451 名前:1/2[sage] 投稿日:2013/04/29(月) 00:09:36.98 ID:0q8LlLTo
大永4年(1524)、相馬顕胤は義父である伊達稙宗より相談を受けた。稙宗はその嫡男である晴宗に、
そろそろ妻を娶らせたいが、岩城重隆に年頃の娘が有ると聞く。これを嫁に迎えたい。
ついて近隣である相馬が取り次いで頂きたい、というものであった。
これを承った相馬顕胤は家臣たちと相談。木幡出羽守を岩城へと派遣した。
岩城側の相馬との取次は志賀寒虫という岩城家家老であり、先ず彼の邸宅を尋ねた。
双方、普段から交流のある中であったため、寒虫は直ぐに出てきて
「今日は一体何の御用だろうか?」と聞いた
これに木幡は先ず「岩城重隆様には、確かご息女があられましたな?」
「確かも何も、殿はお子様はご息女お一人だけで、大変に愛していらっしゃっている。
それよりも、何故そんなことをお聞きに成る?」
「ええ、そのことです。顕胤が私をこちらに遣わしたのは、岩城重隆様のご息女を、
伊達稙宗様が御嫡男の晴宗の後妻女として貰い受けたい、と願われまして、顕胤に媒をお頼みに
なられたのです。
御存知のように顕胤は稙宗様の婿であり、また若輩でもありますのでこう言ったお頼みは
断ることはできません。どうかあなたから重隆様にこの事を申し入れられ、首尾良く出来ますように、
あなたの才覚に任せ入る所であります。」
寒虫聞いて
「そのお話は、私のような者にとっても喜ばしいことです!むろんご息女様は未だ誰とも婚約なども
しておられぬ。ですが私ばかりがこのように申していても仕方がない。 これから重隆に申し伝えて
話を決めてきたいと思う。暫くここで待っていて頂きたい!」
そして早速登城しこの話を重隆に説明すると、重隆も
「私の娘を伊達に遣わすことといい、相馬が媒酌人を勤めることといい、万喜千悦、限りないほどである。
しかし伊達は大身であり、我ら岩城は小身であれば、不相応であるという事にさえ異議がないのであれば、
この縁組は実に有り難いことである。」
寒虫これに
「岩城の事は、例え伊達が知らないとしても、相馬殿は燐郡であれば良くご存知です。
そして御心にかなったからこそ、こうやって仰せ出になられたのです。」
「そういう事ならばこれに何の問題があろうか。但し私には跡継ぎが居ない。私の娘と晴宗殿の間に
子供が出来たなら、嫡男を給わって我が跡を継がせたい。そうそう、乳母にもこのことを聞かせるように!」
と言われたため、寒虫は息女の乳母のもとに行きこの事を話すと、彼女も大いに喜んだ。
この頃岩城重隆は妻を亡くし、独り身であった。
さて寒虫は御前を下がり帰宅して、待っている木幡に早速報告した
「さてさて、目出度く殿はご了承なされた。こちらは固く事済みました。伊達については、
相馬殿にお任せいたす。」
木幡出羽も「どうぞご安心下さい」と、直ぐに帰ろうとしたが、寒虫から「このように目出度いことですから、
祝儀の一献を」と饗応を受けた。
木幡は帰って顕胤に詳細を報告し、顕胤から伊達稙宗に、岩城重隆の存念は残らず伝えられ、稙宗からも
大いに喜ばれた。
が、この輿入れは延期された。それはこのような事が起こったためである
相馬の方では新婦のための座所が完成し、この事は岩城にも伝えられ、もはや伊達稙宗からの
受け入れ準備の完了を待つだけ、という状況であった所に、羽州名掛の者で、小高町に住んでいた
商人が、岩城の町人からこのようなことを聞いたのである
「岩城殿の娘は、白河殿(白河結城義綱)の御嫡男(晴綱)の所にお嫁ぎになると、もっぱらの噂です。」
この商人は岩城のご息女が相馬家の媒酌で伊達に嫁ぐということを聞き知っていたため、実に
不審なことだと思い、商売の品を宿に預け、すぐさま岩城から小高まで帰り、もはや暮れ時であったが
そのまま木幡出羽守の台所を尋ね、「お殿様に直接お伝えしたいことがあります!」と言う、
何事かと木幡出羽出て、彼に話すように言えば、「実は…」と、岩城での噂をありのままに伝えた。
これを聞いた木幡、賤しき者の言葉ながら、ともかく殿にお知らせしなければと、もはや夜間であったが
急ぎ登城し顕胤に申し上げた。顕胤はこれを聞くと笑われ
「夜中に何事かと思ったが、岩城重隆ほどの人物が、どうして娘一人に婿八人というような事を
するだろうか?町の者の無責任な噂など、取り上げるほどのことではない。」
452 名前:2/2[sage] 投稿日:2013/04/29(月) 00:10:28.88 ID:0q8LlLTo
しかし木幡
「しかし、現在は自分だけが勝てば良いという世情であります。今日は今日、明日は明日などと
別けて考え、どんな約束も頼みには出来ません。先ず諸老臣とこれに関して評議すべきです!」
「実否もわからないまま老臣を集めて評議しても仕方ないだろう。では小人二人、歩卒一人を
商人に変装させ、白河に遣わして様子を探ってこさせよ。」
そうしてこの3人に、台所に有った鰹節や麻を少々、商品として持たせ遣わした。
一両日して彼らは帰ってきて、報告する
「岩城殿のご息女と白河殿との祝言が、近々必ず行われます!」
老臣たち尋ねる
「どうしてお前たちはそのように言い切れるのか?」
「それはこういう事です。巷説は勿論のこと、染屋、鍛冶屋。木細工屋などが、急ぎ
婚礼用具の用意を命ぜられているからです。」
相馬顕胤は予想外のことであると驚き、一族諸老を集め相談し、とにかく取次の志賀寒虫の元に
使者を遣わし事情の説明を求めることになった。
寒虫は使者の言葉を最初笑っていたが、やがて驚き、「重隆が私に聞かせないような事は
よもや無いとは思うが、とにかく重隆より承ってまいる!こちらで暫く待っていてほしい」
と、直ぐ様登城し御前に出た
「相馬殿より使者が使わされ、このような事を言って来ました。殿はそのような不義をなさったのでしょうか?
そして何故それを私に仰って頂けなかったのですか!?」
しかし岩城重隆は扇で頬杖をついて、寒虫から何度声をかけられても答えなかった。
重隆は大変な上戸であり、この時も昼間から大酒を飲んで泥酔していたのである。
それでも寒虫は詰問した。「相馬からの使者をどれだけ留め置く気ですか!?本当に白河と縁組が
有るのであれば、その理由をご返答あれ!」
すると重隆は顔色を変えて
「どうしてだと!?白土与七郎が言うには、伊達はその領地が我らから遠く離れており、
多くの郡を隔てている以上、婿を仕ったとしてもなんの役にも立たない。
一方白河殿は、何を申し合わせるにせよ燐郡であるので便宜であり、また子が出来れば貰って
家督に立てるのも易き事である。内々に白河殿よりお望みがあったが、既に伊達から先に話が来ていると
申した。ところがそれは以ての外の分別だという。しかし伊達と、相馬殿の媒酌で先に縁が決まった以上、
これを取りやめるのは難しいと言うと、白土は、それは大丈夫だ、白河と岩城が一和すれば、どこからも
手出しなど出来はしませんし、時が経てばどうとでも成ることです。是非白河に嫁がせて頂きますように、
と言うではないか、よってそのようにしたのだ!」
この白土与七郎は志賀寒虫と同じく岩城家の重臣で、白河結城氏との取次であった。
寒虫は怒り
「さてもさても、殿は御運がお尽きになった!相馬殿が木幡を使者に立て固くお約束なさったことを
お忘れになったのか!?今に見給え、相馬伊達の両勢にて岩城は攻められますぞ!ですが御家に忠義の
者達も、私を始めとして不義の将に忠戦致すものはおりませんぞ!そうなれば岩城は滅亡の時です!」
そう言い捨ててそのまま御前を退去した。そして相馬からの使者にもこの事を知らせ、
使者から詳細を聞かされた相馬顕胤は
「さてもさても、重隆殿はなんという無分別の人だろうか、相馬を何だと思ってその様な事をなさるのか」
と言い捨て、その後何も言わなかった。
志賀寒虫はそれから日を経ずして妻子を引き連れ岩城を立ち退いた。途中小高の城下を通り、
この時顕胤は「このまま相馬に留まってほしい」と仰ったが、彼は更に奥の大崎に向かって去っていった。、
(奧相茶話記)
岩城重隆の、婚約破棄事件に関する話である
大永4年(1524)、相馬顕胤は義父である伊達稙宗より相談を受けた。稙宗はその嫡男である晴宗に、
そろそろ妻を娶らせたいが、岩城重隆に年頃の娘が有ると聞く。これを嫁に迎えたい。
ついて近隣である相馬が取り次いで頂きたい、というものであった。
これを承った相馬顕胤は家臣たちと相談。木幡出羽守を岩城へと派遣した。
岩城側の相馬との取次は志賀寒虫という岩城家家老であり、先ず彼の邸宅を尋ねた。
双方、普段から交流のある中であったため、寒虫は直ぐに出てきて
「今日は一体何の御用だろうか?」と聞いた
これに木幡は先ず「岩城重隆様には、確かご息女があられましたな?」
「確かも何も、殿はお子様はご息女お一人だけで、大変に愛していらっしゃっている。
それよりも、何故そんなことをお聞きに成る?」
「ええ、そのことです。顕胤が私をこちらに遣わしたのは、岩城重隆様のご息女を、
伊達稙宗様が御嫡男の晴宗の後妻女として貰い受けたい、と願われまして、顕胤に媒をお頼みに
なられたのです。
御存知のように顕胤は稙宗様の婿であり、また若輩でもありますのでこう言ったお頼みは
断ることはできません。どうかあなたから重隆様にこの事を申し入れられ、首尾良く出来ますように、
あなたの才覚に任せ入る所であります。」
寒虫聞いて
「そのお話は、私のような者にとっても喜ばしいことです!むろんご息女様は未だ誰とも婚約なども
しておられぬ。ですが私ばかりがこのように申していても仕方がない。 これから重隆に申し伝えて
話を決めてきたいと思う。暫くここで待っていて頂きたい!」
そして早速登城しこの話を重隆に説明すると、重隆も
「私の娘を伊達に遣わすことといい、相馬が媒酌人を勤めることといい、万喜千悦、限りないほどである。
しかし伊達は大身であり、我ら岩城は小身であれば、不相応であるという事にさえ異議がないのであれば、
この縁組は実に有り難いことである。」
寒虫これに
「岩城の事は、例え伊達が知らないとしても、相馬殿は燐郡であれば良くご存知です。
そして御心にかなったからこそ、こうやって仰せ出になられたのです。」
「そういう事ならばこれに何の問題があろうか。但し私には跡継ぎが居ない。私の娘と晴宗殿の間に
子供が出来たなら、嫡男を給わって我が跡を継がせたい。そうそう、乳母にもこのことを聞かせるように!」
と言われたため、寒虫は息女の乳母のもとに行きこの事を話すと、彼女も大いに喜んだ。
この頃岩城重隆は妻を亡くし、独り身であった。
さて寒虫は御前を下がり帰宅して、待っている木幡に早速報告した
「さてさて、目出度く殿はご了承なされた。こちらは固く事済みました。伊達については、
相馬殿にお任せいたす。」
木幡出羽も「どうぞご安心下さい」と、直ぐに帰ろうとしたが、寒虫から「このように目出度いことですから、
祝儀の一献を」と饗応を受けた。
木幡は帰って顕胤に詳細を報告し、顕胤から伊達稙宗に、岩城重隆の存念は残らず伝えられ、稙宗からも
大いに喜ばれた。
が、この輿入れは延期された。それはこのような事が起こったためである
相馬の方では新婦のための座所が完成し、この事は岩城にも伝えられ、もはや伊達稙宗からの
受け入れ準備の完了を待つだけ、という状況であった所に、羽州名掛の者で、小高町に住んでいた
商人が、岩城の町人からこのようなことを聞いたのである
「岩城殿の娘は、白河殿(白河結城義綱)の御嫡男(晴綱)の所にお嫁ぎになると、もっぱらの噂です。」
この商人は岩城のご息女が相馬家の媒酌で伊達に嫁ぐということを聞き知っていたため、実に
不審なことだと思い、商売の品を宿に預け、すぐさま岩城から小高まで帰り、もはや暮れ時であったが
そのまま木幡出羽守の台所を尋ね、「お殿様に直接お伝えしたいことがあります!」と言う、
何事かと木幡出羽出て、彼に話すように言えば、「実は…」と、岩城での噂をありのままに伝えた。
これを聞いた木幡、賤しき者の言葉ながら、ともかく殿にお知らせしなければと、もはや夜間であったが
急ぎ登城し顕胤に申し上げた。顕胤はこれを聞くと笑われ
「夜中に何事かと思ったが、岩城重隆ほどの人物が、どうして娘一人に婿八人というような事を
するだろうか?町の者の無責任な噂など、取り上げるほどのことではない。」
452 名前:2/2[sage] 投稿日:2013/04/29(月) 00:10:28.88 ID:0q8LlLTo
しかし木幡
「しかし、現在は自分だけが勝てば良いという世情であります。今日は今日、明日は明日などと
別けて考え、どんな約束も頼みには出来ません。先ず諸老臣とこれに関して評議すべきです!」
「実否もわからないまま老臣を集めて評議しても仕方ないだろう。では小人二人、歩卒一人を
商人に変装させ、白河に遣わして様子を探ってこさせよ。」
そうしてこの3人に、台所に有った鰹節や麻を少々、商品として持たせ遣わした。
一両日して彼らは帰ってきて、報告する
「岩城殿のご息女と白河殿との祝言が、近々必ず行われます!」
老臣たち尋ねる
「どうしてお前たちはそのように言い切れるのか?」
「それはこういう事です。巷説は勿論のこと、染屋、鍛冶屋。木細工屋などが、急ぎ
婚礼用具の用意を命ぜられているからです。」
相馬顕胤は予想外のことであると驚き、一族諸老を集め相談し、とにかく取次の志賀寒虫の元に
使者を遣わし事情の説明を求めることになった。
寒虫は使者の言葉を最初笑っていたが、やがて驚き、「重隆が私に聞かせないような事は
よもや無いとは思うが、とにかく重隆より承ってまいる!こちらで暫く待っていてほしい」
と、直ぐ様登城し御前に出た
「相馬殿より使者が使わされ、このような事を言って来ました。殿はそのような不義をなさったのでしょうか?
そして何故それを私に仰って頂けなかったのですか!?」
しかし岩城重隆は扇で頬杖をついて、寒虫から何度声をかけられても答えなかった。
重隆は大変な上戸であり、この時も昼間から大酒を飲んで泥酔していたのである。
それでも寒虫は詰問した。「相馬からの使者をどれだけ留め置く気ですか!?本当に白河と縁組が
有るのであれば、その理由をご返答あれ!」
すると重隆は顔色を変えて
「どうしてだと!?白土与七郎が言うには、伊達はその領地が我らから遠く離れており、
多くの郡を隔てている以上、婿を仕ったとしてもなんの役にも立たない。
一方白河殿は、何を申し合わせるにせよ燐郡であるので便宜であり、また子が出来れば貰って
家督に立てるのも易き事である。内々に白河殿よりお望みがあったが、既に伊達から先に話が来ていると
申した。ところがそれは以ての外の分別だという。しかし伊達と、相馬殿の媒酌で先に縁が決まった以上、
これを取りやめるのは難しいと言うと、白土は、それは大丈夫だ、白河と岩城が一和すれば、どこからも
手出しなど出来はしませんし、時が経てばどうとでも成ることです。是非白河に嫁がせて頂きますように、
と言うではないか、よってそのようにしたのだ!」
この白土与七郎は志賀寒虫と同じく岩城家の重臣で、白河結城氏との取次であった。
寒虫は怒り
「さてもさても、殿は御運がお尽きになった!相馬殿が木幡を使者に立て固くお約束なさったことを
お忘れになったのか!?今に見給え、相馬伊達の両勢にて岩城は攻められますぞ!ですが御家に忠義の
者達も、私を始めとして不義の将に忠戦致すものはおりませんぞ!そうなれば岩城は滅亡の時です!」
そう言い捨ててそのまま御前を退去した。そして相馬からの使者にもこの事を知らせ、
使者から詳細を聞かされた相馬顕胤は
「さてもさても、重隆殿はなんという無分別の人だろうか、相馬を何だと思ってその様な事をなさるのか」
と言い捨て、その後何も言わなかった。
志賀寒虫はそれから日を経ずして妻子を引き連れ岩城を立ち退いた。途中小高の城下を通り、
この時顕胤は「このまま相馬に留まってほしい」と仰ったが、彼は更に奥の大崎に向かって去っていった。、
(奧相茶話記)
岩城重隆の、婚約破棄事件に関する話である
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コメント
人間七七四年 | URL | iA6Ve4pQ
まぁ志賀さんからしたら留まれんわな……
( 2013年04月29日 20:18 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
白土…字は違うけど読んでるうちに白土与七郎が件の白い犬(CV:北大路欣也)で再生された。
( 2013年04月29日 21:43 )
人間七七四年 | URL | -
既に出ている久保姫の話の逆パターンかな
この後に怒った伊達家が花嫁強奪の軍勢派遣するなら
こっちの方が話の筋が通っている気がする
( 2013年04月29日 21:45 )
人間七七四年 | URL | -
>殿はお子様はご息女お一人だけで
もっといた。
( 2013年04月29日 22:26 )
人間七七四年 | URL | -
なんというか伝言ゲームって怖いな~
新郎側と新婦側で直接あれこれ語る場を持たなかったんか?
まぁだまし討ちとか交渉決裂即メンツをかけた大戦とかの危険を考えると
仲に立つ連中が東奔西走するしかないのか?
( 2013年04月30日 00:54 )
名無しさん@ニュース2ch | URL | -
伝言ゲームでなく岩城氏が結城氏と組んで伊達連合へ喧嘩を売ったと言う話でしょ
しかしこの時って伊達家の絶頂期だと思うんだが、岩城氏側にはどんな勝算が有ったのだろう。天文の乱の予兆でも嗅いでいたのかな?
( 2013年04月30日 01:02 )
人間七七四年 | URL | -
こんな裏事情があったなら、
後に行動をおこす晴宗がマジイケメンに思えるw
( 2013年04月30日 14:25 )
人間七七四年 | URL | -
大永4年だと晴宗まだ6歳…
たぶん編纂時に天文4年(1535年、晴宗17歳)を
言い間違えたか聞き間違えたかして年代がズレたっぽいな
この寒虫さん(志賀隆義)は大崎に行った後、実元にスカウトされて
江戸時代には志賀家は亘理伊達の家老になってたりする
( 2013年05月02日 09:19 )
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