習うべき

963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/19(火) 23:00:18.62 ID:p7+Npn/g
政宗は豊臣に臣従後領地減ってるのに家臣たくさん雇ってるけど俸禄はどうやって工面してたんだろ

964 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/19(火) 23:00:52.77 ID:8K5nxJgm
オマエラ、ヒゲ殿を持ち上げるのはその辺にしておけ

965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/19(火) 23:56:40.88 ID:3evJ41Vt
>>945
佐竹さんとこは、絶対勝てる方に味方するよう代々語り継がれてるよねw
それに比べ、DQN眼竜に義理とか情けなんて皆無なのに子孫は全く受け継いでないな。。

966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/20(水) 00:00:39.97 ID:tmOY4E6E
>962、かえって周りにはサルなんか無視しとけ!っ空気作って(であんたの領地は没収されるぜで少し掠め取るぜw)ぐらい考えていても驚かないぞ

967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/20(水) 00:18:38.79 ID:EszNZX5M
>>965
そうか?
ゴネる亘理を結局切れなかったり、むしろ情を捨て切れなくて後の世代に禍根残した印象が強いな。

968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/20(水) 00:54:27.56 ID:zoP8SRMa
>>965
佐竹さんは源平合戦で失敗したときからあまり変わってない気がする
まぁあの日本史上屈指の万馬券をつかめと言うのは酷な話だけど

969 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/20(水) 15:09:18.06 ID:cr4VQPS8
>>965
んー? 中途半端に会津に味方して、結局貧乏くじ引くところは押すところと引き所の判断を間違うまー君の家系らしいと思うが。

970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/20(水) 18:13:37.03 ID:tmOY4E6E
>968、黒いところは全部甲斐のお屋形様が持って行ってしまったんでしょうw


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    またまーくんか

  2. 人間七七四年 | URL | -

    政宗の謎のカリスマ性は、現代でも発揮されてるからな…
    やはり今も昔も、良くも悪くも、人を惹きつける何かを持っていたと言わざるをえない

  3. 人間七七四年 | URL | -

    頼った相手が悪かった。
    鮭様みたいに家康を頼っておけば助かったかも知れんなぁ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    そのコネをどう確保しようというのだろうか。まーくんも鮭様も無理で他に取次頼もうと探して時間切れ…何だ、流れもオチはまったく同じか。むしろ逸話以外の方向に進む気配が微塵も感じられない。

    信長が本能寺で討たれる前後からの奥州って、それまでのコネが綺麗サッパリぶった切られたような話が目立つのだけど。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    那須さんとこみたく部下があることないこと言って、気が付いたら領主クビになることもあるから部下任せも危険だしなぁ
    逆に何が何でも自分自身で!と無理して死んだ夜叉とかいたし
    要は挨拶するだけなんだろうけど、驚天動地の一大イベントだったんだな

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    そりゃあ挨拶と言っても、政権とのパイプ作りやら何やらすること考えれば、それこそお家浮沈にかかわる大イベントだし。
    TERUが上洛した時にかかった費用なんざ、ラスボス相手に合戦する時と同じくらいの費用かかっているし。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    政宗を頼り

    で草不可避

  8. 人間七七四年 | URL | LkZag.iM

    なぜかご近所さんと親戚がホイホイひっかかる政宗トラップ
    この謎の吸引力は宇喜多パパと似たものを感じる

  9. 人間七七四年 | URL | -

    一門格で待遇ということは、さすがの政宗も悪かったと思ってるのかな。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    同僚を疑って、よそ者に過ぎない政宗を信用しちゃうあたりが後味悪いな。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    まぁ命があっただけよかったよ
    ちっちゃな身上じゃ
    この後の複雑怪奇な東北を乗り切るのはつらいだろう

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    まあ北条が上洛を渋ってたのも費用関連の問題が大きかったしな。
    とりあえず氏規が上洛するだけで2万貫もかかったし。

    小田原までの参陣とは言え、あまり貧相だと面目を失うし小領主に
    とっては死活問題だったんだろうな。

  13. まーくんならしょうがないw
    自己責任だろw

  14. 人間七七四年 | URL | -

    >12
    そう考えると戸沢の夜叉九朗さんの行動力と決断は見事

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※14
    確かに。
    元々、中央情勢に敏感だったみたいだから判断を間違えなかったんだろうね。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    これは主の時代と人を見る目が無かった事も一因でしょう。

    費用の面もあったでしょうけど、中央に対しての情報収集能力の
    欠如もしくは甘さも、関東・東北地方で参陣しなかった人達に共
    通している部分もある。可哀そうだけど自業自得の部分もある。
    小大名(小領主)で生き残った連中の殆どって、決断力・行動力の
    ある人達だし。

  17. 人間七七四年 | URL | -

    後ろ盾の蘆名盛興の死後佐竹の配下、だから人取橋の時には佐竹側、義親の次は佐竹氏からの養子義広だけど、これは後に葦名氏を継ぐ(義親が再度当主)。葦名氏の滅亡と共に臣従。この状態で政宗を頼るかねえ。そういえば、同じく取り次がれなかった石川昭光も似たような・・・。

  18. 人間七七四年 | URL | -

    ※16
    豊臣政権の指示にしたがっても反故にされてる例もあるし、そもそも
    政宗が立ちはだかってる状況で参陣自体が難しいケースもある。

    決断力だけに原因を帰するのもどうかと思う

  19. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    夜叉さんとこも前田薩摩に任せて裏切られた過去から
    何がなんでも自分が!ってことになったのかもよ

  20. 人間七七四年 | URL | -

    ※17
    蘆名滅亡後に佐竹に見切りをつけて伊達に臣従しているんで
    まーくん頼るのは別段おかしい事ではないぜ。
    義親の不幸は、「臣従しているんだから積極的に守ってくれるだろ」
    と思っていたら、当のまーくんがそういった常識を完璧に無視した
    という点だろうなあ。(ただこれも進物は義親名義で渡したけど、
    当主の参陣がなかった事が原因で改易という説もあるんだよなあ)

    「放浪の原因である政宗を何で頼ったんだ」という疑問ならば、
    正直頼るべき人間がいなかったんじゃね。
    佐竹とは疎遠になっているだろうし、娘婿の大関家にも、娘婿の弟が
    代行で当主やっているという微妙な時期なので、面倒事避ける為に
    呼ばれなかったろうし。

    何だかんだ言ってまーくんは奥州仕置きで改易になった大名連中を
    家臣団に組み込んだりしているし(留守とか、拒絶されたけど田村とか)
    そういった点でも入りやすかった環境にあったのではと思う。

  21. 人間七七四年 | URL | -

    ※18
    夜叉さんの事書かれて有る通り、少数での参陣でも十分であった訳です。
    全員が行く必要性も無かった。秀吉の命令に従って参陣するかどうかの
    意味合いもあったのだから。行かなければ余計に口実を与えるだけ。
    反故云々は後付けでしかありません。

    また、状況ならもっと悪いのが東北でもゴロゴロ居る。
    それでも来たのが「大浦・南部・秋田・最上」等。
    皆、和睦や少数でも参陣等、何らかの決断はしてます。

  22. 人間七七四年 | URL | -

    没落後の義親さんはこの後に寺で宴会して
    謀叛の疑いで旧臣皆殺しにされているから
    踏んだり蹴ったりだよな…

  23. 人間七七四年 | URL | -

    ※21
    そもそも少人数で辿りつけるかどうなんてのは地理的要因や他大名との
    友好関係にもよるから、少人数で行けば良いなんて軽く言う方が無理があると思う。

  24. 人間七七四年 | URL | -

    独立領主と従属国人の違いもあるか

  25. 人間七七四年 | URL | -

    >23さん
    こじ付けって感じですね。行けるかどうかの努力をしろよって事でしょ。
    何をどう言おうが「行かなかった」と言う事だけが事実。
    「行けた人間が居た」事も事実。最初から他人を頼るだけで、
    名代すら立てない奴の末路でしかない。

  26. 人間七七四年 | URL | -

    ※25
    元の逸話読めば判るが、ちゃんと使者が同行してるじゃないか。

  27. 人間七七四年 | URL | -

    てか従属国人が逆らったら逆心とか言われて
    大名に征討されるのがオチでしょ

  28. 人間七七四年 | URL | -

    ※26
    使者は話し合いと取り纏めが役目。挙句本人が粘る事無く帰国。
    秀吉が求めたのは参陣です。もし、使者で許されるのなら夜叉さん
    だってそうした。

  29. 人間七七四年 | URL | -

    ※28
    従属国人が大名の意向を無視するとかありえんだろ

  30. 人間七七四年 | URL | -

    小峰義親のカテゴリー二つある気がする

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