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細川忠興軍功記より、七将襲撃事件の模様

2013年05月23日 19:50

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/22(水) 21:18:37.37 ID:YXi0xOw8
慶長4年(1599)閏3月3日、大納言・前田利家が死去すると、これまでの政治的混乱は石田治部少輔三成の
せいだと、反三成派の武将たちが決起し彼を襲撃する、いわゆる「七将襲撃事件」が起こる。

この時三成は大阪にあったが、襲撃を避け宇喜多秀家の屋敷に逃げ込んだ。
この宇喜多屋敷は前田利長の屋敷の隣であったため、利長の屋敷に七将は詰めかけ攻め懸る準備を進めた。
三成はこれに気付くと、女乗物で密かに宇喜多屋敷を出、摂津から京に向かい、伏見の自分の屋敷に
入り、ここに立て籠った。この三成の屋敷は伏見城の西の丸近くにあり、その上城同然の要害で
あったため、七将は思うように手が出せず、ためらいが広がった。

しかも三成は、今度は自身の手勢を手分けさせて、逆に伏見の七将の屋敷に襲撃をかける姿勢を見せたため、
七将は銘々に、自身の屋敷の防御を固めた。

この時、細川忠興の伏見屋敷は低地に有ったため、内側より堀に詰め橋をかけて、寄せ手が来るのを
待ち構えていた。すると加藤清正より使いが来て、

『あなたの御屋敷は防衛に向かない低地にあります。
しかし京橋は要害の良い地であるので、あなたが京橋に立て籠って頂ければ、あのあたりは
私と黒田殿、そして細川殿の3人で固めることと成り、これならばどれほどの軍勢で
攻め懸けられてもビクともしません。急ぎ京橋に立て籠って下さい。』
そう伝えてきた。しかし忠興は

「三成の軍勢が仕掛けて来ると言われていますが、私はまだ状況も確認していません。
状況を確認した上で、ここで我々が戦うのは無理だと判断される時は、そちらに後退いたします。」
との返事をした。

さて、この様に忠興の屋敷に三成の手の者が襲撃をかけると沙汰される中、この忠興の屋敷の
裏方は、森忠政の屋敷であったが、忠政は忠興を屋敷に訪ね

「私とあなたは、信長様の時代からこの方、2代にわたる朋輩であります。その上、屋敷も裏合いであり、
深い縁があります。ですのでどうか、お互いに相談し合い、一緒に戦いましょう。」

そう協力を申し出、森家の人数で細川屋敷の周りを固めさせた。
さらに忠興に親しい金森和泉守殿、平野遠江殿、氏家志摩殿、津田興庵といった人々も
駆けつけたが、細川屋敷が狭く収容出来なかったらめ、忠政が自分の屋敷に詰めさせた。
これは隼人左馬之充が後に語ったことである。

このような中、徳川家康が事態の収集に乗り出し
「治部少輔が政治に関わっているため、あなた方はそのようにお腹立ちになっている。
彼を佐和山に逼塞させよう。これで腹立ちを収めて貰いたい。」

と七将に伝えると、
「治部少はお為悪しき人物です!」
とあちらこちらから声が上がったものの、最終的には「内府公の御分別次第」と纏まり、
こうして三成は佐和山に引退した。

これによって、大阪伏見の情勢も静まったのである。
細川忠興軍功記)

あの七将襲撃事件で、実は三成の反撃計画が有り、しかもそれへの対応のため攻めているはずの
七将の方がむしろ防衛的になっていたという、興味深い内容の記された記録である。





676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/22(水) 21:22:36.60 ID:xVQ8I8TP
伏見の自分の屋敷、てはっきり書かれてるのになぜ家康のもとに逃げた
と誤解されていたんだろ

しかし、森忠政と忠興
>「私とあなたは、信長様の時代からこの方、2代にわたる朋輩であります。その上、屋敷も裏合いであり、
>深い縁があります。ですのでどうか、お互いに相談し合い、一緒に戦いましょう。」
もう一個深い縁があるようだが、このスレ的に

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/22(水) 21:29:07.97 ID:gnwbBSSy
他にも結構忠興と忠政が絡む逸話多かったような、仲いいのかね

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/22(水) 22:51:29.68 ID:ZysHbaov
>>676
関原軍記大成あたりでさえ、伏見城内の自邸に立てこもったとあるから
近年の小説とかかも知れんね。

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/23(木) 00:41:35.37 ID:so1pz6EK
どこかで「仮にも大名やってる連中が嫌いなだけで軍勢率いて人間一人を襲撃するわけないだろ」
ってのと「嫌いってだけで襲撃しかねないのが江戸初期以前の怖さだろ」って話があってむむむとなった
個人的には某スレの清正則の政権参入策ってのが面白いと思った。お話しとしてはだがな!

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    管理人氏が以前言っていた「三成って松岡修造みたいな人間だったんじゃないか」説をふと思い出した(´・ω・`)

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    傍から見てる分には面白いんだけどね
    近くに居るとって考えると、ね…

  3. | URL | YqzQT8Bs

    ※3
    自分もその説を推すわw
    ていうかドラマだと七将にビビって逃げ惑うひ弱なイメージな時が多いが
    実際には利家の時といい、むしろ三成の方が相手を殺る気満々じゃねえかw

  4. 人間七七四年 | URL | YqzQT8Bs

    ※3じゃなくて※1ね

  5. 人間七七四年 | URL | -

    忠興と忠政は仲良しだなー
    まあ忠政の兄貴の代からの付き合いだしね

  6. 人間七七四年 | URL | -

    利長さん、喪中だってのに屋敷が隣にあることで政争に巻き込まれたら、国元に帰りたくもなるわな
    因みに、二人の 忠 の字は織田信忠の偏諱で、本逸話や、利長さんの 長 にみるように年が流れても、元織田家中という概念が脈々と残っていたようで

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    類は友を呼ぶってことかな?

    おや、こんな時間に客人だ

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    信長が忘れられた存在になってからも墓参り行ってたんだっけ?忠興

  9. 人間七七四年 | URL | -

    内容は大変興味深かったのですが、途中の「細川屋敷が狭く収容出来なかったらめ」
    の打ち間違いで思いっきり吹いてしまったw収容できないだけに「らめ~」ってかw

  10. 人間七七四年 | URL | -

    細川邸に集まった面子が見事に織田家臣団系だな(平野さんだけ違うんだっけ?)

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※10さん
    元々木下家・羽柴家の中心家臣団が元織田家家臣団及びその系譜ですからね。
    やはりどうしても横の連携もその繋がりなのでしょうね。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    家康の屋敷に逃げ込んだ、っていい始めたのは、徳富蘇峰だっけか。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    一応「東照宮御実紀付録巻八」に「天元実記」を出典としてそういう逸話があるから
    初出は蘇峰翁では無い模様

  14. 人間七七四年 | URL | -

    三成襲撃事件って被害者の筈の三成が謹慎処分受けてるのが理不尽だなってずっと思ってたけど
    家康が動いた理由が「七将から三成を守る」じゃなく
    「伏見の街を三成から守る」だったとすれば納得だなw

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