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本能寺の変に伴う毛利家との和睦について

2013年06月06日 19:51

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/06(木) 10:05:09.31 ID:Dr27dp+R
天正十年六月三日子刻(0時)に京都から飛脚が到来。
「信長公・信忠卿が二条本能寺で昨日二日の朝、惟任が為に御切腹なさ
れました。急ぎ御上洛ありて日向守を討ち平らげるのが当然でしょう」
との旨を長谷川宗仁が密かに申し送ってきた。
秀吉は大いに驚かれたが何事も無かったかのようにふるまった。

四日朝、御馬印だけを持たせ陣を見回られた。いつもは百騎ばかりを
召しつれて見回られるが、京からの話を聞かれてからは、静かに堤を
巡回され、対する輝元の陣も堅固であるように見えた。

即座に毛利家臣安国寺を呼び寄せ「分国を保ちたいのであれば、降参
してもらいたい。そうであれば和睦は長久に続くでしょう」と告げた。

安国寺はこれを承り「もっともの事でもあり、輝元には少しも疎意に
存じられないだろう。御状の趣を申し聞かせましょう」と帰っていった。

輝元は「分国に相違が無いのであれば受諾しよう。起請文を取り交わし
人質を進じよう」と承った。

秀吉はこれであれこれは片付いたと考えられたが、明日五日の朝に返事を
するとして、その日は毛利からの使者を帰された、

五日の朝、小早川、吉川よりそれぞれ使者がきた。
ここに至って秀吉は亡君の事を隠し続けるのも限界であろうと考えられ
「このたび信長公は去る二日惟任日向守の逆心により御父子ともに京都で
弑された、このような状況でも最前に定めた和睦の条件に相違はないか」
と仰せられ「両使は輝元に報告して、その上で決めるがよかろう」と使者
を帰された。

両使は即座に立ち戻り小早川、吉川から輝元に信長公御父子の事を報告し
家老の面々を呼集して、どうするべきかを評議を行った。

若くて勇みがちな人々は、天の与えた幸いであるから和睦を破棄して帰陣
し、世の動きを見られれば良いのではないかと高言するものが多かった。

しかし小早川隆景がこれを諌めたので満座は沈黙し、輝元も尤もであると
考えられた。

輝元は前回送った使者に加えて信長公の御弔として福原越前守広俊を添えて
秀吉の陣に送った。

両使は蜂須賀彦右衛門尉に対して最前に約した和睦の条件で相違なしと、
輝元ならびに小早川、吉川の誓紙をもって申された。

秀吉は大いに悦び。「明日には出立するので、鉄砲五百艇、弓百張、旗
三十本を合力していただきたい。またこちらからも「今後も毛利を粗略には
しない」旨の誓紙を出そうと言われ、福原越前守と安国寺を呼び寄せて
血判に及び、口上を述べられた。

輝元も了承し、即座に人質として元就八男藤四郎(小早川秀包)に桂民部少輔
(広繁)を添えて進上され供奉した。

(日向記)

本能寺の変に伴う毛利家との和睦についての話





412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/07(金) 09:55:29.67 ID:sVgKc4Yf
>>408
だいたい同じような内容が毛利側、羽柴側両方の史料にも見られるから
どうやらこれが史実みたいね。

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/07(金) 09:57:33.23 ID:7u8b/B3W
清水宗治「え?俺死ぬ必要あった?」

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/07(金) 10:20:01.73 ID:Xe9aBHnf
ここまで手の内を明かされて、よく毛利は秀吉を無事に返したよな。

415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/07(金) 11:15:50.44 ID:vwIjszRc
秀吉一人屠るのは簡単だけど、その後の展開が見えなかったんだろ

416 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/06/07(金) 14:51:28.19 ID:EuDxLF/i
それは明智と組んで秀吉を倒し、
次は柴田と組んで明智を倒し、
最後は家康と組んで柴田を倒す・・・なんて巧く行く分けないよな。

417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/07(金) 15:12:59.77 ID:9xWeM5LF
>>413
宗治が死んでなかったら和睦への道は遠のいたんじゃなかろうか

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/07(金) 15:34:16.65 ID:AyjBnaSK
ん?岡山の直家さんってまだ生きてたっけ?

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/07(金) 16:42:19.02 ID:9NOimaRp
直家さんは前年の暮れにもう

毛利方としても和睦ができるならそれに越したことはない状況だし、
もっけの幸いと受け入れたんだろうなあ
結局柴田あたりが攻めてきたら元も子もない


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    これで秀吉はすっかり毛利と仲良くなっちゃうんだよなあ。
    その後境界線問題はあったけど険悪になるまでには至らずまとまってるし。
    ある意味秀吉は毛利にたらしこまれてる。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    史実だと毛利が秀吉に降るのはもうちょっと先ですね。

    賤ヶ岳の戦いのあと、秀吉から隆景に送った脅迫状に応じて
    吉川広家を人質として出したあたりですね。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >小早川隆景がこれを諌めたので満座は沈黙、輝元も尤もであると
    隆景さんが無言でテルさんを蹴り殴ってるイメージが湧いた。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    広家の書状見ても隆景と同じく元春も和睦堅持派なんだよな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    毛利も九州北部で大友家とのいざこざがあるし、領国を空にして全軍で秀吉の背後を襲うとか、かなりのリスクのある話だしね。
    この頃は国人連合の色合いがまだ強く残ってるから主君の権力や家中への統制も限定的で、簡単に命令一下で大事を起こすのは難しい。

  6. 名無しの日本人 | URL | -

    >>412
    (ヾノ・∀・`)ネーヨ

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    残念ながら『江系譜』『池田氏家譜集成』にも記述あり。
    武器等の供与数も完全に一致。
    一方、秀吉が変の事を隠して撤退成功し元春が追撃を主張したという話は裏付け史料なし。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    毛利が天下を獲れる環境ではなく、結果として輝は五大老にまでなった。
    叔父上の判断は正解だったんだろうな。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    そんな二次史料はアテになりません。『残念ながら』なんて付けちゃって必死ですね。
    あっ、もしかしてレス主さんでしたか?
    秀吉が変のことを隠して撤退したという史料は「残念ながら」いくつもありますので・・・w

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    キモッ

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