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漢南大将、小早川隆景の要害に攻め寄す

2013年04月24日 19:52

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 20:12:48.37 ID:sewJ/kWG
朝鮮の役でのこと

漢南大将(李如松)は本唐・新羅の軍勢を合わせ20万騎を率いて、小西行長の要害を百重にも取り巻き
即座に攻め落とすと、その余勢を駆って小早川隆景の要害に攻め寄せた。
いわゆる文禄2年1月26日(1593年2月27日)の、碧蹄館の戦いである。

この大軍に、城に近づけては敗れると判断し、小早川隆景は2万5千、立花宗茂は5千、
宇喜多秀家1万の軍勢で討って出た。
この時、御検使である石田三成、増田長盛、大谷吉継は都合8千の軍勢を率いており、小早川隆景
指揮下で先陣をした。立花宗茂はその下の備を担当し、この陣形で合戦は始まる。

異国の軍兵は弓鉄砲を隙間もなく撃ってきて入り乱れ、”ちぎり”という物を1万も2万も撃って回った。
これに当たったものは、たやすく起き上がることが出来なかった。

双方、太鼓や鐘を打ち鳴らし、鬨の声をつくりかけながら攻め合い、小早川の軍勢も立花の軍兵も、
息を限りに戦ったが、敵は大軍であり、新手を次々と入れ替えつつ戦うため、小早川・立花の軍勢は、
もはや人馬ともに疲れはてたように見えた、その時である

備前宰相(宇喜多秀家)の1万余騎が、一塊になってどうと突き懸る。
これに漢南勢は押し破られ、終に敗軍した。
この時討ち取られたもの3万あまり、ちぎり、刀槍を始めとして、鉄砲や石火矢までも捨てて
逃げ帰った。

異国の具足というものは、黒鉄を平たく伸ばし、金属の鎖で繋ぎ合わせたものを、ただ地の着物に
貼り付けただけのものであった。雑兵にいたっては黒鉄の平板を繋ぎ合わせたものを、そのまま着ていた。
大将や騎馬武者のものは、五色の漆で見事に塗り分けられていた。

兜も、ただ黒鉄を伸ばして、鍋の縁を反らせたような形にして、これをかぶっていた。

馬乗りは、獣の皮を股引のように拵えて、これを鞍にしっかりと括りつけ、乗る時はそれに、
太ももまで入れ込んでいた。
この中には、馬に乗らないときには兵糧も入れられ、
また草臥れて馬の上で寝る時、あるいは一斉に駈け出して山坂を自在に昇り降りをするときも、
馬から落ちるような危ないことは些かもなく、実に便利で利点の多いものであった。
これによって彼らは、馬上で弓鉄砲も自在に撃ちはなした。
(義殘後覺)




104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 22:02:51.17 ID:8PRpe9RV
>>102
”ちぎり”って何?
投石系の武器?

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 22:18:35.15 ID:3mSfHB9G
秀家は甘い坊ちゃんと言われてるけど若い時から戦いぶりは見事なんだよな
良い家臣が揃っていたんだろうけど宇喜田騒動後の関が原でもきっちり戦っていたし

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 22:25:14.98 ID:7RO21V+k
半分程度の福島と良い勝負っぽいけどなぁ > 関ヶ原の宇喜多

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 22:30:59.89 ID:sewJ/kWG
>>104
調べてみたけどよく解らなかったです。すいません。

>>106
宇喜多騒動で家中がボロボロに成って、関ヶ原の時は慌てて雇った浪人衆が中心で、
組織としてかなり弱体化していたのは確かみたいね

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 23:16:24.43 ID:KfKIui8O
>>104
乳切棒サイズの振りずんばいみたいな物を想像した

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 23:58:27.68 ID:+v3PqY6p
フロイスの「日本史」に明軍の装甲に苦戦する日本軍の話があったが
異国の鎧は興味深いものだったんだろうか

115 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/04/24(水) 14:40:59.52 ID:aP/+VbRj
宇喜多備前中納言八郎秀家、日本軍の危機を聞き、八丈島より  泳  い  で  参  っ  た  !!!
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    弓・鉄砲・石火矢(大砲)以外の当時の明・朝鮮の飛び道具から考えると、「ちぎり」ってのは原始的な銃である突火槍のことじゃないかな。
    明にも火縄銃(鳥銃)は存在したものの、威力・射程・命中率のどれもが火縄銃に大きく劣る突火槍が主力火器だった。
    突火槍にも色々あるが、中には竹筒に小石や矢などを詰めて撃ち出す散弾銃的なものもあった。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    この馬具じゃ、馬がやられた時に人間が放り出されないから確実に下敷きになるな。
    あるいは、万が一落馬した時は頭を下にしたまま馬に引きずられる。
    大体、体の自由度が低くて戦いにくいだろう。
    馬に乗れない人間を無理矢理乗せるための苦肉の策じゃないのか?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    でも「馬が高価」であることはどこも同じだろうから、
    あえて「乗れない人間を無理矢理乗せる」事って余り無さそうだけどな
    むしろ大陸だからこそありそうな長期従軍時に
    馬上で居眠りできるとかではないだろうか?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    寒さ対策とか

  5. 人間七七四年 | URL | -

    朝鮮出兵ってやたらと20万って言う数字が多いよなw
    南京大虐殺の30万みたいなもんか

  6. 人間七七四年 | URL | -

    朝鮮軍は世宗の時代に大軍で対馬に攻めて、少数の島民兵にボコボコにされてるんだけど、文禄・慶長の役の頃の兵隊って強いのかな?





  7. 人間七七四年 | URL | -

    文禄の役のときにいた正規軍が涙出るほどへちょいのは周知の事実

  8. 人間七七四年 | URL | -

    女真と戦ってた北端部、海賊と戦ってた南端部以外の部隊は相当ひどかったみたいだね
    兵士の質うんぬんより司令官クラスやその上の政治家が腐りきってたらしい

  9. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも主力は明軍で朝鮮は刺身のツマ程度だろ

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    そういう数少ない精兵もダメダメな用兵で使いつぶされるんだから気の毒になってくる。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    だから、大河ドラマ「島津義弘」は企画にならないのかw

  12. 人間七七四年 | URL | -

    轟音を鳴らして粉末を撒き散らす霹靂砲ってのもあったらしいね。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    宇喜多秀家参戦してたのか?
    一般に伝えられてる碧蹄館の戦いとはかなり違うな

  14. 人間七七四年 | URL | -

    小早川勢2万5千って・・・水増しされすぎ

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    この義殘後覺は、民間の幻想怪談集だからね。
    史実性よりも、講談調の書物。
    この場面も、当時の人々としては異国の軍隊の様子は、
    とてもファンタジックだったと思うよ。

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