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雑談・大谷吉継が親家康であったことについて

2013年03月22日 19:51

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 01:45:16.84 ID:xEkXs6hH
大谷さんは家康と利家が対立して諸将が二分されたときも、家康側についてるんだよね
この辺三成とはまったく政治的立場が違う
じゃあ何で西軍について奮戦したのさ?ってのが個人的には凄い不思議

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 06:06:14.36 ID:7g/vM0CI
>>799
その話自体がかなり誇張と創作が入ってて、公家の日記などでは
対立はあったものの、あっさり解決してる様子がうかがえる。

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 07:27:23.05 ID:VPUEcKcT
>>799
最近発表された論文では三成襲撃事件の時も輝元に三成へ援軍を出すなといい
武断派側の立場に立っていたよなんだよな
土壇場で西軍についた大谷も家康からみると裏切者になるのかね
母親から頼まれたというのが最も考えられるようだけど
案外、大坂の陣での幸村的考えで
病が進んで先のないことを悟って最後に華々しく散って武士としての本懐を遂げようとしたのかも

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 08:02:36.67 ID:7g/vM0CI
>>801
論文って「関ヶ原前夜における権力闘争(2007年)」かな?
あれなら「関ヶ原前夜 西軍大名たちの戦い」で一般書籍として出版されてるよ

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 11:43:15.15 ID:8e22FhqE
>>801
三成襲撃事件の時の吉継は調停に入ってるけど、スタンスはやや奉行寄りだと思うよ。
輝元もそういう認識だし。

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 11:44:56.18 ID:oWkwhgop
宇喜多騒動を大谷と榊原で解決しようとしたら榊原は家康に叱責されて召還
はしご外された形の大谷が家康に反発する契機になったのではと書いてたな

805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 12:01:28.53 ID:8e22FhqE
宇喜多騒動は、各史料で相違が大きすぎて正体不明すぎる事件だな

原因や事件の経緯も不明点が多いが、調停の結果等も不明点が多すぎて
何が何やら。

確実なのって事件が起こった日と最終的に家康が調停に入ったこと、
戸川達安が比較的早い時期に宇喜多家から退散したくらいじゃなかろうか

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 12:40:53.06 ID:oQuRrj8S
日蓮とヤソとの宗教争いか

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 13:02:31.69 ID:8e22FhqE
宗教争いという説は、浮田左京亮がキリシタンと言うことで
既に否定されてたかと。

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 14:02:15.59 ID:SQQ2/5LA
>>802
『関ヶ原前夜』の間違て指摘した昨年の日本歴史9月号の論文だと

>>803
上の論文だと三成銃撃事件の時に毛利家文書では
三成に援軍を出すな、徳川に味方しろという書状を輝元に送ってる

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 14:42:55.46 ID:ATGhb18D
>>808
それって書状自体は関ヶ原前夜で紹介されてた
「厚狭毛利家文書」じゃないかな?

あれは毛利らしい主語や表現があいまいな書状だったから
違う解釈を出した研究者が出てきたんだろう。

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 14:56:44.34 ID:ibaYaBZg
まあ毛利さえ動かなきゃ蹶起は防げると考えれば
徳川寄りだった場合でも三成に勝算無しとみて止めようとしてた場合でもそこに工作するよなぁ

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 14:58:13.13 ID:ss+x3tS+
>>809
そのあたりを考証した石畑匡基氏の論文「秀吉死後の政局と大谷吉継の豊臣政権復帰」でも、やっぱり吉継は
ギリギリまで家康への味方を毛利に進めるなど親家康として行動していた、としているな

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 15:28:02.41 ID:XhjjwlmE
となるとなんで西軍についたのかが気になるな

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 15:34:27.68 ID:ATGhb18D
先に三成-恵瓊-輝元のラインが完成してたとか? 謎だな。

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 23:33:23.66 ID:xEkXs6hH
三成が挙兵する7月前後の三成の動きってのがイマイチはっきりしてないのもネックだよね
三成と恵瓊が連絡取り合っていたのは間違いないんだろうけど…
6月20日付けの兼続宛て三成書状についても真贋論争あるし、謀略の類はなんとも

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/23(土) 00:03:19.49 ID:bv2YE936
利家死後、家康が前田征伐しようとした段階では意外にも家康支持の立場取ったりしたんだっけ?

817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/23(土) 07:31:48.76 ID:028GQTpY
>>814
兼続は、内府ちがひの条々が出まわってから、急に公儀がうんたらとか
書状に書いて元気になってるから事前通謀はなかったろうね。

吉継もそうだけど恵瓊、三奉行、輝元、秀家が加担したタイミングも謎なんだよなぁ

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    患っていたとはいえ、太閤の評価から見ても大谷吉継自身は文官官吏より武人の気が強かったのだろうか。そう考えると武断派側にいたかもという話も分かるし、その吉継が三成に与したことを知って驚いたのは家康以上に武断派七将の方だったのかも。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉に取り立てられ、三成と親友で、才能に溢れながらも病に倒れ、最期は裏切り者小早川に全力で立ち向かい散った
    悲劇の将が関ヶ原本戦以外はほぼ徳川側だというのはフィクションだと使いづらいな
    しかし、なんで関ヶ原だけ反徳川にまわったのやら

  3. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも三成と親友なんてのは親徳川だったのに西軍に与したから憶測で妄想されたようだ。
    茶会の話も創作だし辞世の句も三成は関係ないし
    三成襲撃も三成の失脚後も親徳川で動いているしね。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    嘘かまことか(というより、後世作られた話かもしれないが)、秀吉が「百万の軍勢を預けてみたい」的な事まで言ってたくらいだからな…大谷さん

  5. 人間七七四年 | URL | wLMIWoss

    ※4
    その話自体は後世の創作だからねえ

  6. 人間七七四年 | URL | -

    京都の北の大貿易港である敦賀を預けている時点で武官より文官としての能力を買っていたんじゃないかな?石高も低く抑えられているし。
    まあ、豊臣大名で完全な文官って長束正家ぐらいで文官武官と分ける意味は無いかもだけどね。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    大老・奉行での統治の体制がベストだと思ってたとか?
    秀頼を旗頭にさえしていれば、あとは諸侯を抑えられる家康に投げるのが、吉継さんなりの豊臣政権延命の方法だった…みたいな(^ω^;)
    関ヶ原で西軍に行ったのは、秀頼の名前を旗頭にされちゃったから、勝たせるしかないと思った…という感じが思い浮かびました。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    吉継が秀頼を大事にしてたかと言われるとまったく不明だと思うな

  9. SHIN | URL | B4ff.1Vc

    案外、敦賀から佐和山経由で関東へ向かおうとしたら封鎖されてやむなく参加、とかかもね。
    実際に出陣遅れて西軍決起があってどうしようもなくなって西軍参加って島津とかもそうだし。

  10. 人間七七四年 | URL | YqzQT8Bs

    ※9
    だったら脇坂、小早川みたいに事前に家康に内応すりゃ済む話じゃんっていう。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    娘だかを人質に取られていたって話なかったっけ?

  12. 人間七七四年 | URL | mQop/nM.

    ※11
    それがマジだったら三成とのやりとりが美談化されるなんてひどい話だわ

  13. 人間七七四年 | URL | -

    敦賀から垂井へ向かうのに三成領は通過するのかな?
    たぶん北国街道を抜けると思うけど

  14. 人間七七四年 | URL | -

    昨年秋に発表された『日本歴史』の論文で紹介された当時の書状からハッキリしたこと
    ①三成襲撃事件で三成に援軍を出そうとした輝元を吉継が諌めた
    ②徳川の味方に付くよう(敵対しないよう)に輝元に忠告をした
    結果的に三成の失脚が決まった
    以上のことからも三成との友情で西軍についたとは考えられないとしている

    それでもまだ三成との友情云々を持ち出して美談にしようとする歴史関係の出版社は
    一体何を考えているのだろう・・・
    昨今の研究を知らないのか?

  15. ※4 ※5あー…やっぱり創作でしたか…そんな感じはしましたが ※14 | URL | -

    ※5
    あー…やっぱり創作でしたか…そんな感じはしましたが。

    ※14
    ライトな一般向けには一番わかりやすく、かつ現代の価値観でも理解できるからかな?なんて思ったり。あんまり踏み込んだ歴史関連書とか、下世話な話売上低そうだしなーと。
    …いや、仕方ないといえ、日本史を授業でならった位の人たちにとって、
    「総大将の毛利輝元?誰それ」
    状態で、未だに徳川VS石田って思ってる人も少なくないみたいだと思ったもので。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ※14
    最新の研究が浸透するまでは時間がかかるから仕方ないよ。
    研究者でさえ立場によって、認めない人も出てくる訳で
    一般書籍等が修正されるのは、10年くらいかかるんじゃないかな。

    あの事件でも襲撃された三成が伏見城の自邸に逃げ込んだ話が
    ようやく浸透してきたところだしね。

  17. 人間七七四年 | URL | -

    親三成、親家康で考えるからおかしくなる
    豊臣家臣の立場で考えた場合、家康と豊臣政権が対立する構図は良くないと考えたら家康擁護にまわるだろうし、親しくもする
    逆に家康が豊臣政権を私するようになり危ういとなれば敵対するのもおかしくない
    と考えるよ

  18. 人間七七四年 | URL | -

    家康を倒したら豊臣政権が安泰になると考えたのか?

  19. 人間七七四年 | URL | -

    西軍(三成輝元)=正義、東軍(徳川)=悪
    という考え方?

  20. 人間七七四年 | URL | -

    政治闘争の話なのになぜ善悪の話になるんだよ?

  21. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉死後の政治闘争は、多聞院日記などに出てくる、秀吉が遺言で
    淀殿と家康が結婚するよう命じていた、というのが本当だとしたら
    (実際にかなり傍証がある)その見方をかなり変えないといけない。

  22. 人間七七四年 | URL | -

    ※21
    多聞院日記は、噂の宝庫と言う側面があるから
    あまりマトモにとらえるのもどうかと思う。

    秀吉の遺言は浅野家文書などに覚えが残されてるけど
    そういうマトモな出所には載ってない話だしね。

  23. 人間七七四年 | URL | -

    ※17
    豊臣家臣だから豊臣政権に忠節を尽くすと期待する事自体が
    的外れなんじゃなかろうか

  24. 人間七七四年 | URL | -

    米14
    つか逸話でも「三成お前では家康に勝てない。」てちゃんと諌めてるんだけどね

    三成の決起は避けられないからもうどうにでもなーれと匙と賽を同時に投げたって感じなのかなあ

  25. 人間七七四年 | URL | -

    関ヶ原時点だと家康=豊臣政権じゃねえの?

  26. 人間七七四年 | URL | -

    大谷が三成と友人だったかはともかく、石田家を気遣かってたふしはあるね。
    上杉征伐の時に石田重家に対して従軍するようすすめてるから、北国街道使わないでわざわざ佐和山に寄り道したのも、その件で相談なり説得なりするつもりだったんじゃないかな。
    大谷と石田は真田を介して縁戚ではあるし、たしか大谷の女婿である真田信繁が三成の義理の甥になるから、まあ、家のために「無謀な」企みを諌めるぐらいの義理はあったんじゃないかな。

  27. 人間七七四年 | URL | -

    >※20
    そういう風に捉えてる人がいるってことだと思う。
    >西軍(三成輝元)=正義、東軍(徳川)=悪
    ゲームや小説経由で歴史好きって言ってる人はそんな感じ。

    大谷の扱いは創作物だと三成との友情説や
    余命幾ばくもないから人生の最後を華々しく終わるためってのを見かける。

    >※18
    ※25が言ってるように関が原時点で家康=豊臣政権なので
    家康がいなくなったら豊臣政権の瓦解なんだわ。
    そこらへんわかってない人が多いけど。
    最近だと家康はなんとか豊臣政権を延命させようとしてたってあるし、
    じゃあどこらへんから豊臣政権を見限ったのかって考えるのも面白いよ。

    秀吉は天下統一はしたけど結局官僚機構を構築しなかったからな。
    その天下統一も天皇家の権威のもとでの統一だから、
    天皇の権威を利用した理由も家康を武力で負かすことが出来なかったからって
    今谷明先生の本だったかに書いてた。政権基盤が脆弱すぎたんだな。
    それに官僚機構の不在。一族の人間の少なさ、先祖から仕える家臣たちの不在。
    色んなことが死後に一挙に噴出した。

  28. 人間七七四年 | URL | -

    吉継に天下への望みがあったんだよ
    まず最大勢力の家康を潰しておけば、後の連中なんてどうかなると思ってたに違いない
    という考えも面白いよね☆

  29. 人間七七四年 | URL | -

    ※26
    逸話では垂井で待ってたという話だから佐和山はスルーして
    北国街道を使ってると思うよ。

  30. 人間七七四年 | URL | -

    ※24
    それだと全員が家康に靡くのが当然ということになって関ヶ原自体起こり得なくなる
    忠節とは別に家康独裁を危険視、反発したと考えても良いんじゃ?

  31. 人間七七四年 | URL | -

    まあ私婚を次々と結んだ家康を奉行衆から守ろうと
    警備にいち早く駆け付けたのが吉継だしなぁ

  32. 人間七七四年 | URL | -

    私婚問題のときは軍記物では徳川、前田が諸大名を巻き込んで
    激しく対立したことになってるけど、言経卿記とか見てると
    あっさり解決してるっぽいんだよなぁ

  33. 人間七七四年 | URL | -

    ※32
    あと徳川前田の和解の時、対立の発端だったはずの家康の私婚問題は全く
    取り上げられず、全てそのまま進められているんだよね。
    なので利家はあそこで、豊臣政権において大名間の婚姻の決定権が家康にあることを
    認めたのだと考えられる。

  34. 人間七七四年 | URL | -

    私婚問題も家康の意識では自分が決定権があって当然て意識っぽい。
    政務のことは家康だから。前田は秀頼の後見だし。
    でもそうすると毛利や上杉が徳川の権威が増大するから反発。
    三成との利害一致で西軍っぽい。
    毛利は以前秀吉から西のことは毛利にって言ってたけど、最期の遺言じゃ豊臣政権の
    2トップの座から転がり落ちてるからあせってたっぽい。

  35. 人間七七四年 | URL | -

    ※33
    取り交わした起請文では家康が折れてるよ。(毛利家文書 1015号)

  36. ※26 | URL | -

    ※29
    そいやそうだった、垂井に駐屯してたっけな、こりゃ面目ない。
    この時の三成は表向きには失脚中だから、伜の石田重家を上杉征伐に従軍させるってのは、石田にとっちゃ謝罪と服属の意志ありと見做される行為だよね。
    それを大谷がすすめた訳だから、大谷は徳川と石田の関係修復に動く気があったって事だ。
    そうでなかったにしても、大谷は三成が西軍側とは知らなかったって事になる。
    仲良いと言われる割りには、肝腎な事はかやの外だったのも、世間的にはなかったことにw

  37. 人間七七四年 | URL | -

    だから別にそう仲良くはなかったんだよ
    前の逸話でも示すように大谷と家康は勿論だが榊原や井伊の方が余程親密だったんでないかな

  38. 人間七七四年 | URL | -

    少なくても秀吉幕下に居たのだから、親しさの差は有れど有る程度の
    付き合いは有ったと思います。

    なればこそ、豊臣家の将来の為(延いては自家の安定の為)に関係修復を
    斡旋なりして家康との衝突を回避させようと計ったのかもしれませんね。

  39. 人間七七四年 | URL | -

    まあ、大谷が関ヶ原まではバリバリの徳川方で家康配下のように動いているのは事実ですね

  40. 人間七七四年 | URL | -

    配下とは違うだろうね

  41. 人間七七四年 | URL | -

    結局、大谷西軍加担の謎は深まるばかりなのであった・・・

  42. 人間七七四年 | URL | -

    別に大谷は豊臣家 一筋 の為に動いていたわけではないよ
    勿論、三成のためでもない
    この人のファン(まあ歴女さんなんだけど)はそう思ってる人が多いけど。
    小説と混同してる人が多々あるね

    関が原でも小早川のことは最初から警戒していたそうだから
    ドラマ等の恨み云々や呪ってやる云々は本当におかしな話だね。
    判官贔屓から生まれたのだと思う
    なのでファンが小早川秀秋を悪し様に罵るのはいかがなものかと思う
    本人的には余命幾ばくもないから、歴史に名を残せてよかったんじゃなかろうか

  43. 人間七七四年 | URL | -

    小早川は伏見攻め以降の動きがアレだったので
    東西両軍からあからさまに怪しまれてたね

    西軍の関ヶ原への移動自体が卜斎が記したみたいに
    「筑前中納言殿むほんと風聞候、仕置いたすべきとて出られ候由、」
    とかだったりしてね。


  44. 人間七七四年 | URL | -

    結局、不治の病の進行と関係ありそうだね

  45. 人間七七四年 | URL | -

    病自体も謎だな。

    関ヶ原前の政局で積極的に動いてるし、そもそも
    戦場に出てきてる時点で平気だったんじゃなかろうか

  46. 人間七七四年 | URL | -

    関ヶ原では輿に乗ってるだけで指揮を執っていなかったともいう

  47. 人間七七四年 | URL | -

    別に小早川の話なんて誰もしてないだろに。

  48. 人間七七四年 | URL | -

    ※46
    吉継の陣は山中に築いた要害だと言うけど、わざわざ輿に乗ってたのだろうか?

  49. 人間七七四年 | URL | -

    吉継がこれほど評価されるのは、関ヶ原で対峙したのが小早川他裏切り者だからってのがある気がする
    裏切者に、無念を抱きながら負けるのがそこまで忠誠心のない凡将だと話が面白くならないし

  50. 人間七七四年 | URL | -

    吉継が家康の敵になったのと同じで小早川は裏切者じゃなくて最初から東軍だと

  51. 人間七七四年 | URL | -

    それと吉継って別にこれといって評価されてない

  52. 人間七七四年 | URL | -

    今ある大谷の評価は「負けを承知で友の為に西軍に与して闘った」という
    「実は根拠のないもの(だった)」に基づいていたからね

  53. 人間七七四年 | URL | -

    49みたいな小早川=裏切り者認定って、まるで風呂の
    カビの様に定期的に湧いて出てくるな。何で?

  54. 人間七七四年 | URL | -

    >※53
    判官贔屓だろ。裏切り者にやられたことにしておけばより悲劇性が増すし。
    「豊臣に対して忠臣」もそこから出てきたんだと思う。
    大谷という武将を飾りつけるためのな。本当はよくわかってないのよこの人。

    大谷の評価って52が指摘したとおり、
    「負けを承知で友の為に西軍に与して闘った」とされていたことと
    秀吉が言ったとされてた「百万の軍勢を預けてみたい」の創作に因るから。

    自分は何を成したかで評価するから、上記の「負けを承知で友の為に西軍に与して闘った」
    だけでは大谷を評価しなかったな。それは歴史の評価としてどうよって思うタイプだから。
    それは小説の感想だと思う。
    実際違ってたし、これから色々解明されてまた新しい評価が付くかな、自分のなかで。

  55. 人間七七四年 | URL | -

    米54
    それだと先のないと考えた吉継はいいけど
    多くの部下や何よりも守らなけらばならない家まで犠牲にするという
    普通に考えても当時からしたら絶対にありえん事だしね

  56. 人間七七四年 | URL | 2NKnmN5w

    みんな吉継さんが大好きなんですね!
    宇喜多騒動で家康に遺恨を覚えでもしたのかな?

  57. 人間七七四年 | URL | SFo5/nok

    そもそも、西軍が秀頼のために組織化されたものではなかったかも。
    石田正宗の逸話を根拠とした場合、三成は結城秀康による、豊臣家の統制を望んでいたのでは?
    後々、毛利は秀康家系と婚姻を結んでいるし、大谷の子孫も秀康子孫に仕えていて、真田も史料から越前松平との関係が深いから、可能性はなくないと思う。

  58. 人間七七四年 | URL | -

    ※56
    そこら辺は 811 の論文で否定されてる

  59. 人間七七四年 | URL | 2NKnmN5w

    ※58
    信頼が揺らいだとか
    後で宇喜多の方に共感したとか

  60. 人間七七四年 | URL | -

    吉継が秀家のあの体たらくに共感するか?
    どっちかと言うとあの騒動に家臣を巻き込まれた
    家康の方が不信感抱くんじゃないか?

  61. 人間七七四年 | URL | -

    家康「そろそろ、何故あの刑部が西軍なんぞに与したのか?
       端的に教えてはくれんかね」

  62. 人間七七四年 | URL | -

    宇喜多家は秀家が家内を統制出来てなかったからなあ。
    西軍側は領国や家内統制に色々問題有りすぎた。
    反対に徳川は領国運営に特に大きな問題がなかったからな、関が原の時。

    ※59
    もし大谷が秀家に個人的に心寄せたとしても
    その行動が政治的にどう及ぼすのか、家がどうなるのか考えるはず。
    個人的な感情で動いたとしたら、人の上に立つ人間としては失格だ。
    家がどうなるか、一族・家臣の今後とか、そこらへん頭になかったってことになる。

    それか美味しい話があり、勝てると思って西軍に行ったのか。

  63. 人間七七四年 | URL | -

    刑部「恩賞じゃないもん。あの世への餞に最期に内府と戦ってみたかっただけだもん。」

  64. 人間七七四年 | URL | -

    ※62
    当初は政権奪取を目指したクーデターだから勝算は十分にあったと思う。

    人質も秀頼も押えた状態で、東軍諸将があれだけ裏切らないってのは
    誰がどう見ても想定外だろう。

  65. 人間七七四年 | URL | -

    ※63
    餞は贈るものだよ

  66. 人間七七四年 | URL | -

    >63
    ギャグなんだろうけど、本当にそんなこと思って行動したんだったら最低だぞ

    秀吉も含めて、豊臣は組織人としての認識が薄いよな
    大谷の今までの評価「負けを承知で友の為に西軍に与して闘った」も
    大谷の個人的な部分が評価されていたのであって、武将としての評価じゃないし。
    政権に参与する人間の行動としても評価できない。
    政権を担っている感覚がなかったって自分は大谷のこと評価してた。

  67. 人間七七四年 | URL | -

    大谷は十分優秀だと思うがな。三成ともそこそこ付き合いがあったんだろ。島津みたいになし崩し的に西軍についたんじゃないの?それで何も武将として組織人として考えてなかったとかは言い過ぎ。
    そもそも現代的な組織人的な動きかたはしないだろ

  68. 人間七七四年 | URL | -

    ※67
    今までの評価「負けを承知で友の為に西軍に与して闘った」が大谷の個人的な部分なのに、
    これが「武将として優秀」とかの評価に繋がってたから、それはおかしいって話だよ。
    あと「現代的な組織人的な動き」云々は誰も言ってないぞ
    ただ単に豊臣政権という集団内に属している大谷が
    「負けを承知で友の為に西軍に与して闘った」と大谷の私的部分で動いたと思われていたから、そこを武将として評価するの?って話だよ。
    これは本来人柄として評価すべきものだろ?
    大谷は※4の「百万の軍勢を預けてみたい」て創作話もあったから、
    「負けを承知で友の為に西軍に与して闘った」も一介の武士ならわかるけど
    大群を率いてる武将がやるのはダメだという流れだよ


    ※欄とかの文章ちゃんと読んでみ

  69. 人間七七四年 | URL | -

    友情に殉じたっていうのも死に花を咲かせたかったっていうのも後世の創作だから
    そんなもので武人として、個人として、なんてまじめに評価をしようとするのが間違い
    その辺の感情的なところがどうして付け加えられたか、っていうと
    単純に「江戸の庶民の気持ちにグッと来る属性だったから」に尽きるんだしな
    真田幸村(あえて幸村な)がどうして持て囃されるかってのと根っこは同じだよ

    真田の妻子を自分が保護したから安心してくれ、と書状を出しているようにおそらくは人質を取られていたのが正解だろう
    母も妹も、ほぼ確実に自分の妻子も上方にいて、三成は真っ先に吉継を囲い込みにきてるからここを手つかずにしているはずがない
    これは確実とはいえないが、どうも息子(養子)の吉治に家督を譲っているふしもある
    三成と吉治によってネームバリューを利用された可能性がなきにしもあらずだな
    何度も要請をうけながら大垣に入城しなかった、警戒していた「はずの」小早川をみすみす目の前の松尾山城に入れた、
    近くに陣取っていた寝返り四将はすでに内応をとりつけていた、となれば吉継も寝返りの算段をつけようと画策して失敗したんじゃないかとも思える
    与力と吉治が抗戦派だから妨害も入っただろうしな
    まあ状況証拠でしかないけどね

  70. 人間七七四年 | URL | SFo5/nok

    ≫三成と吉治にネームヴァリューを利用された。
    中々、いいところついているね。
    家康と吉継は親しいにも関わらず、跡継ぎの吉治に家康は養女を嫁がせていないから、吉継は吉治を廃嫡して家康の身内を養子に取ろうとしたが、その寸前に吉治に暗殺されて、吉継のダミーを立てて家康と対立したが、本当の話しじゃないかな。
    江戸時代後期は、外様大名に持参金付きで将軍の庶子を養子に押し込んだから、時代の先取りで、家康と吉継の間で話し合いがあったかもしれない。
    その場合、十二万石の話も現実味が出て来る。

  71. 人間七七四年 | URL | -

    うわああ、激寒妄想野郎SFo5/nokってまだ生きてたんだ・・・

  72. 人間七七四年 | URL | -

    ※70
    君は何を言っているんだ?流石に江戸後期の話を持ち出すのは、こじ付けに見られるよ?
    自分の考えを補完する為に、都合の良い部分を持ってきてはいけないよ。

  73. 人間七七四年 | URL | -

    大谷「家康ズッ友」
    家康「悪いけど癪持ち野郎はNG」
    大谷「西軍行くわ…」
    この流れ無きにしもあらずだって富山の親戚言ってたのずっと信じてたけど、ここ読んでたら違うっぽいな…

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