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細川忠興、関ヶ原前夜

2013年05月26日 19:04

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/25(土) 20:25:30.11 ID:WefcJGVz
慶長5年9月14日、関ヶ原前夜の事である。

その未明に、細川忠興の軍勢は、陣屋の外から東軍の諸隊が陣替えを行なっている様子が見え、
これを忠興に報告した所、「どういう事かよく解らない」と述べた所、隼人左馬充殿が御前に上がり
「諸隊は色めき立っております」と報告した。

この時福島正則より、『急ぎこちらにお出で下さい』との遣いが到着し、忠興はそのまま出て行った。
残った家臣たちはこの事を玄蕃殿(忠興弟・細川興元)にも知らせ、そうして何れも陣屋の
小屋の前に出て忠興が帰るのを待った。

すると北の方より、馬に乗り「玄蕃!玄蕃!」と声高に呼びながら、忠興が帰ってきた。
そして小屋前まで乗り付けると、小屋前に居た人々はそのまま立っていた。
ここで忠興は玄蕃に、正則の陣でのことを語った

「太夫殿(正則)の陣所に乗り付けと、太夫殿は手で私を招いた。そこで『こんな時に騒いでは、
下々の気が違う物ですぞ!』と大声で言ったのだが、太夫殿が言われたのは

『吉川(広家)の所から黒田(長政)の所に申越した所によると、昨日は毛利は、東軍の
お味方をすると言ったのであるが、今夜になって治部少輔(三成)が大垣から関ヶ原へと廻り、
色々と仕掛けたため、昨日の状態ならお味方できたのだが、今の状況では、敵対はしないまでも、
御見方も出来ない、』

と言うことであった。」

そして忠興は

「話はこれで済んだ。仕掛けてきた合戦は、ただ受け取るのみである!
急ぎ小屋の前に軍勢を集結させよ!」

そう玄蕃に命じ、また先手の軍勢も、あらかじめ垂井の宿の方に進出させていたため、
忠興はそこから戻らせ、軍勢を伊吹山に続く山際まで移動させ、また黒田長政の備に乗り付けられ、
合戦が始まるまでは、左馬殿(加藤嘉明)、出雲殿(金森可重)、黒田殿(長政)、そして
細川忠興が一所にて、敵味方の状況を観察したとの事である。
細川忠興軍功記)





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    つまり大垣で決戦してても吉川のせいで西軍は負けてたってことか

  2. 人間七七四年 | URL | -

    だが桶狭間ならどうか

  3. 人間七七四年 | URL | JZO.0fDg

    日本語で書いて欲しかったレベル

  4. 人間七七四年 | URL | -

    何か良く分からない内容(書き方)だったな。
    登場人物の勢いと話の内容が有って無い感じ。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    左馬殿(加藤嘉明)と左馬充を混同したところからおかしくなってるような。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    意味が取れないわけじゃないし、別にこれでもいいと思うが

  7. 人間七七四年 | URL | -

    意味が取れないからこそ突っ込まれてるんじゃないかと

    原文も時系列が前後してる上に「候へハ」「候へと」で連結しくまりだから
    アレだけど、もう少し整理した方が良かったかも。

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