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佐久間信盛の才覚

2013年05月11日 19:55

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/11(土) 09:40:55.52 ID:/+TgyIYB
長篠の合戦の前のこと。
信長は佐久間右衛門(信盛)と毛利河内守(秀頼)に、徳川家康への加勢として長篠に出陣すべきかどうかを
尋ねた。毛利河内は武辺の誉れある者であり、当時岡崎に置かれ、佐久間は分別厚き者で、彼は
長澤に置かれていた。

毛利河内は『今回出陣した場合、甲州の者一人に見方十人の積りで懸ったとしても、必ず味方の負と
なるでしょう。出陣することは必ず無用です。』と書面で返答した。

佐久間からは『甲州勢は強く、見方が負けるのは疑いのないことです。ですが、加勢に出陣されることこそ
正しいと考えます。』と返答した

信長はこれを見て「毛利河内などは武辺者であるのに、どうしてこのように申すのか?
とにかく書面では埒が明かない。両名ともこちらに出てきて、直接自分の口から説明せよ。」
と、御小姓である津田於杉を以って召喚させた。

毛利河内が申し上げたのは、初めの通り、負ける戦であるので出陣は無用である、との事であった。

佐久間が申し上げることには、
「今度は三河の地においての合戦です。その上、今度加勢も送らず徳川家康殿が負けられれば、
彼は武田の旗下と成ることでしょう。
であれば、この方面の味方の手は薄くなり、武田が家康殿を配下として三河遠州を平定し、
我らに向かってくれば、これは大きな危機となります。
この想定から、今回は例え負けるとしても、加勢に出陣したほうが良い、と考えるのです。」

信長はこれを聞き「それは面白い想定だ。」と感想を述べたが、この時佐久間は

「ではありますが、是非合戦にも勝ちたい物ですので、勝利を得られるよう拙者にお任せ頂きたいのです。

私に一つの才覚が有ります。しかしながらこれまで甲州に心を通じた者が無いので、証拠として
起請を書き、その上で甲州の長坂釣閑、跡部大炊助に金を取らせてたらし込みたいのです。」

信長は「それは尤もなことだ。たらしこむためなら何であっても与えよ。ただ太刀を取らせるのは、
これは人も見るものであるので、この脇差を与えよ」と、脇差を佐久間に渡した。

佐久間信盛はこれを甲州に差し出し
『私は今回の合戦、必ず我々が敗北すると信じております。私は以前より、内々に武田勝頼公に志を
持っておりましたので、勝頼公に御奉公申し上げたいのです。もしこのお頼みを許して頂けるにおいては、
今度の合戦で我が方に攻め懸かってこられれば、我が部隊は必ずわざと負けを装い撤退するでしょう。
私の申し上げた通り、どうかお心得下さい。』

これを見た勝頼の寵臣である長坂・跡部は佐久間の言うことを信じ、
『何時でも其方のことは請け合う』と固く約束をした。

これによって長篠の合戦では、両人は此の方から敵に無理に攻めかかれば敵は相違なく敗軍するのだと心得、
勝頼に、「川を越えて攻めかかるべきです!」と進言した。

逆に織田方は、この予定を以って柵を形成し、敵を思い通りの場所へと引き付け、ついにこの合戦に
切り勝ったのである。

ちなみにこの時調略に使った脇差は、8年後の甲州滅亡の時に取り返したという。
(紀伊國物語)




597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/11(土) 10:11:04.31 ID:6S2fIjUJ
この5年後「お前が活躍した所を見た事がない!」と言われるんだな。

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    丹羽と並んでいまいち評価が難しい人だよなあ。
    戦績見ると派手さはないが堅実な用兵をして、且つ成果もあげているんだが
    やはり秀吉や光秀の派手な活躍と比較されて「役に立たん」と判断されちまった
    のが不運だったよなあ。

    しかし信長って、折檻状で佐久間にワンチャンス与えようとしていたけど、
    仮に受け入れた場合、どの戦線に回されたんだろ。
    徳川繋がりで甲州攻めかねえ。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    事実ではないんだっけ?

    まぁ「お前が活躍した所を見た事がない!」は尾張に勢力持ってる家臣を消したいがための難癖だろ

  3. 人間七七四年 | URL | -

    折檻状見るかぎりだと
    「知行増やしたのに家臣増やすどころか減らすとかヤル気あんのか?」
    …って感じだから、目立つ手柄無く出世してしまい
    ハードルが上がってしまった感じがする

  4. 人間七七四年 | URL | -

    この点については仙石>佐久間

  5. 人間七七四年 | URL | -

    なんかサラッと書かれているけど岡崎城に織田軍が常駐しているということか?
    武辺者と評しているから連絡係という訳では無いと思うけど、在日米軍みたいな
    モノなのかな
    信長も尾張統一戦では斎藤家の援軍をまんま清須の守備隊として残していたり
    するけど、一般的な権謀術数巡らす戦国時代というイメージとは離れていて
    現代的な相互信頼の同盟関係っぽいな

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※1さん
    息子が復帰後に信忠配下になってる事から言っても、親子揃っての甲州方面だと思いますね。

    目立つ手柄上げて無いとか言われてるけど、戦果無しの人間が当時の織田家で
    大禄貰える訳もない。実際に織田家進出初期から戦でも交渉でも活躍してる。
    信秀時代から一貫して信長付きなのだから信頼もされてた筈です。

    とは言え、目を付けらてしまったのも事実。全面的に擁護も出来ないかも知れませんね。

  7. 人間七七四年 | URL | KAms/y7Q

    ノブのどこにあるかよくわからない地雷を踏んでしまったのが運のツキ>佐久間さん

  8. 人間七七四年 | URL | -

    >ちなみにこの時調略に使った脇差は、8年後の甲州滅亡の時に取り返したという。

    よく見たら、甲州攻めの前に佐久間って追放されて死んでない?

  9. 人間七七四年 | URL | -

    取り戻したのは信長じゃないの?

  10. 人間七七四年 | URL | -

    織田家の重鎮退き佐久間と
    いまいちぱっとせず放逐された佐久間さんは別人

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