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相馬義胤、大阪遅参

2013年04月12日 19:50

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/11(木) 19:40:46.52 ID:j1BlCTDN
慶長20年(1615)3月、江戸の幕府は再びの大阪攻めのため全国の大名に参集するよう命じた。
大阪夏の陣の勃発である。

奥州の相馬利胤もこれに応じ上方へと上ったが、駿府において病にかかり、十死一生というべき
重体に陥った。無論病臥したまま軍勢を動かすことは出来ず、それ故急遽、隠居していた
父・義胤が人数を率いて参陣することとなった。

4月、義胤は隠居所である標葉郡(現・、福島県浜通り)泉田の城を出立し、まず江戸に向かった。
この時義胤が近習や外様の面々に言ったことには

「太閤様以来、天下一統して安静の世になったため、我が身も畳の上で朽ち果てることに成るのかと、
毎晩眠る時に口惜しく思っていたのだが、このように不意の出来事によって、天下の武将の御為に
命をかけて戦うことになった!
これは誠に老いの果報!老後の大幸、一体何事がこれに優るだろうか!?枯れ木に再び
花が咲くというのはこの事である!」

そのように大いに喜ぶこと限りなかった。
義胤は次男の左近及胤、そして3男の越中久胤(この時16才)を伴い進軍した。

義胤はこの年66歳であったが、その頃下々は喜胤の事を
「謡の平家物語を聞かれるにも、常に修羅場を好んで聞かれて、その時は御心も浮き立っているようであった。
この度は真の修羅場であるのだからその浮き立ちもひとしおであろう。」と言い合っていた。
その時分は家中にも戦場を駆け巡った老巧の者達が存命していて、義胤と共に従軍していた。

さて、相馬義胤の軍勢は5月9日、近江草津に到着した。ところがここで衝撃的な情報が

「大阪城は一昨日の7日に落城しました。」

諸勢は既に帰陣を始めており、兵卒たちも口々にこのことを語っていた。

これには義胤を始め老若上下、進み勇んでいただけにガックリと力を落としたが、

「と、とにかく大阪までは参陣しよう!」

そう言って先へと進んだが、その道々で人々に
「なんだこの軍勢は?戦場の掃除に行くのだろうか?それとも城番に行く者達だろうか?」
などと言われ、一行は恥ずかしさのあまり顔を見られぬよう、横向きになって通ったのだという。

この様にどうしようもない状況であったため、醍醐の方に宿陣すると、佐藤丹後を使いに立て、
佐竹義宣に「どうすれば良いだろうか?」と尋ねた。

義宣からは「とにかく人数のうち過半は国元に返して、義胤殿はそのまま醍醐に居てください。
遅参についての詳細は私の方から幕府の老中に伝え、両御所様(家康・秀忠)のお耳に達するよう
取り図っていただきます。」との返事であった。

そうしている内に利胤も病から回復し、上洛したのであるが、彼も醍醐で父と合流した。
こうした所で、大御所様並びに将軍家からも「特に気にしていない(無御別心由)」とのことで、
佐竹義宣が同道して、二条城において相馬家父子4人お目見えがかない、その後親子ともども
帰陣したとのことである。
(奧相茶話記)

相馬義胤大阪遅参、というお話





225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/11(木) 21:25:10.60 ID:1xdXtEFu
おれは平家物語の修羅場だと『信連』が好きかな
長谷部信連が1人で300人迎え撃つ話
信連は長続連たち能登長氏の先祖

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/11(木) 22:49:38.68 ID:NLBTYAWT
>そう言って先へと進んだが、その道々で人々に
>「なんだこの軍勢は?戦場の掃除に行くのだろうか?それとも城番に行く者達だろうか?」
>などと言われ、一行は恥ずかしさのあまり顔を見られぬよう、横向きになって通ったのだという。

カワユスw

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/11(木) 22:54:44.90 ID:eEJD0fni
相馬さんガンバ

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/11(木) 23:50:04.41 ID:9j5yzmzt
横向きってまさか蟹歩き…
まあ、顔背けてるだけかw

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    特に気にしていないwwwwwwwwwwwwwww

  2. 人間七七四年 | URL | -

    大勢に影響与える軍勢でもないしな

    それ故遅参しても何のお咎めもなかったとも言えるけど

  3. 人間七七四年 | URL | -

    東北から大阪までは距離があるからなぁ
    徒の軍勢連れてたならしょうがないな
    そういえば義宣さんは秋田に飛ばされた後だから
    移動はもっと大変そうだ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    秀忠「遅参なんてよくあること」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    悪久「そうそう、遅参なんてよくあること」

  6. 人間七七四年 | URL | -

    (●∀゜)「そうそう。遅参なんてよくあるんだし、気にしたら負けだって」
    秀吉・氏政「………………」

  7. 人間七七四年 | URL | -

    佐竹も夏の陣には間に合わず、大坂の手前で焼け落ちる大坂城を見たらしいな。

  8. 人間七七四年 | URL | LkZag.iM

    >大御所様並びに将軍家からも「特に気にしていない(無御別心由)」とのことで

    相馬に親近感がわいちゃった秀忠が家康をなだめる光景を妄想した

  9. 人間七七四年 | URL | -

    下手に間に合ってたら
    後ろから鉄砲を撃たれてたかもよ

  10. 人間七七四年 | URL | Cnub/O7I

    家康「間に合って手柄立てられてもどーせ恩賞なんてやる余地ねーし」
    秀忠「恩賞気にしなくていい遅参組が多いのはむしろ気楽っすよね」

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※456で、こうも遅参の意味と状況が違うのも面白いw

    >「特に気にしていない(無御別心由)」
    が、「止むを得ない理由」だからの意味なのか?
    「存在自体忘れてたから」の意味なのか?
    ちょっと気になる。

  12. 秀忠「ちょっとくらいの遅参くらい多目に見ましょうよ、父上^^」

  13. 人間七七四年 | URL | -

    輝元「遅参は計画的に。」

  14. 人間七七四年 | URL | -

    動員を計画的にできるようにならないと

  15. 人間七七四年 | URL | -

    顔背けないで堂々としていればいいのに。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    それだと恥知らずに落ちてしまう

  17. 人間七七四年 | URL | -

    盛親「遅参ぐらい大目に見てよね」

  18. 人間七七四年 | URL | -

    鬼武蔵「俺のように予定より早め早めに行動してれば遅参なんてしません」

  19. 人間七七四年 | URL | -

    >※18
    独断専行と命令無視とは、早めの行動力とは全く違うんだけどね。

  20. 名無しさん@ニュース2ちゃん | URL | -

    ちなみに、当時は、橋とかあんまりない社会なので、雨が降ると川が渡れず遅れに遅れる。
    船も、風待ちの必要があるので、遅れるときは遅れる。
    交通機関が貧弱なので、そもそも遠隔地の人は相当大変で、来る時期も読ことがわかっていたりする。

  21. 人間七七四年 | URL | -

    義胤にとっては残念だったけど、利胤病死後の事を考えると
    相馬家にとっては義胤が無事だったのが良かったのかもな

  22. 人間七七四年 | URL | -

    ???「血惨と聞いて」

  23. 人間七七四年 | URL | -

    家康は露骨だよなー

  24. 名無しの壺さん | URL | -

    義胤が例の人に因縁に決着をつけるべく後ろから鉄砲で撃たれてたかもしれんから遅参して良かったのかもしれない。

  25. 名無しさん@ニュース2ch | URL | -

    遅参恥将

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