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苗木城の戦い

2013年05月11日 19:54

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/11(土) 01:56:42.53 ID:040ewWhl
苗木城の戦い

遠山友忠は言った。
まとめサイト「美濃苗木城主、遠山友忠は悩んでいた。」
で森武蔵がキレているから、近々また来るだろう…

案の定、兵5000与騎にて攻め込んで着ると聞こえて来ました。
時は天正11年5月10日。

鬼武蔵は軍議にて5000与騎を二手に別けた。

「また狙撃されるの嫌だから、俺大手側な、見通しいいし。」
前回の狙撃に懲りた鬼武蔵は大手側(苗木城の正面木曽川対岸)に陣取る。

木曽川は広く、また遠山勢も皆殺しは勘弁とばかりに弓鉄砲、石や木を落とすなど必死に抵抗をするおかげで
ようやく川は渡れたものの苗木城に近づけず、麓に備えをたてて見上げるばかり。
搦め手側2500も遠山勢1200の弓鉄砲隊の防御を突破できず、次第に天候も悪くなり城内は霞がかかり、守備側優位のまま膠着します。

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/11(土) 01:58:47.12 ID:040ewWhl
その頃苗木城

遠山友忠「鬼武蔵が来ても、さすがは我が城、なんともないぜ! そのうち謀りごとでなんとかなんべえ」
家臣「でも殿、遠山民部(明知遠山利景)の内通によりますと、秀吉が後詰めで攻めて来るそうですよ」
遠山友忠「あー、うちらには後詰めが無いなあ。しかも秀吉、これは… 」
遠山友忠「決めた!ここに至っては仕方がない。皆で城を枕に討ち死にして後代に名を残そう!」
家臣「」

家臣「いや、殿、時節を待ちましょう。そのうちいいこともあります。秀吉の後詰めのないうちに一あてして後退しましょう。」
遠山友忠「然もありなん。その意見採用。 どこに逃げるか… 三河の家康か、相模の北条か。 信長御一門と言うことで家康卿は襲ってこないだろうから、こっちにしよう。」

5月19日 女中老人を密かに逃し…

249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/11(土) 02:00:49.89 ID:040ewWhl
翌日…

出来るだけ華々しい戦果を、と言うことで
派手で有名な 遠山友政弟の勘兵衛(後の苗木藩家老)を指名します。
その日の装いは
萌葱威しの鎧に猩々緋の陣羽織。
重藤の弓と押張染め羽の矢筈を高く背負って、照る日に輝いて鞍掛にすくっと立ち上がり
十三束三伏の箭をつがい…
「亡き三位中将信忠卿が長島の合戦時、私の弓勢を御覧になり、おまえは強弓の者だなあと感嘆された形見はこれだ!」
と矢継ぎ早に雨あられのように射落とします。
さらに城内からは鬨の声を揚げつつ
「武蔵、汚い!森あげて捕らえ給う!!」と口々に悪口を言って挑発します。

一方鬼武蔵の方は… 
内心どうあれ
「天晴れ、弓取って剛の者!」
と評しつつ、
「…とでもいうとおもったか?!」
とやっぱり 総攻撃を命じます。

怒濤の勢いで攻め上る森勢。 苗木城の南側の嶮岨を凌ぎ城の屏下に取り付きます。

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/11(土) 02:02:59.16 ID:040ewWhl
遠山友忠「計画通り (AA略」

南側の石弓を切って放せば、寄せ手の上にドウと落ち、数千丈の谷底に落ち重なって死んだ。
寄せ手はこれで多く討たれた。
 
友忠「よし、いまのうちに逃げるぞ。 いや待て。まずは酒だ。 みんな飲むぞ!」

このとき討ち取った首級は859首。 遠山方の討ち死にはわずかに256人。

その後遠山友忠・友政親子は 大手の矢倉に火を放って、2000与騎を前後に従え、しずしずと東に退いていった。
このとき敵は一兵も見えなかったという。


で、鬼武蔵はどこに行ったのだろうか?
逸話を知るばかり、報復が恐ろしいのですが…

苗木遠山家に伝わる資料なので一方的な記述ですね。

――『苗木伝記 中』

長文 大変失礼しました。




251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/11(土) 08:28:18.41 ID:NtE3yEVo
もう少し読み手を意識して書いてみたらいいんじゃないかな?
書き手と読み手でかなり温度差を感じる文章とみた

金さんは明知の一族なんだっけ?

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/11(土) 11:18:28.25 ID:GOfghqmf
どこぞの馬の骨だろ光秀

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    苗木城跡には先日行ったばかりで、歴史上はマイナーな城だが国指定の史跡だけあって見所がある。
    自然の巨岩を利用して築かれた天守跡は迫力満点で、とにかく山頂からの眺めが素晴らしい。
    戦国好きならば行く価値がある。

    ちなみに麓には資料館があるのだが、地元の小学生が製作した歴史の資料が展示されていたので目を通すと我らが鬼武蔵の名が…。
    「苗木城を攻めた勇将」とたどたどしい字で書かれた紹介文を見ていると、その実態を知る者としては何とも複雑な気持ちになってしまった。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    自分も苗木城に数年前行った。
    ホントとても素晴らしい城趾だと思う。いろんな意味で。

    お城の建ってる高森山自体がそもそも標高430m余りだし、
    一番高い所に懸け造りの建築物があったというんで…想像するだけでも凄い。
    (麓の資料館のジオラマも興味深かった)

    山頂から遥か眼下に煌めく木曽川を眺めて…こっちから鬼武蔵来たんだな〜と思い、
    この高低差をどうやって…と更にいろんな意味でゾッとしたw。

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