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福富隼人と、その兄弟

2013年05月24日 19:52

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/23(木) 20:06:08.91 ID:knNTMBy/
天正14年(1586)、長宗我部元親公の御嫡男である信親公は、豊後の大友が島津に攻められているのを
助けるため、長宗我部や仙石が加勢いたし合戦となり、ここで討死されました。

私の父である福富隼人は長宗我部家に仕えており、この合戦の後、長宗我部が再び九州に出陣した時に
先手を仰せ付けられ、天正14年9月21日、38歳にて討死いたしました。
その合戦の名は豊後府内陣と申します。また、筑紫陣とも呼ばれているそうです。

我が父隼人は討ち死にするまで数度にわたって名を上げる働きを致しましたが、
それらの事については、長くなるので省略します。

こうして私は、幼少(11歳)で父と離れました。

父・隼人は長男でした。
次男の民部は、豊後府内陣において兄隼人と共に、35歳で討ち死にしました。
三男の平兵衛は、伊予南表の大津という所で合戦が有った時、深手を負い、帰陣後30歳で亡くなりました。
四男の新六郎は、阿波国での勝端合戦で、26歳で討ち死にしました。
五男の新九郎も、新六郎と同じく勝端合戦で、20歳で討ち死にしました。

(福富平右衛門親政法名淨安覺書)

長宗我部元親が土佐の出来人として成長する裏での、巨大な犠牲の一端が垣間見られる、
福富隼人とその兄弟の戦死についての証言である。





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    この一家の討死率はちょっと高い気もするけど、
    滅亡した家の家臣だと一家全滅もざらじゃないので、
    まだマシな方なんだろうか…。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    何がやばいって、どこの家臣の家でもこんなかんじだったんだろうなぁ。大阪の陣で井伊さんの所におっても何も言えんわ。

  3. SHIN | URL | B4ff.1Vc

    この福留政親の祖父親政も討死してるんだよな。
    でも例えば本多家だって、
    忠豊:安城合戦で広忠を逃がすために殿軍をやって討死
    忠高:人質交換で家康を取り戻すための安城攻めで討死
    忠真:三方原の合戦で家康を逃がすために殿軍をやって討死
    忠勝:無傷。
    忠政:無事。
    忠朝:大坂夏の陣で家康本陣に攻め寄せる毛利、真田勢を食い止めるために討死
    だから、中小大名の中級家臣の戦死率ってこんなもんなのかもしらん。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    そらこんだけ死ねば養子でも取らないと簡単に家も滅ぶわ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    忠節を尽くした武人がいた家ほど、残った一族は名誉を重んじてさらに奮闘を重ね、そしてさらに死傷率が上がるというスパイラル
    それを考えると、鍋さんが生涯戦場で傷を負わなかったという逸話は神がかってるな

  6. 人間七七四年 | URL | -

    鍋さんも姉川でピンチになったけどね
    家康が、これ以上本多家から戦死者を出すわけにはいかないと、
    体を張って助けたから助かったわけで

  7. 人間七七四年 | URL | -

    これで病死もある時代で、とくに乳幼児は、推して知るべし。江戸時代になって、平時でも家が絶える危険があるしなあ。
    子だくさんでないとやっていけないという。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    江戸時代の乳児の死亡率は一説によると50%前後だったとか。
    江戸時代の女性がつける「白粉」には水銀や鉛が含まれていて、乳児の死亡率が異常に高いのは当時の未発達な医学や衛生問題だけでなく、それらの中毒のせいもあったって説もあるな。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    大名自身が前線に出て討死するような時代なんだよな…
    家臣の一族の戦死率は推して知るべし

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