326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/22(水) 05:05:25.83 ID:YXi0xOw8
近江国東浅井郡脇坂野の国人、脇坂安明の息子であった脇坂安治は、浅井長政、明智光秀と仕え、
永禄12年(1569)、木下藤吉郎秀吉(豊臣秀吉)に仕えた。この時脇坂安治、16歳であった。
翌元亀元年、秀吉は浅井の小谷城の押さえとして、横山の城に逗留していたが、摂津に一揆が勃発したとの
報告があり、近江から陸路、勢多を回り、京へと急行した。しかしこの時、児小姓や若者は長浜に
残し置くと秀吉は命じた。
17歳の安治も留守居とされたが、彼は秀吉に召し連れられないことを大変無念に思い、お供させて
頂けるよう訴え出ようと考えていた所、秀吉の御膳船を長浜から直に大津に回すと聞いて、密かに
その船に乗り込み、籠を担いでその中に隠れていると、船奉行たちは彼に気が付かず、船はその日のうちに
大津へと着いた。
安治は船から走り出て松本のあたりまで行くと、道の傍に伺候して、秀吉の馬が来るのを待った。
やがて来た秀吉は、馬上から脇坂安治に気がつくと大変に激怒した
「我が命に背いてこの様にここまで来たことは、以ての外の曲事である!」
平伏する安治に、
「…しかし、若輩でありながら志を持っていることに感じ入った。仕方がないので
今夜は側で召使うが、夜が明ければまた船で長浜に帰るのだ。」
そう命じた。
安治はこれに「畏まりました」と答えたが、その夜、大津を忍び出て京都に馳せ上り、
三条の橋の傍で夜を明かし、また道の傍に伺候して秀吉の御馬を待った。
ここまで来た秀吉は安治を見て
「我が命を重ねて聞かず、こんな所まで来るとは、重大なる曲事である!」と、やはり激怒したが、
「しかしそれほどまで、深き志を持っておるのだな」と感じ入り、それから乗り換え用の馬を
安治に貸し与え、お伴することを許したとのことである。
(脇坂家傳記)
327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/22(水) 07:26:48.64 ID:ZYdRhicC
ストーカーやん
329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/22(水) 21:15:13.11 ID:xP92OfjL
「あたし、やすはる。いま船の中にいるの…」
「あたし、やすはる。いま松本にいるの…」
「あたし、やすはる。いま京都にいるの…」
「あたし、やすはる。いま三条の橋の傍にいるの…」
「あたし、やすはる。いまあなたの後ろににいるの…」
330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/22(水) 22:32:42.03 ID:cmYmasHT
また出たと、秀吉びっくり、貂の皮
331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/22(水) 23:59:56.49 ID:SZccgyFS
そうか。マイ先祖はストーカーキャラだったのかorz
332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/23(木) 00:08:11.44 ID:WeR9a0K7
脇坂家はすぐに堀田に変わったのでは
333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/23(木) 13:25:12.28 ID:iR7EMgCU
>>326
ここにでる長浜って横山城近くにあったのかな?
まさか今のじゃないよね?
近江国東浅井郡脇坂野の国人、脇坂安明の息子であった脇坂安治は、浅井長政、明智光秀と仕え、
永禄12年(1569)、木下藤吉郎秀吉(豊臣秀吉)に仕えた。この時脇坂安治、16歳であった。
翌元亀元年、秀吉は浅井の小谷城の押さえとして、横山の城に逗留していたが、摂津に一揆が勃発したとの
報告があり、近江から陸路、勢多を回り、京へと急行した。しかしこの時、児小姓や若者は長浜に
残し置くと秀吉は命じた。
17歳の安治も留守居とされたが、彼は秀吉に召し連れられないことを大変無念に思い、お供させて
頂けるよう訴え出ようと考えていた所、秀吉の御膳船を長浜から直に大津に回すと聞いて、密かに
その船に乗り込み、籠を担いでその中に隠れていると、船奉行たちは彼に気が付かず、船はその日のうちに
大津へと着いた。
安治は船から走り出て松本のあたりまで行くと、道の傍に伺候して、秀吉の馬が来るのを待った。
やがて来た秀吉は、馬上から脇坂安治に気がつくと大変に激怒した
「我が命に背いてこの様にここまで来たことは、以ての外の曲事である!」
平伏する安治に、
「…しかし、若輩でありながら志を持っていることに感じ入った。仕方がないので
今夜は側で召使うが、夜が明ければまた船で長浜に帰るのだ。」
そう命じた。
安治はこれに「畏まりました」と答えたが、その夜、大津を忍び出て京都に馳せ上り、
三条の橋の傍で夜を明かし、また道の傍に伺候して秀吉の御馬を待った。
ここまで来た秀吉は安治を見て
「我が命を重ねて聞かず、こんな所まで来るとは、重大なる曲事である!」と、やはり激怒したが、
「しかしそれほどまで、深き志を持っておるのだな」と感じ入り、それから乗り換え用の馬を
安治に貸し与え、お伴することを許したとのことである。
(脇坂家傳記)
327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/22(水) 07:26:48.64 ID:ZYdRhicC
ストーカーやん
329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/22(水) 21:15:13.11 ID:xP92OfjL
「あたし、やすはる。いま船の中にいるの…」
「あたし、やすはる。いま松本にいるの…」
「あたし、やすはる。いま京都にいるの…」
「あたし、やすはる。いま三条の橋の傍にいるの…」
「あたし、やすはる。いまあなたの後ろににいるの…」
330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/22(水) 22:32:42.03 ID:cmYmasHT
また出たと、秀吉びっくり、貂の皮
331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/22(水) 23:59:56.49 ID:SZccgyFS
そうか。マイ先祖はストーカーキャラだったのかorz
332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/23(木) 00:08:11.44 ID:WeR9a0K7
脇坂家はすぐに堀田に変わったのでは
333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/23(木) 13:25:12.28 ID:iR7EMgCU
>>326
ここにでる長浜って横山城近くにあったのかな?
まさか今のじゃないよね?
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コメント
人間七七四年 | URL | -
まあラスボス様にしてみたら、自分の命令を破った事には立場上
怒らないといけないけれど、叱責を受けても自分と共に戦いたいという
姿勢を見せられれば「まあ仕方ねーな」と、内心苦笑していたかもなあ。
後の仙石と尾藤の対照的な結末を見ると、ラスボス様はこの手の健気さ
というのを重視していたのかいなと思う。
( 2013年05月22日 21:08 )
人間七七四年 | URL | sSHoJftA
打算のない健気さで叱ってもついてきちゃう子犬
しょうがないヤツと思いながらも可愛くないわけないわな
( 2013年05月22日 23:36 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
若輩で馬に乗せてもらえるとか、
地味に凄いこと書かれているなw
( 2013年05月23日 03:56 )
人間七七四年 | URL | -
秀吉「さすがに3度目やられたら耳を削がなきゃいかんけん」
( 2013年05月23日 08:58 )
人間七七四年 | URL | -
ワッキー
( 2013年05月23日 19:39 )
人間七七四年 | URL | ZiGJmzCM
「お伴」という単語に一瞬アッチを連想して、ビクッとなった。
毒されすぎだ……orz
( 2013年05月23日 21:53 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
この頃から、はなから、独断専行型だったのか脇坂
有能なのは間違いないが、なんとうか…扱いずらいよ!
( 2013年05月24日 04:04 )
人間七七四年 | URL | -
何気に>>331がw
( 2013年05月24日 14:09 )
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