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井伊直政が大政所を送って上洛した時

2013年05月01日 19:50

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 17:48:42.99 ID:r7gPLnkR
井伊直政が大政所を送って上洛した時、直政は豊臣秀吉に召されて饗応が行われた。

この時、石川数正も直政の昔の傍輩だからということで接伴に召されたが、
直政は数正に背を向けて、面をも合わせなかった。

秀吉が自ら茶を点じて与えようという時にも、数正はまた接伴したが、直政は側の人に向かい、

「これにおります数正は、数代相伝の主君に背き参らせ、殿下に従った大臆病の男なので、
直政は彼と肩を並べて膝を組むことは御免蒙りたく思います」

と言ったので、御前に居合わせた人々はみな舌を振るわせた。

――『責而者草(藩翰譜)』




478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 19:25:14.40 ID:I6ZCd8uD
秀吉が気を利かせて昔のよしみで数正を同席させた中の御前での啖呵だからスゴいね
さすがにめんどくさい家臣団の中での筆頭だけある
てか、ラスボスは直政が懐かしがって喜ぶとでも思ったのだろうか…

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 19:33:02.09 ID:ctIUhIVi
三河者の譜代なんてしょっちゅう裏切るからなあ
そのくせ苦労してると聞けば帰参したり
松平の殿様と今の主君は別腹って感覚なのか?

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 20:04:41.99 ID:4/41+WON
そんなにしょっちゅう裏切ってるかなあ?
清康広忠のときはカオスだから仕方ないと思うけど

家康のときは、石川、大賀、一向一揆以外に誰か裏切ったっけ?

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 20:34:40.60 ID:nZuPJVUE
三河者の場合、主君に嫌気が指しての裏切りというか出奔じゃないからね

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    三河者は忠孝遵守みたいに扱われてるけど結構激しく離散集合繰り返してますよねw

  2. 人間七七四年 | URL | a1JVjZxA

    社長に次ぐナンバー2が、重要機密を根こそぎ持ってライバル社に移籍したようなもんだ。それも、一番苦しいときに。
    そりゃ直政でなくても怒るでしょ。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    舌を振るわす の意味が分からず
    御前に居合わせた人々がみんなイジリー岡田状態になっている姿を浮かべてしまった

  4. 人間七七四年 | URL | -

    >舌を振るわせた
    俺はグルメ的表現でよく見た気がしたが勘違いだった
    …というか、検索しても外国語の発音の巻き舌ばっかでてくるな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ググったらgoo辞書にあった。
    した‐ぶり【舌▽風/舌振り】
    1 物の言い方。話しぶり。
    「―、いと物さはやかなり」〈源・行幸〉
    2 驚きや恐れから舌を震わせること。舌振るい。
    「東国の兵(つはもの)是を見て、―して進まざりければ」〈盛衰記・三五〉

  6. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉「あいつら顔合わせたら、どんなリアクションするかな(ニヤニヤ)」って意図だったんじゃないかな。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    うんこ食わされたら、誰でも嫌になるわ。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    今ここでうんこネタは関係ないぞ

  9. 人間七七四年 | URL | -

    おかんのお気に入りでめんどくさい三河者の中でも少し毛色が違う御しやすそうな若者かと思ったらやっぱり三河者だったと。

    反応見たくて顔合わせさせたのは間違いないと思うんだが、秀吉的にこのリアクションは想定内だったのか想定外だったのかどちらだろう?

  10. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉「徳川殿は本当に良い家臣を持っておって恨めしい」

  11. 人間七七四年 | URL | -

    家康「良いか者共、今日から軍制を甲州流に改める!」
    三河者一同「え~何それめんどくせ~、おのれ数正!」

    めんどくさい連中にめんどくさい事をさせたら怒るわ

  12. 人間七七四年 | URL | -

    井伊直政って三河者じゃないじゃん・・・なんなのコイツ

  13. 人間七七四年 | URL | -

    数正の出奔がもし無ければ、徳川の軍制を甲州流に改める事も無く、甲州軍学が重んじられる事も無かった訳で…。

    江戸時代に甲州軍学者が持て囃された事を考えると、数正の一件は後々にまで影響を与えていると言えるかも知れない。
    歴史は奥深い。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも数正の出奔からこの茶会まで1年くらいしか経ってないからな。情報漏洩の対応に追われた記憶もまだ新しいうちに「昔の同僚だろ?」みたいなノリで元凶に出てこられたらそりゃ切れるわ。

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