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山田土佐入道の妻子

2013年06月09日 18:54

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/09(日) 08:15:28.91 ID:2jQXQQ2r
山田土佐入道(宗昌)の妻と娘は、日向没落の時に置き去りとなり
薩州の軍勢に捕えられ鹿児島に送られ義久に仕える事となった。

義久は名のある武士の妻子であるからと常に懇意にされていたが、
土佐入道が飫肥へ帰参したとの話を聞いて、妻子に衣類金銀を与えて
土佐入道の許へと送られた。情けある事でした。

(日向記)

島津義久山田土佐入道の妻子を送り返す良い話

山田宗昌は天文年間から活躍していた伊東家の武将で、伊東義祐が
伊予へ移った時には豊後に残って、その後も佐伯惟定の元で島津と
激しく戦い、伊東祐兵が飫肥に復帰した時に帰参した人です。

敵の妻子にも情けをかける島津義久はよく出来た人ですね。




428 名前:匿名大名[sage] 投稿日:2013/06/09(日) 11:19:44.47 ID:7oA6JdOJ
妻子の見目がよければ多大な情けをかけるお!

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/09(日) 11:52:32.88 ID:evYMY+3l
ほんとに情けだけかや?

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/09(日) 14:40:22.45 ID:7F14SXff
情けにはちゃんとそういう意味も

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/09(日) 15:29:37.85 ID:07+AIUNl
悪久だったら・・・

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    義久のエピソードってあまり残っていないからこういうのはありがたい。
    こういう気配りができる辺り、やはり日新斎の薫陶が大きいんだろうかねえ。

    豊後の二人も少しは見習えよ・・・
    まあそれ以前に見習わせなければいかんのは甥の方か。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    何だかんだ言いつつ、南の兄ちゃんは友人少ない割に近衛さんと幽斎さんという超大物と仲良かったし、島津家当主だったから逸話は残ってる方な気もする
    どっちかというと、逸話数的には父と三男の方が(ry

    甥(次弟の三男)の人格面に関しては何も言えないけど

  3. 人間七七四年 | URL | -

    真っ先に「美人だったのかな」思った俺は
    かなり心が汚れているな…

  4. しあわせななしさん | URL | -

    曹操「君子たるもの」
    曹丕「常識だよね」
    袁煕「…」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    輝元
    義統

    なりたい武将を選ばれよ

  6. 人間七七四年 | URL | -

    義久「いや,血が繋がっていない女性には興味がないんで・・・」

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    関羽「約束してたのに…」

  8. 人間七七四年 | URL | -

    「親子丼」この言葉が脳裏に浮かんだら末期症状

  9. 人間七七四年 | URL | -

    >*1
    18も逸話あるのに足りんのか、悪久(38)とかがライバル?

  10. 人間七七四年 | URL | FyolxTg6

    お兄ちゃんって優柔不断なのか深謀遠慮なのか分からん人だよな~。
    裏切られても人質を殺めたことがないような。
    ともかく敵手だったソーリンやクマーとは対照的な人だ。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    鹿児島では維新公の逸話は多いんだが、義久の逸話ってそんなに
    知られていないんだよ。

    ※10
    きちんと将来見えていたんだけど、家臣を抑えることが出来ず
    家臣団の意見と将来との間で妥協点見出すのにひたすら苦労している
    印象かなあ。
    義久にとっては、三州統一した辺りが一番幸せだったんじゃないかなあ。
    それ以降は、とにかく上方と家臣団に悩まされる毎日だから。

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