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仙石殿豊後において敗北の事

2013年06月01日 20:01

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/01(土) 08:51:45.52 ID:rfyhuDr6
仙石殿豊後において敗北の事

島津家久が大将として二万余りの人数で豊後利満城(鶴賀城の別名
利光城)を攻めたとき、仙石権兵衛尉は豊後大友義統勢を加えて
六千余騎を率い、十二月十三日に河を渡って薩摩勢の後陣を取巻き
合戦に及んだ。

互いに武勇を磨き数刻太刀打ち槍合わせ勝負まちまちだった時に
長曾我部信親は、手の者二十二騎が左右につらなって槍を合わせ
ていたが一歩も下らずに討死なされた。

これにより豊後勢がこらえられず敗北し、十河新太郎矢野田宮を
始め多くの者が討死し、仙石も虎口を遁れて這う這うの体で退いた。

薩摩勢は勝ちに乗って遁れるもの達を追撃して府内は祇薗の河原
まで、高田は門口まで到達し討ち取られた人数はその数を知らず。

そのまま島津勢は府内へ乱入せんと掛かったので、すぐさま大友
は府内を引き払い高崎の城(高崎山城)へ逃げ籠られた。

島津家久は府内へと討ち入り、義統はまた高崎を捨て豊前国龍王
へ退かれた。

(日向記)

日向記に記された戸次川の戦いの記録である。

ちなみに伊東祐兵は黒田勘兵衛に属して筑前方面で戦っており、
この話の前半にあれこれと書いてあったが、少しダレるので
バッサリと省略しました。



748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/01(土) 09:52:01.78 ID:ALp6g2wx
省略された伊東祐兵とっても悪い話か。w

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    日向記を見ると、それなりに互角の戦いをしていたけれど、
    信親が討死したことで一気に崩れちゃったという事か。

    立花道雪が嘆きまくったように、耳川以降の豊後勢って、
    本気で戦場で足を引っ張りまくっているような気が。
    勿論、中核がごっそりやられたのと、上級司令部が無能なのが
    原因なんだろうけどさ。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    多勢に無勢だから豊後勢の責任にするのもちょっとアレかなぁと
    あとタグからスルーされちゃう「大友義統」に愛の手を!

  3. 人間七七四年 | URL | -

    島津2万に対して大友with四国でやっと6千だもんな…
    しかも大友から内応者が出ている状態だし
    どう戦っても厳しい気がする…
    利光城は捨てて豊臣本隊が来るまで守りに徹するしか
    勝つイメージが沸かないなぁ。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ほうぼうのていで逃れた後、どうしてあんな長距離を逃げてしまったのか

  5. 人間七七四年 | URL | -

    島津家久「日向出征時は1万人だったのに、豊後についたら2万人いると書かれてたでごわす」

  6. 人間七七四年 | URL | -

    戦の人数なんてのは不明なことが多いけど、勝ち続けてる方は
    意外に人数が減らないし、小大名や国人を従属させつつ進んでれば
    増えることもあるけどね。

  7. 名無しさん@ニュース2ちゃん | URL | b5.M5V.g

    進軍していればその途上で勝ち馬に乗りたい&略奪されるのを避けたい土豪や地侍たちが
    加わって来て自然と膨れ上がるもんだからな

    逆に撤退の際は臨時収入とばかりに落ち武者狩りされるが

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    6千は四国勢のみの数で、大友勢を入れれば2万はいる。
    だからこそ元親は「大友勢を待て」と進言したんだけど、
    肝心の大友勢がぐずぐずしていて進軍が遅れまくっているもんだから、
    このままじゃ落城すると秀久が攻撃開始したのが流れかなあ。

    利光城を捨てた場合「上方勢は本気で助けに来ない」という政治的に
    最悪のメッセージを出すことになるからねえ。
    秀久が救援を強硬に主張するのも道理なんだよなあ。
    もっとも、救援頼んでおいて、いざ救援となると腰が重くなる義統は
    溜息しか出ないが。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    この逸話と※8さんのレス見て、
    なんで秀吉が秀久を切腹させなかったのか少しわかったような気がする

  10. 人間七七四年 | URL | -

    なおかつ、※8読んで相変わらずの義統の残念っぷりに本当にため息しか出てこないわ個人的に
    よく悪く言われる秀久と同じか、それ以上にこの敗戦の原因作ってる気がするんだよなぁ義統…

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※8殿が詳しく書いて居てくれて助かった。
    確かに指揮官クラスを複数討ち死にさせて、必要以上に撤退した事は
    非難されても止むを得ないけど。
    秀久も負け戦ばかり書かれて、どうして戦わざるをえなかったか?
    は余り注目して貰えないので。漫画とかだとやたらと猪武者的に
    武功上げたいor相手を侮ってる的表現ばかりでウンザリ。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※8殿、詳しく説明をしてくれてありがとう。
    「センゴク」でこの件をどう描くか楽しみだ。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※10
    まあ間違いなく戦犯でしょうねえ<義統
    元々秀吉の戦略としては、後続の中国勢や上方勢本隊が来るまで動くな
    なんですけど、それ無視して所領地の宇佐郡内で反乱軍が蜂起したので、
    これを鎮圧に豊前に出兵し、豊後の兵力が減少したのを好機として、
    島津勢が怒涛のごとく押し寄せた訳ですから。(ちなみに豊前攻めは
    早々に切り上げた)
    結果論ではありますけど、義統の軽はずみな出兵が隙を生んだわけで。

    文禄の役でもそうですけど、とにかくこの人は「今自分がこうすればどうなる」
    という推測が壊滅的なまでにできない人だなあと。
    政戦双方に優秀な補佐役がそばにいる分には何とかなる人ではあるんですけど。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    なんというか…残念すぎるな義統
    彼のいい話が発掘される日は来るのだろうか

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    戸次川の戦いはそれぞれの立場から考えた場合、単純に「仙石=馬鹿」
    と位置付けることは不可能なんですわ。
    基本的に好意的に見られる四国勢の進言も、何の縁もない九州勢の
    助け戦であることを考えると、『後詰決戦にも消極的であるが故に、
    既に城は落ちたものと見なし、取りあえず島津勢と戦う事で、あまり
    火傷せずにポイントを稼ぐ』と纏められます。
    つまり軍事的戦略を重視していると言える訳です。

    逆に仙石の場合は『上方勢は絶対に見捨てない。その為には犠牲を
    いとわない』という証を示さないといけない訳です。
    仮に自軍が敗れても、圧倒的な秀吉勢本軍が来るわけですから、
    九州の国人層に『豊臣は信用できるよ』という点を重視する必要がある。
    だからこそ軍事的には無謀でも、政治的には意味のある後詰を主張したと。

    結局、お互いの立ち位置が違ったことから、統一した意思疎通に失敗したのが
    大きいんじゃないでしょうかねえ。
    そして本来ならば仙石の行動に積極的に協力しないといけない大友家が
    消極的な姿勢にたっていたことが問題の溝を深めてしまったと。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    個人的には、※8の流れでは、
    仙石さんより大友さんに問題があるかな~。

    まぁ、深追いして、罠にはまったのは慎重さに欠けると思うが。
    しかし、大友隊の鈍さ見ていたら、
    少しでも打撃を与えておきたいとも思うし…。

    指揮官ってのは難しいね。

  17. 人間七七四年 | URL | -

    消極的だった尾藤、神子田さんの処分が厳しかった理由が見えたような気がする

  18. 人間七七四年 | URL | -

    仙石は命さえあれば次があるを地で行った人だからなー
    でもやっぱり長宗我部家のその後を思うと信親達と一緒に死んでろよと思うなw

  19. 人間七七四年 | URL | -

    8殿のお陰で仙石に対する見方が変わりましたよ。なるほど、そういう考え方もあったのですね。

  20. 人間七七四年 | URL | -

    先日小諸城へ行ったばかりで、仙石さんの事をもっとちゃんと知りたいと思っていた所、
    このスレ、大変勉強になりました。
    しかし自分も長宗我部さんの事を思うと…なかなかいまだ複雑ですが、
    それが戦国の難しい所なのですね、仙石さん。

  21. 人間七七四年 | URL | -

    利光より南の方では尽く島津に寝返って
    佐伯さんだけが孤軍奮闘していたんだっけな
    利光城も島津に殺されることを覚悟した人質を出して時間稼ぎしているから
    見捨てたらそれはそれで凄い後味悪い話になっていただろうな…

  22. 人間七七四年 | URL | -

    三方ヶ原の家康の状況にちょっと似てますね。
    自力でリカバリーして見せた家康と、一目散に逃げてしまった仙石の対比も面白い。
    手勢、味方の質、敵の性質の差もあるでしょうが。
    ・・・島津勢だけには追撃されたくないw

  23. 鎌倉幕府 | URL | -

    たしか秀久の廃嫡された次男が大阪の陣で長曽我部と組んだぞ。

  24. 人間七七四年 | URL | -

    ※23
    別に組んだ云々じゃ無くて、大坂方の招きに応じたら居ただけでしょ。

  25. 人間七七四年 | URL | -

    ※24
    すごく気まずそうだw

  26. 人間七七四年 | URL | -

    ※23
    長曽我部だけじゃなくて、十河存保の遺児である十河存英とも組んでたり

    ……気まずいって状況じゃねぇwww

  27. 人間七七四年 | URL | 8Gq/hl/c

    しかしまあ、豊臣としての方針は既に豊臣の先鋒として九州入り してた毛利勢とかが
    立花のムネリンとかとの協働で示してた訳で
    あの時点のゴンベにそれを示す必要があっただろうか
    まあ、家久と義弘に合流されたら豊後は守れないから、家久叩きに行くのは理解出来るんだけど
    肝心の義統の腰が重いのに仕掛けちゃったのは、ちょっと擁護出来ない

  28. 人間七七四年 | URL | -

    ※27
    君はちゃんと8(15)さんの話読んだの?
    しなくちゃならない状況で動かなかったから、
    秀吉に叱責された人居たよね?

  29. 人間七七四年 | URL | -

    ※22
    島津勢「に」追撃も嫌ですw

  30. 名無しさん@ニュース2ch | URL | -

    島津勢「に」追撃のほうが死亡フラグ立てやすいかもな。

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